第四章

第1話 七番街の天才魔学者

「ネオン、買い物ついてきてくれてありがと」

「ん、これでしばらく日用品は大丈夫かな」


 ネオンはまとめ買いした大袋を両手に下げ、シーシャと市街を歩いていた。

 下水に反射する街の明かりのきらめきは、相変わらず目に眩しいけれど、たまには何も起こらない穏やかな夜だ。


「にしても、こんな大量の土、何に使うの? 園芸でも始めるの?」

「それはお客さん用! あたしが水の中のほうが寛げるみたいに、あのひとも土の上が落ち着くんだって」

「あのひと?」


 心当たりのない同居人の交友関係に、ネオンは疑問符を浮かべる。

 しかし答えを待つ前に、パァンと激しく何かが弾ける音がした。


 前言撤回、何も起こらない穏やかな夜は、早くも崩れ去ったみたいだ。



「わ、ネオンあれ、なんか揉めてる」


 シーシャが指差した方を見ると、左肘から下が吹き飛んだ悪魔の姿が見えた。おそらく魔力の類を間近で喰らったのだろう。スレンダーな女性のシルエットが、歪に欠けている。

 隻腕になったその女性は苦い顔で、残った右手で傷口を掴むと、ズズズ、と瘴気を漏らしながら左腕を再生させた。


「……参ったな、随分なご挨拶だね」

「触んなって言ったろ、聞かねえ方が悪い」


 面と向かって吐き捨てるのは、目つきの悪い悪魔だった。こちらもスラリとした人間に近い女性の姿をしている。

 悪魔二人は険悪な雰囲気で、大通りの前で睨み合っていた。


「そう邪険にしないで、どうかワタシの話を聞いてくれないか」

「黙れ、誰が今さらお前なんか……! 聞くことなんて無い、帰れよ! それ以上寄ったら次は全身塵にするぞ!」

「ワタシはもう一度、キミと話をしたくて……っ! あ、待ってくれ……!」


 パン、ともう一発、魔力が弾け、目つきの悪い悪魔は大通りを超えて飛び去ってしまった。

 後に残された悪魔はしょんぼりと項垂れながら、頬についた血飛沫を親指で拭う。


「大丈夫です? 拭くもの要ります?」

「ちょっ、シーシャ……?」


 シーシャがおもむろにネオンの下げていた袋に手を突っ込んで、お徳用タオルの束を取り出す。

 

「あは、ありがとう。キミたちは親切だね。それともこのワタシが天才だから、通行人に優しくされるのは世の摂理かな?」


 さらりと前髪をかき上げて、悪魔は微笑む。


「へー、お姉さん、天才なんですか!」

「シーシャ、危ないから知らない人に軽率に構わないでよ」

「今はネオンがいるもん」

「おや、ワタシを知らないって? それは残念だね」


 たしなめられて、シーシャは渋々ネオンの肩の後ろに隠れる。

 血まみれの悪魔は、黒のドクターコートをなびかせ、颯爽と言うには、


「ワタシは七番街の天才魔学者、ドクター・ロキ! 最近は主に魔具の研究開発をしている大天才だ、ワタシの名をその脳細胞に刻める栄誉を喜ぶといいよ」

(な、七番街ってことは格上なのか、この路上ヤバ喧嘩血まみれ女……)


 十番街より地の底に近い、下層に住むことを許されているということは、相当な実力者。


 目の前で腕が再生したところを目の当たりにしたのだから、どうやら嘘ではなさそうだ。ケチのつけようがない肩書きに、複雑な気持ちでまじまじと相手を見つめるネオン。

 シーシャは興味津々で、ロキを見上げた。


「え? 魔具ってお姉さんが作ってるの?」

「ああそうだよ、例えばこの簡易魔法シール。わずかな魔力があれば、加護を受けた上級悪魔の力を借りて魔法を放つことができる」

「それ! あたしも使ったことあります!」

「おや、そうなのかい? まだ市場には出せていないのに、一般使用者の声が聞けるとはありがたい」

「おかげですっごく助かりましたよ!」


 ロキは、そうだろうそうだろう、と満足そうに背筋を伸ばした。


「魔具の流通には、一部の貴族どもが猛反対していてね。なかなか開発が難航してるのだけど、キミのお役に立てていたと知れただけでも何よりだよ」

「はいっ、それはもう!」

「ふふ、ワタシの理想は、あらゆる悪魔に等しく力を得る機会を与えることだからね!」

「……へえ?」


 ロキが宣誓した理想に、ネオンは興味を惹かれる。


(確かに……魔具とやらを使って、貴族の手を借りずに強力な力を使えたら、地獄の歴史が変わっちゃうんじゃない?)


「何だか凄そうだけど、本当にそんなことが出来るの?」

「ああ、いつか必ずね。何たってワタシは大天才、この頭脳で世の中を変えるために生まれてきたのだから!」


 いっそ見習いたいほどの自己肯定感だなと、ネオンは感心する。


「で、そんな大天才が、どうして路上で女の人に刺されてたんだ?」

「それを聞いてくれるかい」


 たちまち、ロキは表情を曇らせた。


「実はあの子は、ワタシが十番街に住んでいた頃の助手なんだ。引っ越しの直後に突然嫌われてしまって、長い間連絡も取れず……久しぶりに会えたらご覧の通りさ」

「理由もなく嫌いにならないでしょうに」

「だけど、ワタシには全く心当たりがないんだよ! 知りたくても、彼女はあの調子で会話すらしようとしてくれないし……!」


 ロキは大袈裟に両手で顔を覆い、わっと涙する仕草をした。指の隙間からチラチラと送ってくる視線が鬱陶しい。


「そっかー、悪魔関係って色々ありますもんね。あんまり気を落とさないでください」

「では、私たちはこれで」

「ああっ待って待って! せっかくこの大天才に親切にしてくれたんだから、もう少しだけ付き合ってくれてもいいだろう?」

「ただの通行人のことをどんだけアテにしてんだ! 人望はないのか?」


 図星を突かれたらしいロキは三角座りで縮こまってしまった。


(なんか面倒臭いような胡散臭いような……でも、こいつの能力と理想が本当なら、協力する価値はあるのかもな……?)


 ネオンは、懐疑心と好奇心を天秤にかけた。 

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