第2話「心中事件」

 冥界の役人である疫凶は、袁閃月えんせんげつ劉陽華りゅうようかに水落鬼となってしまった女性の思いを晴らしてやる事を提案した。


 元々、疫凶は二人に冥界の役所から依頼される仕事を果たさないかと持ち掛けていた。仕事を積み重ねていく事により、神の座に就く事すら可能なのだと言う。これは非常に魅力的な事だ。


 例え仕事をしなくても特に問題は無いらしいのだが、気の遠くなるほど長い年月を何もせずに過ごすことになる。そんな生活の果てに魂が消滅するなど、想像するだに恐ろしい。


 昨日疫凶が退散した後二人で話し合い、この件については受けるつもりでいた。


「それでは、あなたの事情を話すがいい。それを我々が解決してやろう」


「……」


「何か思い残すことがあるから、この冥界に来ながらも先に進むことなく、留まっていたんだろう?」


「……」


「何か言ったらどうだ?」


「ちょっと黙りなさい」


 水落鬼となった女性に、閃月が事情を尋ねる……というか尋問の様な口調で問い質すが、水落鬼の反応は全くなかった。この様な高圧的な口調の質問は、何か訳有りの女性に対する場合にはあまり適切だとは言えない。見かねた陽華が割って入った。


「もう少しやり方を考えなさい。口のききかたというものがあるでしょ」


「ぬう。正直捕虜への尋問はした事があるけど、女と話すなんて母上や妹以外ないからな」


「分かっているなら、最初からこっちに任せなさい。そう言えばあなたは、家族の事を覚えているのね。私は全然覚えてないわ」


「え? 俺もまるで覚えていないけど?」


 死んだばかりの二人は、生前の記憶がほとんどない。完全に失われたのではなく心の何処かに染みついているらしく、ふとした瞬間に生前の事が言葉の端に上る事がある。


 だが、今は生前の事に拘るべき時ではない。意識して思い出そうとしても無理な物は無理であるし、目の前の女性を救う事が最優先なのだ。


 陽華が同じ女性と言う事もあり、言葉に気を使いながら聞き出した内容は、次の通りであった。


 水落鬼となった女性の名前は、明明めいめいと言い、ほう王朝の都で暮らしていた。


 彼女は都でも有数の商家の生まれであり、何不自由なく育ったのだが、ある日町を出歩いている時に、とある男性とであった。


 男の名は呉開山ごかいざんといい、とある学者の下で学ぶために都に出てきた書生であった。


 二人はすぐに恋に落ち、将来を誓い合った。しかし、明明の父親はこの関係を許すことなく、他の縁談をまとめようとしてきた。それに、明明を屋敷に軟禁し、開山との接触を断とうとしたのだ。


 思い余った明明はある日屋敷を飛び出し、男の家に走った。そして、今生では添い遂げられない事を儚み、都に縦横に走っている水路に二人して身を投げたのだ。


 要するに心中である。


 あの世で一緒に暮らそうと誓い合ったのだが、実際に冥界で目を覚ましてみると開山の姿は見当たらなかった。


 そして、自ら死を選んだ罪のためか、その姿は溺れ死んだ時と同じようにずぶ濡れのままだ。このため、体の芯まで凍てついたような寒気が襲い、息の出来ない苦しさが続いている。


「そうなの。水落鬼は溺死した人間がその苦しみによりなると聞いた事がありますが、あなたの事情はそういう事なのね」


 陽華は元から怪異について詳しい様だ。明明の話を聞いてすぐに事情を理解したようだ。


「うらやましいです。あなた達夫婦は死んでも、こんなに立派な屋敷で二人で一緒に暮らしていけるのに、私はあの人に会う事すら出来ないなんて」


「いえ、夫婦じゃありません」

「違うぞ」


「え? なら、何であなた達は一緒に住んでいるの?」


 たった一つの命を投げ出してまで、愛する人と添い遂げようとした明明としては、冥界で仲良く暮らしているようにみえる陽華と閃月がうらやましくて仕方がない。だが、それを即座に否定されて少々混乱した。


「それはともかく、呉開山という人の事を解決すればいいと言う事かしら?」


「そうでしょうね。説明の手間が省けて助かります。あと、お二人は書類上夫婦になっているので、それは否定できませんよ?」


 明明の話を帳面に書きつけながら聞いていた疫凶は、陽華の問いを満足げに肯定した。そして疫凶が付け加えた余計な一言に関しては、陽華は黙殺した。


「ただ、どうすれば解決できるかが……」


「よし、じゃあちょっとそこら辺を見て回って、呉さんを探してくる。一緒に身投げしたんなら、大体同じような場所にいるだろ?」


「そうですね。心中なら基本的にそうなるでしょうって、行っちゃいましたね」


 解決方法を模索し始めた陽華の言葉を遮るように、閃月が立ち上がって捜索に出発する事を宣言した。疫凶の答えが終わらない内から屋敷の外に出て行ってしまった。


 後に残された陽華は、明明を応接室に残したまま疫凶と部屋の外に出た。


「疫凶さん。あの人はこの近くで呉開山が見つかると思っているようですが、あなたはどう思いますか?」


「その言いようからすると、陽華さんは違うと思っているようですね」


「そうですね。そんな美しい心中話とはちょっとね。ですので、他の解決方法を考えたいので、少し相談に乗って下さい」


「これは頼もしい。私のこれまでの冥界での獄卒としての経験からしても、閃月さんよりも陽華さんの思っている事に近い予想ですよ」


 陽華が疫凶と今後の方針について相談し、様々な準備をし終わった時、閃月が帰還した。


 陽華達の予想通り、閃月は呉開山を見つける事が出来ず、一人で戻って来たのだった。

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