第37話

 アルコールが回るにつれて、ヒメコの母は饒舌じょうぜつになっていき、娘の自慢話も飛び出すようになってきた。

 幼少期のヒメコの話なんか、初耳なわけだから、楽しくないわけがない。


「見て! 見て! 坂木くん! これ、ヒメコが集めているコスプレ衣装のコレクション! あの子って昔から白雪姫とかラプンツェルの格好するのが好きで、てっきり10歳くらいで卒業するのかと思いきや、今はこんな感じになっちゃった! 年々スペースを食い潰していくから困っているのよ!」


 困った娘でしょう、みたいなニュアンスであるが、ヒメコがかわいくて仕方ないのが本音だろう。

 優しいお母さんだな、と思ったミチルの表情も自然とほころぶ。


「たくさんのお洋服に囲まれて暮らすのは、女の子の夢だと思います」

「でしょ〜。私が生まれた家は貧乏だったからね〜。お洋服もお姉ちゃんのお下がりでね〜。それが嫌だったから、ヒメコが欲しい服は全部買ってあげるようにしているの! なのに……なのに……ヒメコったら、パソコンに向かって話すビジネスで勝手に稼ぐようになっちゃって、もうお洋服代はいらない、とか言い出すのよ!」


 バランスを崩したヒメコの母をとっさに支えた。

 テーブルの上にあった緑茶のペットボトルに手を伸ばし、飲みますか? と勧めてみる。


「ありがとう」

「かなり酔っているみたいですけれども、大丈夫ですか?」

「へ〜き、へ〜き。私って顔は赤くなるけれども、意識ははっきりしているから」


 目元が朱に染まっており、やけに色っぽいなと思ってしまう。

 ミチルが油断していると、柔らかな手で頭をナデナデされた。


「坂木くんって、かわいいな〜。ヒメコはかわいい系の男子が好きなのかな〜」

「はっ⁉︎ かわいいといわれたの、生まれて初めてですが⁉︎」

「あら、そう? 温和な性格が表情に出ているわよ、君」

「ですか……」


 今日は軽いあいさつくらいで終わるつもりが、ミチルの内面にも踏み込まれたので、タジタジになってしまう。

 肝心のヒメコはというと、健やかに眠っており起きそうな気配がない。


「坂木くんは彼女がコスプレ趣味を持っていても平気?」

「むしろ、ご褒美ですね」

「なにそれ。おもしろい。この中にある衣装だと、ミチルくんはどれが好きなの?」


 指さしてみろ、と視線でうながされる。

 個人的な趣味を訊いているのか、ヒメコに似合うと思うコスプレ衣装を訊いているのか、とっさに判断できないミチルはあごに手を添えて考えた。


「俺が好きなのは、この紫色のドレス、イルミナ=イザナの衣装です。イルミナ=イザナというのは、ヒメコさんが自分でデザインして、自分で演じている架空のキャラクターのことです。ヒメコさんは観賞用といって、着るつもりが皆無らしいですが……」


 それから、とある女子校の制服を指さした。


「これ、ひと昔前に大ヒットしたラブコメ漫画の制服なのです。これがヒメコさんに一番似合うと思います。作中のヒロインに不幸体質の女の子がいて、周りの友達を不幸にしてしまうせいで独りぼっちなのですが、主人公が寄り添ってあげるエピソードが好きで……。その子とヒメコさん、かなり似ている気がします。普段は澄ましているけれども、笑った顔がとても素敵なんです」


 ヒメコの母は、ふ〜ん、と意味深な笑みを浮かべた。

 そして背後を見ないまま、


「だってさ、ヒメコ。良かったね、坂木くんから愛されて。あなたたち、お似合いのカップルじゃん」


 と予期せぬメッセージを発する。


 まさかと思ったミチルが振り返ると、そのまさかの光景が待っていた。

 ヒメコが目覚めており、ゲーミングチェアの上でクッションを抱きしめている。

 頬っぺたを真っ赤に染めており、ウサギみたいに鼻をぴくつかせる。


「お母さん⁉︎ なんでいるの⁉︎」

「母がいて悪いか? ここは自分の家だもの。本来母がいるべき場所よ」

「そうじゃなくて……友達とご飯を食べてくるって……」

「ああ、友達がノロウイルスにかかっちゃって。急にキャンセルになりました」


 ヒメコの母は舌を出しておどけるように笑い、ミチルとヒメコを交互に見た。


「帰ってきたら坂木くんがいるんだもん。驚いちゃったよ。しかも、親がいない隙にラブラブ勉強会とか、ヒメコもやるじゃん。でも、坂木くんを放置して勝手に寝ちゃうのはダメでしょ〜」

「あぅあぅ……だって、気づいたら寝ちゃっていたもん……」


 ヒメコの困り顔がおもしろくて、ミチルも笑ってしまう。


「おっと、2人きりの時間を邪魔しちゃいました。ごゆるりと」


 ヒメコの母は部屋を出ていこうとして一度振り返る。


「あんたたちって、もうキスは済ませたの? やることやってもいいけれども、お母さんたちの避妊具の場所わかる?」

「消えちゃえ! バカ! 酔っ払い!」


 ヒメコは手近にあったクッションを投げつけた。

 迫力たっぷりの表情なのだが、お腹は正直だから、ぎゅるる、とマヌケな音を奏でる。


「ヒメコちゃんのお母さんって、おもしろい人だよね。お酒を飲んでなくても、あんな感じなの?」

「あ〜、う〜、お酒を飲んだら顔が赤くなっちゃう人だけれども、性格が変わっちゃったり、床で寝ちゃったりとかはしない人かな。年中ハイテンションかも。バカっぽいお母さんでごめんね」


 バカっていった……。

 この母娘、お互いのことをバカと思っているのか。

 血は争えないなと思ったミチルは、ヒメコにバレないよう苦笑しておく。


「でも、お母さんのことは好き。一番の友達みたい。いつだってヒメコの話を聞いてくれるから。一度話したことを、すぐ忘れちゃうのが玉にきずだけれども……」


 ヒメコは嬉しそうに口元を隠した。


「あ、もうこんな時間だ。ミチルくん、帰らなくても平気?」

「うん、あと30分くらい勉強していこうと思う」

「それじゃ、私もがんばります!」


 一生懸命なヒメコのために、ミチルは手作りの『公式暗記ブック・次回のテストver』を渡しておいた。

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