クラスの天然女子が強すぎる

貴志

第1話:昼休みの侵略(前)

「あ」

「どした」


教室に入った瞬間、思わず声が出た。後ろから付いてきていた友人の新橋が、つられるように僕の肩口から教室をのぞき込む。


教室の窓際最後方の絶好席、僕の席が、クラスの女子の侵略を受けていた。


眞子まこ、パンなの珍しいね」

「弁当飽きた。でもちょっと足りないかも」

「あ、じゃあ飴あげようか?」

「腹の足しにならんやろそんなん」

「アハハハ確かに! 百恵ももえ、大阪のオバチャンじゃないんだから」


僕の席と、僕の席の前・横・斜め前、それら全てを使っての昼食の輪が形成されてしまっており、おおよそ座ることのできない状態になってしまっていた。購買の予期せぬ混雑ぶりに、昼飯を買いに戻ってくるのが少し遅れただけでこの有様とは、げに高校という場所の恐ろしいことか。


「おぉ……今日はどっか外で食べよか」


既に昼食も盛り上がりを見せ、キャキャイと他者を寄せ付けぬ女子の圧に妥協策を提案する友、新橋。眼鏡の向こうに透ける眼差しは、絶望と諦観の色に染まっている。


確かに、見るからに煌びやかなオーラを放つイケイケ女子4人に対し、僕ら日陰者の地味男子が立ち向かうだなんて土台無謀な話だろう。話しかけることが……いや、もはや近づくことでさえ、咎人が聖域に踏み入るが如く高い関門だ。


「いや」


だけど、それでも僕はその絶望を否定する。


修一しゅういち?」

「新橋、今ここで諦めてしまったら、これから先僕たちの高校生活は一体どうなってしまうと思う」

「それは……」


新橋はごくりと息をのみ、地面をじっと見つめて考え込んだ。やがて、ハッとしたように顔を上げる。その瞳は大きく見開かれ、黒い水晶体には僕の姿がはっきりと捉えられていた。


震える唇がポツリと告げる。


「どうなるんだ」

「いや、分からないのかよ」


ガクリと肩を下げる。どうやら新橋にはピンとこなかったようなので、今度はその肩をガシッと力強く掴んではっきりと告げてやる。


「いいか、今ここで席を譲ってしまったが最後、奴らはどんどん調子に乗る。物を勝手に使われ、パシリにされて、ありとあらゆる権利の侵略を受けるだろう。間違いなく僕たちは搾取される」

「そうかあ?」

「そうなんだよ!」

「うーん?」


呑気な顔で首をかしげる新橋を見て、僕はこの危機感を彼と共有できないことを悟った。残念、非常に残念だ。


だが、僕は行かなくてはならない。たとえ友の支持を得られなくとも、荒波に揉まれることになろうとも、奴隷になるよりはマシなのだから。


「もういい。お前は自分の席で待っていてくれ」

「おお。健闘を祈る」


新橋はタオルをブンブンと振り回し、僕を見送った。彼の頭上で回る赤いタオルが、まるで舞い踊る炎のように僕の心に闘士を燃やす。なんだ、最高の応援じゃないか。


タオルによって巻き上がる仄かな風圧を背に感じながら、僕は大きく一歩を踏み出す。それからまた一歩、一歩と歩みを進めながら、女子集団に近づける臨界点を恐る恐る探っていく。


焦ってはいけない。女子集団との距離感を見誤ることは即ち死を意味する。奴らが僕を認知し、かつ不審に思われないベストな位置取りを見つけることだ。


そして、間違っても「そこ僕の席なんだけど」などと直接言ってはならない。その瞬間、奴らは自分たちを瞬時に被害者に据え、一同に僕のことを糾弾し始めるだろう。奴らにとって自分に都合の悪い「主張」は、すぐさま「非難」もしくは「脅し」に書き換えられるのだから。


ならば、僕にできることとはこれしかない……!


握りこぶしを作り、ゆっくりと胸元まで持ち上げる。意を決し、それを口元へと運んで、僕は勢いよく喉を震わせた。


「ゲホッ! ゲホゲフッ、えふんッえふんッッ!! うえェッフォ!!」


僕の作戦、それは「咳払い」っっ!!


違和感なく自然に自分の存在を奴らに示すことができ、かつ周囲にも僕が席を略取されたことをアピールすることができる一石二鳥の策である。こうすることで、周囲からの批判を恐れた奴らは自ずと僕に席を明け渡さざるを得なくなるという寸法だ。


「うエッフ! ゴホゴホッ、ゴホッッ!! ゲエエェッホ!」

「んん?」


僕の言葉なき叫びが功を奏し、とうとう奴らの一人が僕の存在に気付いた。怪訝な表情をこちらに向けながらそいつは、僕の席に居座っていた女子の肩をトントンと叩いた。


「ちょっと百恵、あれ……」

「ふぇ?」

「ン、ン゛ン゛ン゛ッ! ン゛ぇぇぇッ!」



ここが踏ん張りどころだと、まるで奴らに気が付いていないように視線を伏せ、喉を鳴らし続ける。そのさ中でも僕は、こちらに視線を向ける僕の席に腰掛ける女子のことを薄目で確認していた。


彼女は確か若狭わかさ百恵ももえ。背が高く、その身長の半分に届こうかという真っ直ぐな黒髪がよく目立つ女子だ。下品にアハアハと笑う女で、他人にちょっかいをかけては悦に浸る性悪である。


天真爛漫などという言葉を持ち込んで、彼女を魅力的に思う男子は多いらしいが、それは全く見る目が無いと言って構わないだろう。ああいう女は表面だけ無邪気なように見せて、実は全て計算で、裏では他人を見下しているに相場は決まっているのである。


咳払いをする僕に気付いた途端、彼女はアッと大きく口を開け、慌てて席を立った。


「ああっ、ごめんね小瀬こぜ君。私、全然気づかなくって!」


やった、作戦は成功だ。


やはり、表面つらばっかりよく見せようとしている奴にはこの作戦が有効だった。パタパタと鳴る足音が席を離れて行くのを聞きながら、僕はこっそりと口端を持ち上げる。ここで最後に、何でもない風に「ああ、いや別によかったのに」などと言葉を添えれば、僕の目論見は完遂される。


目の前で止まった足音に、僕は顔を上げて声をかけた。


「ゲフゲフッ、ああ、いや………………?」


と同時に、目の前に差し出されていた手のひらの物体に思考が止まる。それが何かを認識するよりも前に視線をさらに上げると、こちらを見下ろす満足げな笑みと目が合った。


「はい、これ」


渡されたのは、のど飴。はちみつに浸った柑橘種のイラストが個包装のパッケージに描かれている。


「教室、乾燥するもんね。お大事に!」

「え、いや」


ちがう、そうじゃない。


僕が言い分を口に出すよりも先に、思いつくよりも前に、とっくに彼女は軽快な足取りで席まで戻ってしまっていた。そこは僕の席だ。


何だ、何が起こった? 一体どうして、どうしたら、どう考えたらそういうことになる?


真っ白になった思考のまま、とぼとぼと友の元へと帰還した僕は、やはりただその場に立ち尽くすことしかできずにいた。新橋は、僕の手のひらに置かれていたのど飴を発見すると胡乱気うろんげな表情を浮かべた。


「どうしてそうなった……?」

「分からない……分からん」


2人して首をかしげる僕ら。今はまだ、このような事態への解釈の仕方を僕たちは持ち合わせてはいなかった。


ただ一つ明らかなのは、若狭百恵、僕は彼女から自分の席を取り返すことができなかったということ。どうしようもない敗北感が、真っ白になっていた思考に一滴暗いものを落とした。

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