第4話 深紅のワンピースを着た女

 しばらく走ると広場に出た。周囲には損傷がひどい家屋が多くあり、血痕なのかおびただしいほどの黒い染みが家屋だけでなく地面にまで広がっている。


 広場のほぼ中央には、二人の九尾の狐が相対していた。二人とも戦闘モードの蒼矢と同様に、耳と尻尾が現れている。黒がかった紫色の妖気をまとい静かにたたずんでいる九尾は、小柄でみかん色のロングヘアに深紅のワンピースを着ていた。おそらく、彼女が玖遠くおんなのだろう。対する黒いトレーナーに灰色のスエットを着た九尾は、全身にかなりの傷を負い肩で息をしている。立っているだけでも辛そうだ。


吟慈ぎんじさん!」


 先に到着していた采牙さいがが、満身創痍の九尾に向けて叫んだ。


 わずかにこちらを向いた顔を見ると、左目を斬られたらしく血が流れている。


「采牙か……。危ないから避難してろ!」


 吟慈と呼ばれた九尾が采牙に向けてそう言った瞬間、玖遠の禍々しい妖気の弾が彼めがけて放たれた。


「危ねえ!」


 蒼矢が叫ぶや否や、三人は吟慈のもとへと駆け出した。


 蒼矢は、彼の前に躍り出て右手を前に突き出すと、勿忘草わすれなぐさ色に染まる半透明の大きな円形状の盾を作り出す。


 二階堂と采牙は、ふらつく吟慈を両脇から支える。


 刹那、禍々しい妖気弾が盾に衝突した。


「――っ!」


 蒼矢は、右手に力を込めてその衝撃に耐える。


「大丈夫ですか?」


 二階堂が、支えながら吟慈に声をかけると、彼はうなずいた。


「ああ、なんとかな。それより、あんたらは……?」


「采牙君の依頼で、彼女を止めに来ました」


 と、二階堂は簡潔にそれだけを告げる。


 吟慈が采牙に視線を向けると、彼は肯定するようにうなずいた。


「とりあえず、さっさと避難してくんねえかな? 防戦一方だと分が悪いんでね」


 と、蒼矢が通告する。


 見れば、玖遠からの妖気弾は一つだけに留まらなかったようで、衝突しては霧散していく。


「采牙君、この方と一緒に避難してくれ」


 二階堂がそう言うと、采牙はうなずいて吟慈を連れて行こうとする。


「待ってくれ。あいつの強さは、並の妖怪の比じゃない。二人だけで戦うなんて無茶だ」


 吟慈が抗議するように言うと、


「貴方だって無茶してたじゃないですか。大丈夫、僕達ならなんとかなりますから」


 と、二階堂は微笑みながらそう言った。その声音と微笑みには、否と言わせぬものがあった。


 吟慈は渋々だが避難することを承諾し、采牙に支えられながらその場を離れる。


 二人の姿が家屋の影に消えたのを確認すると、


「お待たせ」


 と、二階堂は蒼矢の隣に並んだ。もちろん、手には刀が握られている。


「ったく、待たせすぎだっつの!」


 口角をあげて悪態をつく蒼矢は、勿忘草色の盾を解除すると愛用の大鎌を妖気で作り出した。海の底を思わせる深い青色の瞳には、剣呑な光が妖しく宿っている。


 そんな二人のやり取りを、玖遠は光のない瞳で静かに見つめていた。


 瞬時に、三人の間に流れる空気がピンと張詰めたものに変わる。だが、それは決して嫌なものではなく、冴えた緊張感があった。


「蒼矢。わかってると思うけど、まずは呪物を探すのが先だからな」


 視線だけを蒼矢に向けた二階堂は、小声で蒼矢に釘を刺した。そうでもしないと、戦いの楽しさに酔って加減ができなくなるのだ。


「へいへい。要は、殺すなってことだろ?」


 言われなくてもわかっていると、蒼矢はそれだけ言うと武器を構えた。しかけるタイミングを見計らうように前を見据える。


 二階堂も視線を戻し、刀を構えると同時に刃に自身の霊力を乗せる。それは、一瞬で白い光に包まれた。


 敵意を感じたのか、玖遠は紫黒色の狐火を瞬時に複数作り出す。ひとつひとつは手のひらサイズだが、禍々しさは先ほど吟慈に放ったものと変わらない。おそらく威力も変わらないだろう。


 二階堂は、思わず柄を握る手に力を込める。


(どう攻める? どうすれば、彼女をあまり傷つけずに呪物を見つけられる?)


 わずかに逡巡しゅんじゅんするが、答えは見つからなくて。


「無傷で彼女を呪物から解放するのは、たぶん無理だぜ。あの感じだと、自我はほぼねえだろうからな」


 と、感情を抑えた声で蒼矢が告げた。


 相棒の無慈悲な言葉に、二階堂は内心ドキリとした。見透かされている。六年も一緒に行動しているのだから当然か。


「……わかった」


 小さく息をつくと、二階堂は素直にうなずいた。蒼矢のおかげで肩の力が抜けた気がする。どうやら、無意識に力んでいたらしい。


(ありがとう、蒼矢)


 心の中で礼を言って刀を構え直す。


 その瞬間、玖遠の周囲に浮遊する数多の狐火が、こちらに向かって一斉に撃ち出された。


 それを合図に、二階堂と蒼矢は玖遠へと駆け出す。二階堂は極力狐火を避けながら、蒼矢は大鎌で切り伏せながら間合いを詰めていく。


 先に懐近くまで迫った蒼矢が、振り上げた武器を思い切り振り下ろした。だが、紙一重のところで避けられてしまった。


 盛大に舌打ちするも、その表情はどこか楽しそうである。


 二撃目、三撃目……と攻撃をくり出すも、すべて避けられてしまう。


「くそっ! 避けてねえで攻撃してこいっての!」


 悪態を言葉に乗せて蒼矢が次の攻撃をくり出そうと体勢を整えると、二階堂が彼女の右横から斬りかかった。


(いける!)


 そう確信した二階堂だったが、刀が顔をかばう玖遠の右腕に触れる瞬間、彼女のそれが刃に変わった。


「な――っ!?」


「嘘だろ!?」


 二人は同時に驚きの声をあげる。


 二階堂の刀が当たった瞬間、ギンと甲高い音が響いた。彼女の右腕の強度は、おそらく二階堂の武器と同程度かそれ以上だろう。


 無表情のまま、玖遠は右腕に力を入れて二階堂の力を押し返す。


 驚きのあまり力が分散してしまった二階堂は、軽々しく弾き飛ばされた。


「誠一!」


 蒼矢が叫ぶ。が、二階堂のもとへは行けなかった。玖遠が蒼矢との間合いを詰めて右腕を振り下ろしたのだ。


 蒼矢はとっさに、それを武器で受け止める。


 その間に、二階堂は空中でなんとか体勢を立て直して着地、無様に倒れることだけは避けた。


(一瞬で一部分だけ変化させられるなんて……。呪物のせいなのか?)


 二階堂は、そんなことを考えながら武器を構え直す。視線を玖遠と蒼矢に向けると、二人の力は拮抗しているようだった。


 同じ九尾の狐であるとはいえ、体格差は確実にあるのだから、力の差もそれなりにあるはずだ。しかし、二人の間にはそれがほぼないように見えた。


「――くっそ!」


 蒼矢は、渾身の力で玖遠を弾き返すと、数歩分飛び退いた。


 玖遠は、空中で難なく体勢を整えるとひらりと地面に舞い降りる。


「蒼矢、大丈夫か!?」


 二階堂が駆け寄ると、


「ああ、なんとかな。しっかし、なんつー馬鹿力だよ。手、しびれたっつの」


 そう言って、蒼矢は右手を数回振った。

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