ボッチとシラーの花



「どうした、荒牧。やっぱりアタシのケツを追いかけてきたのか〜?」


 俺も後に続いて来たと見るや速攻で俺に詰め寄ってきたよこの人。


 またこれかよ……何でどいつもこいつも俺を揶揄って楽しむ趣味があるんだ。


「にっ……先生もなかなかの自意識過剰ですね。全然違いますよ」


 だから近い近いってなんかめっちゃ良い匂いがブワッと来たんだが。


 それに意味ありげな視線を向けながら近距離で見つめるのやめてくれ。


「え〜?またまたそんなこと言って……正直にお姉さんに話してごらんよ?」


 なぜ一丁前に良い歳超えた女性が若干前屈みになって上目遣いを寄越すんだ。


 痛々しいぞ、と思いたいのに谷間も浮き彫りにされてるから認めるのは誠に癪なんだが、不覚にもドキッとさせられてしまう。


 ていうかその悩殺ポーズ軽く童貞を殺せるやつでしょ、本当に何してるのこの人。やはり大人の女性の誘惑だ……恐るべし。


「……これから普通にトイレ行くんですよ」


 すると俺の耳元に吐息を吹きかけるようにしてこんなことを囁いてきた。


「そこで荒牧はナニするの?」


 反射的に背中から脳みそを突き抜けるような感覚を覚えてしまう。


 目から妖しい光を覗かせながら蠱惑的な笑みを浮かべてるし、無意識のうちに理性をガンガン溶かされてしまう。揶揄いだとわかっていても反応してしまう。


「はっ!?何って……」


 何で息を吐くようにして男を誘惑することが出来るんですかねこの人は。


 ポケット内の拳を握り込むことで上昇する体温を何とか誤魔化す。


「良かったらアタシが手伝ってあげよっか?……先生に任せなよ」


 これ以上距離を詰められたら流石に血が昇ってしまう、距離を置かねば!


 だがここまであからさまに舐められるのは流石にムカつくから、距離を取りつつも頑張って反論していく。


「要らないですよ!幼稚園児でも無いんですから……」


 そういえば俺もあの頃はズボンを全部下ろして立ちションしてたんだっけな。


「アッハハハ何よその言い訳、幼稚園児でも1人で用を足すことくらいもうとっくにできてる年頃よ?アハハおっかしい……」


 くっ……咄嗟に吐いた言葉が幼稚過ぎて恥ずかしさで悶えたくなる……。


「……もう揶揄うのはやめて下さいよ。ダメージが重いですので」


 来ると分かっていても女性経験が無い俺に耐性がつかないのが悩みどころだな。


 今のところは片岡先生からの誘惑の頻度も密度もそんなに高くないから理性を保てる自信があるが、これが積み重ねていくと考えたら本格的に対策しないとダメだぞ。


「荒牧の反応が可愛いからいつもの癖でつい……ごめんね〜」


 いやその清清とした表情からは反省の念が全く感じられないのだが?


「はあ……もう良いですよ、どうせまたやるんでしょ?」


 俺が呆れた表情でそう呟くのを見るや笑ったが、次第に真剣な表情を浮かべた。


「……それで荒牧。約1週間ほど藤村と関わってきてどう思ったのかしら?彼女の存在はアンタの目にはどう映ったの?」


 俺の本音を見抜かんとする意思を感じ取ったので、真剣に考えてみる。


「そうですね……」


 藤村彩海。女を敵だとか認識してきた俺だったが彼女と話してる時だけは、常におべんちゃら抜きの本音トークの応酬だから喋ってても気が楽だった。


 ギャップの激しすぎる本音と健全を使い分けるその他大勢と違って本音のみを言う。それは嘘だとか健全だとかに辟易してる俺からすれば有難い存在だ。


 例え自分の立場が不利になるとしても自分の正義を貫かんとする一面も尊敬できるし、自分にしっかりとした信念を持ち合わせているから言動に迷いが無いよな。


 ──環境とは人間の挙動を形作る透明な手だ。


 一体どのような環境で過ごしてきたらあんな風になれるのか不思議に思う程だ。


「気高くて自分の芯をしっかり持ち合わせてる強い人間、言わば孤高の存在ですね」


 まさに崖の頂上に咲く一輪のアイリスの花のようだ。

 彼女はこれからも1人でどこまでも進み続けて居られる印象がある。


 まあ藤村と関わって1週間しか経ってないんだから当然強さも弱さも分からないが、彼女が彼女自身であり続けることを辞める場面なんて想像できないからな。


 きっと俺はそのような絶対的な自信を持ち合わせている彼女に憧れてるんだと思う、今までの人生でも逃げ続けてばっかりのような俺とは違って。


 何が起きても自分の軸がブレることのない根幹が俺にも欲しい。

 それが俺の本音だ。やがて片岡先生がポツリポツリと言葉を紡ぎ始める。


「……そっかぁ。まあ先生も分かるよ。大体が同じ感想だからね。間違ってると思ったことがあれば必ず指摘するし、無愛想に見えて実は思いやりのある良い子よ」


「そうですね。あと嘘も決してつかないので関わってて楽です。相手を気遣って表面を取り繕うようなこともしないし、いつも真正面からぶつかるので立派な存在だと思いますよ」


 後はしょっちゅう俺を罵倒したり揶揄ったりしてオモチャにするときに、あのうざったらしいサディスティックな笑みと辛辣な言葉選びを直してくれたら文句無いが。


「ええ、まさにそうね……彼女は誰よりも強く見えるわ……ね」


 この後も藤村を褒める言葉が出て来ると思ったら予想と違うものがきた。


「ん?……それってどういうことですか」


 確かな意思を持ったように感じさせられるトーンで返答していく片岡先生。


「つまり荒牧から見て映ってる世界が常に正しいという訳じゃないのよ」


 それは、数々の黒歴史を量産してきた俺には嫌と言うほど理解してるんだが。


 それに一見人類が全く同じ現実でこうして生きてるように見えて、実は個人個人が全く別の周波数でそれぞれの現実を生きていることも、数々の失敗の上で学んできた。


「だからまあ、藤村のプライベートに関わるようなことは勝手に先生の口から他人に言いふらす権利が無いから何も言わないけれど……1つ言えることがあれば、」


 そう言うと俺の瞳を力強い目で射抜くように次のセリフを言った。


「──彼女はいつだってなのよ」


 ああ、知ってるよ彼女が孤高の存在であるなんて……。


 いや待て待て、『孤高』じゃなくて『孤独』と言ったのか片岡先生は?


 片岡先生のことだから孤高と孤独の意味を履き違えてる訳無さそうなものだし。


「本気で言ってるんですか?」


 片岡先生はあの藤村が実はシラーという名の花だったって言うのか?


 ──花言葉で辛抱強さ、我慢強さ、哀れ、寂しい、変わらない愛を象徴する花で、青い色が持つネガティブなイメージを一通りに揃えたような花で。


 ──名称の意味はだ。


 前者はわかるが、後者については1度たりとも感じ取った覚えが無いのだが。


「……ふっ」


 俺のその質問に先生が答えることはなく、ただ微笑を浮かべて視線を前に戻した。

 

「その答えはこれからも先に彼女と関わり合うことで見つかるよ、きっとね」


 そんな意味深で台詞だけを残してはぐらかしたと思うと「さて!」と振り向いた。


「それじゃあアタシは仕事に戻るから荒牧は引き続き頑張ってね〜!」


 それだけ言うとピューっと階段を降りていった。そういう所が子供っぽいな。


 微笑ましい程に自由気ままで自由奔放な先生だな。


「んじゃさっさと用を足してくるか」


 脳内の花図鑑の知識と片岡先生のセリフを思い返すが、やはりピンと来ないな。

 いやまた今度考え直すか。


 ※



「──荒牧くん。明日の昼は私と一緒に食べないかしら?」


「……え?」


 トイレから帰ってくると、藤村から急な昼飯の誘いを投げかけられた俺だった。

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