第41話 小松潤・八日目その一

「あんたは結局どっちなんだ。土屋七海なのか、ナミと呼ばれる難病に侵されていた少女なのか」

 カオリに対して行っていることを見守っていた潤は、土屋がナミとして振る舞っていることに驚いた。そして、そう問い詰める。

「ふふっ、あなたはどちらだと思う?」

「土屋七海で間違いないと思う。しかし、そう、どこかで入れ替わっていたんだな」

「そうね。それはどこでしょう?」

「舐めているのか」

 ただでさえ、カオリの現状を見ろなんて言われて困惑したというのに、こんな茶番をやっているなんてどういうつもりなのか。

「でも、解ったでしょう。彼女は何も解っていないの。でも、あなたはある程度の常識を持っている。この差は何だと思う?」

「えっ」

「不思議でしょ。あなたは読み書きも問題ないし、私とのやり取りも非常に論理的に行えているわ。これって、どういうことかしら」

 そう問われて、潤も確かにと頷くしかない。それだけ、カオリは何も知らないということが示された。仕草や表情も十八とは思えない幼さがあった。

「あいつはここのこと、一度も疑ったことがないのか」

 潤は土屋を見つめていて、はっと気づいた。

 その純朴さが生まれる理由は、先ほどのナミとして現れていた土屋とのやり取りに答えがあったのだ。彼女はここが病院であり、自分は手術で助かっただけであり、単純に退院するのだと思っている。

 つまり、一度たりとも自分が実験体かもしれないなんて考えたことがないのだ。

「ええ。おそらく疑問に思うことがスイッチになっているのだと思うわ。記憶が欠落したり、一部がiPS細胞で作られたもので置き換わっているとはいえ、大部分の脳はあなたたちのものだもの。だから、どこかで現状に疑問を持った時に、残されている部分の脳のシナプスと繋がり合い、記憶がある程度は補完されるのではないかと考えているの」

 土屋はそこが大きな違いなのよねと潤を見る。

 潤は早い段階からここがおかしいと気づいていたのだ。そのおかげで、脳が正常化するのが早かったのだろう。だからこそ、ここ数日間の間に現状の総てを理解し、土屋七海とナミの存在に関しても疑問を持つまでに至ったのだ。

「つまり、カオリは脳がまだまだ起きていない状態ってことか」

「面白い言い換えね。でも、ええ、そうだと思うの。彼女の脳はまだ覚醒状態にない。そして、正常化するためのきっかけである昔の自分の姿を見た時に嫌悪感を示したから」

「今のままでいいって思っているってことか。いや、今と昔の自分の間にある乖離を受け入れられないってことか」

「素晴らしいわ」

 そこまで理解できているのならば、特に問題はないだろうと土屋は大きく頷く。

「で、俺はここの在り方に疑問を持っていたし、すでに研究所だと知っていたから、こうやって物事を考えることが出来るってわけか。とはいえ、昔の記憶は全く戻ってきた感じはしないけど」

 潤はどうなんだよと土屋を睨んでしまう。

 今の仮説が正しいのならば、自分はそろそろ昔の小松潤の記憶を取り戻してもいいのではないか。そう思ったのだ。

「ああ、それは無理なのよ。だって、あなたの前頭葉は切り取られ置き換わってしまっている。いくら他の場所のシナプスから補完できるといっても、前のデータが消えてしまっているような状態ですもの。そこへの接続は、どう頑張っても無理なの」

「なるほどね」

 そう言えば、記憶がない理由として、腫瘍の手術と同時に前頭葉の置き換えが行われたからだという話だった。実際、手術記録にもそのように残っている。

「つまり、永遠に今の自分と昔の小松潤が繋がることはない」

「そうね」

「なあ。それがあのカオリとの大きな差じゃないか」

「えっ」

 潤の指摘が瞬時に理解できず、土屋は思わず訊き返してしまう。すると、潤は珍しいことがあるものだと笑った。

「だって、私は当事者じゃないもの。あくまで仮説を立てて、こうだろうと理解しているだけよ。あなたのように実感を伴っているわけじゃないわ」

「ふうん。つまりあんたは土屋七海なんだ」

「ええ」

 そう、自分は間違いなく土屋七海だ。斎藤を利用するために、あらゆる場所で錯覚を起こさせているだけに過ぎない。その斎藤も僅かに疑問は持っていたようだったが、ナミの最期の演技にすっかり騙され、その疑問を検証していない。

「本当みたいだな」

 誤魔化そうともしない、そして揺らぐことのない瞳を見て、潤は納得した。

 なんにせよ、今はあのカオリの問題だ。彼女も生き残った一人として、これから社会に出て行かなければならない。そのために障害になっているのが、あの受け身の態度なのだ。

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