第22話

 カチャカチャと食器のぶつかる音が近づいてくる。

 ゆっくりと開いたドアの隙間から、両手にトレーを提げたヒメコが入っていた。


「あっ! ごめん! いってくれたら俺がドアを開けたのに!」

「ううん、平気。両手がふさがっていても開けるのに慣れているから」


 2日連続でお邪魔してしまった。

 付き合い始めたばかりの彼女の部屋に。

 これはキスする日、下手するとそれ以上に進んじゃう日も近いのではないだろうか⁉︎


 トレーをテーブルに置いたヒメコは、花柄のティーポットを誇らしそうに持ち上げる。

 ショートケーキに合うよう、ローズ系の香りがする紅茶をれてくれたらしく、ミチルの喉がごくりと鳴った。


 同じく花柄のティーカップが2つ。

 ショートケーキはハート型のお皿にのっており、とてもじゃないが2個298円とは思えない高級感をまとっている。


 お母さんが食器を集めるのが好きで……。

 ヒメコはそう前置きしていたが、この茶器は母のものではなく、ヒメコが自分で選んで買ったやつらしい。


「もしかして、紅茶は海外から取り寄せたりするの?」

「ううん、日本のお店でもたくさんの種類を取り扱っているよ。お試しサイズだと25gからでも買えるんだ」


 ミチルの口からこんな質問が出たのは、イルミナ=イザナが配信の中で、


『今日の紅茶の銘柄は〇〇というやつで〜』


 と時おり話していたからだ。

 本人が使用しているティーポットを前にすると、なんとも感慨深いものがある。


「なんか悪いね。お邪魔した上に紅茶までご馳走になって」

「ケーキをくれたから、差し引きトントン……なんちゃって」


 ヒメコがいたずらっぽく舌を出すものだから、あまりの愛らしさに心臓が暴れる。


 ヤバい……。

 一瞬、この場で押し倒したくなったかも。


 なんというか、ヒメコは無防備が過ぎる。

 ミチルは異性にもっとも興味がある年頃というのに。

 もう少し警戒してくれないと、誘っているのかと勘違いしそうになる。


 さっそくケーキを食べようとした時、小さなアクシデントが起こった。

 ヒメコの胸元にケーキがひと欠片かけら落ちちゃったのである。


「汚れちゃった……」


 何をするかと思いきや、シャツのボタンを外して、ティッシュでクリームをぬぐっている。


 ミチルの目と鼻の先には、淡いブルーのキャミソールが、その奥にはブラジャーの白いストラップが見えている。

 シャツも半脱ぎだからこそ、エロさが倍増している。


「えへへ……私ってドジで」

「いや……別に……悪いことじゃないと思う」


 何をいってんだ、自分は。

 何をやっているんだ、ヒメコは。


 異性の前なのだぞ。

 大きすぎる2つの膨らみは目の毒でしかない。


 ミチルは眉間のあたりをいじくって、なるべく直視しないよう努力したが、指の隙間からチラチラと観察してしまう。


 触れてみたい。

 軽くでいいから触りたい。

 お金を払ってもいいから。

 触りたい……触りたい……触りたい……。


 そうだ、素数だ!

 煩悩ぼんのうに流されそうになったら素数を数えるといいらしい。


 2……3……5……7……9……は素数じゃないから……11……13……。

 37まで数えたとき、ようやくヒメコがボタンを閉めた。


「あれ? 坂木くん、どうしたの? 何か気になることでも?」

「え〜と」


 神木場さんの胸が気になって……。

 という破廉恥はれんちなセリフはぐっと呑み込み、姿勢を正しておいた。


「今日の神木場さんもかわいいと思って」

「はうっ⁉︎」


 ヒメコは赤面しつつフォークをくわえた。

 幼気いたいけな小学生みたいで、かわいいしかない。


「坂木くん……反則なのです……不意打ちのかわいいは」

「ごめん、ごめん、許してくれ」


 くそっ……かわいすぎて吐きそう。

 思いっきりハグして、体臭をスースーしたい。


 ロリっ娘の良さに目覚めそうになったミチルは、自分の太ももを強くつねって、消えちゃいそうな自制心を復活させた。


 付き合って2日目なんだぞ。

 だから早まるな、と自分を説得する。


「そういう坂木くんだって、今日は格好いい」

「はぁ? 俺が? いや、普通だと思うけれども……」

「私の依頼を引き受けてくれた。保健室まで会いにきてくれた。わざわざケーキを買ってきてくれた。だから、たくさん格好いいのです」


 ヒメコは赤面したまま、ぷいっとそっぽを向く。

 どうやらミチルの謙遜けんそんが気に入らなかったらしい。


 意外に頑固というべきか、わりと幼稚というべきか。

 こうなったら意地と意地のぶつかり合いである。


「神木場さんのかわいさが上だね!」

「坂木くんの格好よさが上だもん!」

「いいや、神木場さんが上!」

「いいえ、坂木くんが上!」


 小学生みたいなやりとりをしていると、2人は同じタイミングで気づいちゃったものだから、天井に向かってゲラゲラと大笑いした。

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