第4話 譲れぬ傲慢

「……ロキ、遅い! 何かあったんじゃないでしょうね」


 一方ネオンは、戦況が全く動く気配のないことを、訝しんでいた。

 幸いなのは、こちらからフルーレティの状況だけは確認できることだ。標的は、聳える鉄塔の頂点に腰かけて、退屈そうに魔力の火花を弄んでいる。

 

(ロキに何かあったと仮定して、試しに一対一で仕掛けてみるか……こうしてるのもヒマだし、あいつの驚く顔が見たいし)


 それじゃ、遠慮なく使わせてもらうか、とネオンは魔具のひとつを手に取った。





「フルーレティ! ヒマそうじゃない」

「ネオンさん……!」


 廃ビルの屋上に上り、フルーレティの目線に近づいたネオンは、何も持たない両手を上げて呼びかける。


「ヒマならちょっと休戦しない? ロキのやつもどっかに行っちゃったし」


 フルーレティは困ったように眉根を寄せた。

 まあ疑うよね。私普段から散々あんたのこと避けてるもん。ネオンは心の中で苦笑する。


(けど、これだけ無防備で近づいても不意打ちは無しってことは、ヤドリは近くには居ない、か)


 ネオンは大袈裟に首を振って、溜め息をつく仕草をする。


「ねえ、もう私に付き纏うのは飽きたの? 呼んでない時はしつこく絡んで来て、こっちから声をかけたら無視だなんて、ホントいいご身分ね」

「そ、そんなつもりじゃ……っ!」


 何の捻りもないシンプルな挑発に、フルーレティは分かりやすくたじろいだ。


「少し、考え事をしていただけです! ネオンさんのお誘いを、私が断るはずがありません」


(よし!!)


 ネオンが手を差し伸べる。吸い込まれるようにして、フルーレティがビルへと飛び移ろうとすると、


「…………ッ!」


 バチバチと電流のような力が走り、フルーレティは翼を失った。浮遊力を失って落下する身体を、社交ダンスのスローアウェイ・オーバースウェイのようなポーズで、ネオンは抱きとめる。


「は? は? え?」

「その状態で追いかけられるなら、追いかけて来な」


 次いで、瘴気の煙幕がロングジャケットから放たれる。生意気に笑ってパッと腕を離すと、動揺から硬直していたフルーレティはコンクリートにポイと投げ出された。


 ネオンは素早く駆け出して、ビル内部へと続く階段の扉を派手に開ける。

 そして、階段を勢いよく下りる、フリをした。


(ダミーのデコイ人形を、下の階へ走らせた。さて、早く決めなきゃ、上級悪魔の魔力を封じるなんて荒業、効果は一分もないみたいだし)


 ロキから借りた魔具で、大前提としてこれが無いと勝ち目がほぼゼロなのは、局所的な範囲の悪魔の魔力を弱体化させる装置だった。

 今は激高コストでごく小範囲、短時間の効果に収まっているけれど、この技術がもっと発展したら確かに地獄は大騒ぎだな、とネオンは鼓動を昂らせた。


(頭を、撃ち抜く……!)


 狙いを定めて放たれた、銀の弾丸。

 標的の宝石に向かって真っ直ぐに飛び込んでいき、


「……無駄ですよ」


 激しくコンクリートを抉る音を立てて、地面に叩き付けられた。


(うっわ……今の素手!? 魔力封じても無理なのかよ……!)


 格上の悪魔の本気を目の当たりにして、ネオンはさすがに肩を震わす。


「迷いなき正確な射撃、気配なき純粋な殺気……ああ、それがあなたの積み重ねてきた戦いなのですか?」


 ネオンは答えず、続けざまに銃弾を放った。連射される銀の雨を、フルーレティはひらりと躱す。


「なるほど、お喋りを楽しむ暇もない戦闘ばかり行ってきたのですね」

「クソ貴族が……っ! 生まれながらに力のあるアンタみたいなのに、何がわかる!」


 ネオンは、部屋の四方に展開した魔具を起動した。分厚い魔力障壁が二人の間を隔てる。上級悪魔相手には少々、心許ない壁だが、その隙にネオンは愛銃をリロードする。


「私には、弱者を蹂躙する趣味はないのですが……」

「弱……っ!? ほざいてろよフルーレティ!」


 反撃を行わず、困ったように佇む悪魔貴族に、ネオンは接射を狙って飛びかかった。フルーレティは射程範囲に入らぬよう、踊るように、優雅にステップを踏む。

 焦れたネオンによる蹴りを手のひらでいなして、舞う姿は、遊戯に興じる子供そのものだった。


「はい」

「あ……っ!」


 おまけに、ネオンの胸元から標的の宝石を摘まんで奪い、静かに口づけまでする始末だ。

 てんで相手にされていないと知り、ネオンは煮えたぎるような悔しさを噛み締めた。


(生まれとか、種族とか、自分の力ではどうしようもなく変えられないことがあっても、)


 手のひらに爪が食い込むほどに、強く拳を握り締める。


(力さえ得れば、希望が見える、って。そう信じてきたのに)

 

 まだ、足りないのか。

 力が足りない。足りない。悔しい。









 ポタポタと頬に落ちる涙が、血と混じって赤黒く染まっていく。


「ヤドリン、泣いてるのかい……?」

「煩い!!」


 ヤドリの振りかざした拳は、力なく大地に落ちた。刃の代わりに涙を降らせて、ぐしゃぐしゃに縮こまった感情を握り潰す。


 ずっと、自分のことを天才と信じて疑わなかった。

 私は、紛れもなく天才”だった”。

 コイツに、会うまでは。


「すぐに思い知らされた……! ”本物”はお前で、私は……」


 尊敬していた。

 負けたくなかった。

 どうにかなりそうだった。


 ロキは、濡れたヤドリの頬を、静かに指でなぞった。


「……畜生、なんで、なんで反撃しないんだよ……ッ、ロキ……!!」

「言ったじゃないか、この身を好きにしていいよ、って……」

「ッ、同情のつもりか!」

「まさか。キミは、ワタシの特別だからさ」


 ロキはゆっくりと上半身を起こした。ヤドリはビクリと身を震わせて、立ち上がって距離を取る。


「嘘、つくな……! 私は……! 私なんかが……!」

「私”なんか”? 気高いキミが、そんな言葉を使うなんて。やめてよ、世界で一番キミに似合わない言葉だ」

「うるさい! お前に比べたら、”なんか”なんだよ……っ!」

「ああ……キミは、それで泣いているのか……」


 ロキの顔に、絶望が滲む。


 やめろ、やめろ、やめろ!

 ヤドリは心の内で叫んだ。


「ワタシが近づけば、キミを傷つけてしまう?」


 やめろ、やめてくれ。

 お前は罪悪感なんて持たなくていい。

 全ては私が弱いからだ。

 

 こんなのはただの、逆恨みだ。

 永遠にお前に勝てない、私の身勝手な嘆き。


(認めたくなかった。自分の凡庸さを、醜い感情を、そして、認めることすらできない自分を! だから私は…!)


 ヤドリの放つ刃が、空しく宙を切る。


「そうだよ……! だから私は逃げたんだ、お前と同じ道から!!」


 メスの刃の雨を躱し、あるいは受け、血を流すロキが、今度はヤドリを押し倒す。


「もう近づくなよ、暴かれたくないんだ……! 醜い私を……!」



 ドクター・ロキ。貴族に反抗する、大天才。

 馬鹿な理想を、掲げる奴だと思った。


 だから惚れた。だから、憧れていた。

 彼女に心酔する私のような者は、きっと少なくはなかっただろう。

 それでも、貴族社会を揺るがしかねないその理想へ味方をすることは、幾多の貴族を敵に回すに値する行為だ。ゆえに、表立って彼女を支援するものはゼロに等しかった。


 それでも私は、彼女の助手を買って出た。

 二人の天才が手を組めば、地底のすべてをひっくり返せると信じて。


 そんな覚悟で挑んだ道だったのに。顛末はなんて呆気ない。

 貴族の圧力にすら負けなかった私は、ただの自分のちっぽけなプライドによって、完全敗北したのだった。


 私は、お前が笑顔の裏に隠していた孤独を知って、

 たった一人で挑み続ける背中を、知って。

 それでもなお。


 自分の矜持を守るためだけに、逃げたんだ。


 ヤドリは返り血に汚れた両拳で、顔を覆った。

 ロキは静かに言葉を紡ぐ。


「キミは美しいよ、ヤドリ。上辺だけのこの世界で、キミだけが、ワタシに手を伸ばしてくれた。……あの頃、ワタシの背を追うキミは、この世の何より美しかった」


 血の匂いのする頬を、固く閉ざされた拳にそっと寄せる。


「ヤドリ、ワタシにはキミが必要なんだ」


 だから。

 ロキは、それはそれは熱く、残酷な言葉を、ヤドリの耳に注ぐ。


「それが、キミを傷つけるとしても……私のために傷ついて、涙して、それでも隣にいて欲しい」


 それは、愛のカタチを模した傲慢。

 いや、愛とはそもそも傲慢に等しいのかもしれない。


 大天才の唇が紡ぐにふさわしい、傲慢な懇願は、至極一方的なエゴの鎖で。

 それでもヤドリは、その傲慢に、かつての憧れのきらめきを確かに見た気がした。





「……はは、最低……バカじゃ、ねえの……?」



 無機質な仮想の空に、甘い嘆きが溶けていく。

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