冥婚鬼譚

大澤伝兵衛

第1章「水落鬼の嘆き」

プロローグ

 袁閃月えんせんげつが目を覚ました時、見覚えの無い顔がこちらをのぞき込んでいた。青白く生気が感じられない男で、役人風の服装をしている。年齢が全く判別できない不思議な顔立ちだった。


 そして奇妙な事に、閃月は椅子に座った状態で目を覚ました。と言う事は、この見覚えの無い男と向かい合って座りながら話している途中に、閃月が眠ってしまったのだろうか。しかし、閃月は生まれてこのかた、その様な無作法な振る舞いをした事がない。それに、何故この場にいるのか、この男は何者なのかについても、全く記憶にない。


 焦ってしまい、目の前の男から視線を横に逸らしてみると、隣に一人の女性が座っているのに気が付いた。年の頃は十代中頃、閃月よりも少し年下に見える。丁寧に結われた髪には高そうな髪飾りが留められていて、良いところのお嬢さんといった雰囲気が漂っている。どこか儚げな印象を与えるその顔立ちは、男なら守ってあげたくなる。女性に接する機会がほとんどなく生きていた閃月は、そんな少女の隣に座っている事を意識してしまい、心臓の鼓動が速まるのを感じていた。何とか冷静を装うのに成功した。


「あの……」

「あなた……」


 互いの素性を知らないのは不便である。自己紹介がてらに話しかけようとしたのだが、二人は同時に声を発してしまい、結局その先を言う事が出来ずに黙り込んでしまった。


 まるでお見合いの様である。


 少女の声は、外見に違わない鈴を転がしたような可愛らしい響きで、閃月の耳朶に心地よく響いた。まだ単語を一つしか発していないのだが、そう感じてしまったのだから仕方がない。


 そんな風に感じてしまったせいか、閃月は更に言葉を続ける事が出来なくなった。少女も同じ様である。


 何とか男である自分から話を繋げようとしようとするのだが、それは不発に終わり静寂が部屋を支配した。


 ますますお見合いの様である。


 そんな二人に助け船を出す様に、役人風の男が手を叩いて二人の視線を集めると、その生気の無い顔に似合わぬにこやかな表情と口調でこう言った。


「袁閃月様、並びに劉陽華りゅうようか様。この度はご結婚――といいますかご冥婚めいこん、まことにおめでとうございます。私、今回のご冥婚の担当をさせていただきます、獄卒の疫凶えききょうと申します。


 お見合いどころではなかった。驚愕の事実に閃月も陽華も言葉が出なかった。




「それで、結婚とはどういうことですか? 私達が結婚すると言う話は聞いた事がありません」

「そうです。婚約の話すら知らないのですが、どういう事なのですか?」


 衝撃から立ち直った閃月と陽華が疫凶が口々に疑問を投げかける。疫凶はこれを予想していたようで、動じる様子は見られない。


「お二人は、『冥婚』という言葉をご存じですか?」


「あまり知りませんが、あれでしょう? 死んだ者同士を結婚させると言う」


「その通りです」


 この、「冥婚」という風習は、細部は違えど世界各地に存在する。


 蓬王朝の風習については、閃月が答えた通りであるが、他の地域では正者と死者が結婚したり、人形と死者が結婚したりと様々な形態で行われている。


 目的としては、主に未婚で亡くなった男女の霊を慰めるためである。


 そのため、同時期に亡くなった若い男女を夫婦として扱い、同じ墓に葬り、副葬品として死後の世界で使用する様々な財物を供えると言うのがほう王朝における習俗だ。


「あら? それじゃあもしかして……」


「そうです。お二人が同日にお亡くなりになり、お二人のご遺族が同じ墓地で埋葬しようとしている所で鉢合わせになりまして、意気投合して冥婚をさせようという事になったのですよ。いやあ、奇縁ですなあ。おめでとうございます」


 この冥婚は、若くして死んだという事が前提としてあるので、ちっともめでたくは無い。そう言いたい閃月と陽華であったが、少しでも両親の心が慰められるのであれば、それは幸いであるとも思った。

二人とも、結婚という孝行をしないで死んだ事を親不孝と思う感覚があった。蓬王朝に生きる民としては普通の認識だ。


 ただし、二人とも自分の両親の事をよく思い出せなかった。良好な関係を築いていた朧げな記憶はあるのだが。


 よくよく考えてみると、自分達がどうして死んだのかすら思い出せない。若くして死んでいるのだから、事故やら病気やら、不幸な事象があった事は間違いないのだが。そして今更ながら、自分達が死んでいると言う事は、本能的に理解した。冥界の法則の様なものが二人の頭に作用しているのかも知れない。


「それで、疫凶さんは、何をしにいらしたんですか?」


「ああそうですね。本題に入りましょう」


 そう言った疫凶は、懐に手をやる分厚い帳簿類を幾つもとりだした。どこに入っていたんだろうとの疑問が生じるほどの体積である。


「実は、お二方のご遺族がお二人のために捧げた供物が、相当な量でしてね。これは、ちゃんと財産管理や今後の生活――と言っても死んでますがね。まあ死後の暮らしについて説明しようと言う事になったんですよ。うちの役所で」


「そんなに多かったんですか?」


「ご両家が埋葬した供物は、過去の皇族の冥婚の霊と比べても圧倒的に多いですね。これよりも多いのは、皇帝の埋葬品位のものです」


「そうなんですか。でも、だからといって何で特別に説明しに来る必要があるんですか?」


 蓬王朝が存在する地域に伝わる死後の世界についての教えは、死んだ者は泰山府君たいざんふくんなどの冥界を司る神の前に呼び出され、生前の功績や罪に応じて裁くとされている。これは、生前どの様な地位にあった者も平等に裁かれるとされている。


 それなのに、特別扱いとはいったいどういう事であろうか。


「それはですね。過去の皇帝たちは、冥界や時には天界で役職に就いているんですよ。なので、彼らに匹敵するだけの財物を持参したあなた方も、同じ様に扱うべきとの声があったんですよ。平等でしょ?」


 皇帝ではない閃月達も、財物の量によって皇帝たちと平等に特別扱いをすると言う、なにやら妙な話である。


「でも、どれだけ多くの財産を持ち込んだからって、あなた達冥府の役人が私達を特別扱いする理由なんて……、あっ!」


「お気づきになりましたか」


 陽華は自分達が特別扱いされる事について納得がいかなかったらしく、しばらく自問自答していたのだが、何かに気付いた様だ。


「まさか、何割かが」


「はい、冥界にも税金はあるんですよ。いくらかはこちらで徴収させていただきました。お預かりしました税金は、冥界の運営に有効活用させていただきます」


 疫凶は答えながら、領収書らしきものを二人に提示した。二人はそこに記された額を見て驚愕する。


「ちょ……取り過ぎじゃ?」


「いえいえ、ほんの一割ですよ。あなた方の国の税率は、農作物が三割で酒類が五割、それに比べたら安いものですよ」


 なんとか声を絞り出した閃月の疑問に、疫凶はしれっと答えた。それにしても「地獄の沙汰も金次第」とはまさにこの事である。


「それで、これからの生活なのですが、何もせず暮らすのも良いですが、それでは魂が消滅するまでただ時間を浪費するだけ。我々としては何か仕事を頼みたいと思っています」


「仕事?」


「そうです。さっき説明した歴代皇帝の方々も冥界や天界で何らかの役職に就き、仕事をして暮らしています。仕事ぶりによっては出世し、神の席に列せられる方もいます。ね、面白そうでしょう?」


 閃月は考え込んだ。確かに何か仕事をして刺激を求めるのも良いかもしれない。


「ところで、私はこの人と結婚するのを承諾したわけではないのですが」


 陽華が前提条件を覆すような事を言った。当然である。若い女性としては、いきなりあった男が既に自分の夫となっていると言っても、中々納得できないのだろう。それは閃月も同じだ。


「俺だってそうだ。なんでこんな女と」


 女性に免疫が無い閃月にとっては、結婚は少し気恥ずかしいものだ。その感覚が手伝って、つい強い表現で否定的な発言をしてしまう。


「とは申しましてもこちらの書類――鬼籍ではお二人は夫婦として登録されてますからな、離縁などは生者の世界よりも難しいので仲良くしてほしいのですが。そうだ、子はかすがいとも申しますから、お子様でもつくられては?」


「いやいや、無理でしょう。私達死んでるんですから」


 二人の子供は、生前存在すらしていないのだ。当然何をどうしても冥界に生まれるなど有り得ない。何しろ魂が無いのだからだ。


「いえ? 生まれますよ?」


「え?」


 疫凶はあっさりと陽華の意見を否定した。


「捧げられた供物の中には、死後の世界での子孫繁栄を願って、子供を象った紙人形が含まれていて、葬儀の際に焼かれてます。これが、さる仙人が作った宝貝パオペイで、死者であってもお二人に子供はできますよ」


「……」


 二人は絶句した。生前異性との接触が無かった二人にとって、会ったばかりの異性と子供を作れと言われても、それは冷静に考えられるものではない。


「あ、ちゃんと『行為』に及ばねば、出来ませんからね」


「うるさい!」


 下世話な方向に話を進めようとする疫凶に、二人は手近にあった文鎮や筆を投げつけた。それがぶつかろうとした瞬間、疫凶は姿を消してしまった。


「おっと、失礼。また明日あたり説明に参りますよ。失礼します」


 疫凶が消えた虚空から声だけを響かせて疫凶は立ち去った。その場には呆然とする二人だけが残される。なるべく目を合わせない様にしながら、部屋の後片付けを始めた。


 こうして、袁閃月との劉陽華の冥婚生活が始まるのであった。

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