第44話 最後の告白・1

 いつもと同じようで、何となく少しだけ違う放課後。

 春果はいつかと同じように、西日の差し込む教室で静かに駆流を待っていた。


 今回も窓側の席に座っているが、頬杖をついてのんびり窓の外を眺めていられるだけの余裕があった。

 前の時とは違い、今日の心の中は嘘のようにとても落ち着いている。まるで悟りを開いたような気分だ、と春果は心の中で一人微笑んだ。


 外からは運動部だろうか、大きな掛け声や歓声が絶え間なく聞こえてくる。


 好きな人を前にして、もうスマホの待ち受け画面を隠す必要はない。無理に腐女子を誤魔化すことだってしなくていい。

 ただ、ありのままの自分でいればいい。


 そんなこと、他人から見れば当たり前のことなのだろうが、今の春果にはそれが何だかとても幸せに感じられた。


 今日の目的は、先日した駆流との約束を果たすことだった。


 やっと出来上がったものを見せて、改めて告白するのである。

 返事は今回も考えたところでわかるはずがないから、一切考えないようにしている。

 もちろん良い結果になることを切望しているが、もし悪い結果だったとしてもそれはそれで真摯に受け止めるつもりだ。


(どうにか終わらせたけど、本当にしんどかった……っ)


 ここ二週間ほどの大変だった日々を振り返りながら、春果は机の上にへなへなと突っ伏した。


(途中で死ぬんじゃないかとすら思ったよ……!)


 毎日数時間しか寝ていなかったから、授業中に限らず常に眠気が付きまとっていたし、目の下のクマだって酷いものだった。

 疲れから来るだるさもなかなかの曲者で、「今日は学校休みたい」と何度思ったか知れない。


 結果的には授業中に倒れてしまい、駆流と朝陽に多大な心配をかけることになってしまったことは今でも申し訳ないと思っている。


 駆流だけでなく、後から保健室に来てくれた朝陽にもきちんと謝ったが、朝陽は春果の顔を見るなり、「もうこれ以上心配かけないでよ……」と絞り出すように一言漏らし、大きく安堵の溜息をついたのだった。


(正直、ここまで大変だとは思ってなかったからなぁ。ちょっとどころかかなり甘く見てたよね……。でもちゃんと完成できてよかった)


 完成度が高くないだろうことはよくわかっているが、自分なりにしっかり最後まで終わらせることはできた。

 駆流のレベルには遠く及ばないし、今だって見せるのは恥ずかしいと思っている。

 それでも、自分の気持ちをはっきり伝えるにはこの方法が一番いいはずだと考えた。


(まあ、やれるだけのことはやったし、これで後悔はしない……はず、多分)


 うんきっとそうだ、と自身に思い込ませながら、鞄とは別に持ってきていた大きめの紙袋からこれまた大きな茶封筒を取り出す。

 ずしりと重そうなそれを机の上に置くと、そっと表面を撫で、いとおしそうに眺めた。


(これだけ頑張ったんだもん、気持ちはちゃんと伝わるよね)


 中に入っているのは、自分の精一杯を詰め込んだ、駆流のためだけに創り出したもの。

 春果の分身とも呼べるものだった。


(むしろこれで伝わらなかったら困るんだけど……)

 

 茶封筒を前に、両腕を組んで唸る。

 さすがにここまでして伝わらなかったら、駆流の鈍さに辟易してしまうだろう。


 万が一そうなった時はどうしたものか、と考えていると、教室のドアが開く音が聞こえた。

 今回の春果は心臓が飛び跳ねることもなく、冷静に顔を上げると、現れた人物をしっかり見据えたのだった。



  ※※※



「東条、待ったか?」


 いつもと変わらない爽やかな駆流の笑顔に、春果はほっとしながら、同じように笑みを返した。


「ううん、全然待ってないよ」


 前の時はドアの開く音だけで死ぬほど緊張していたのが嘘みたいで、何だか不思議な気持ちになる。

 それはきっと、今はある種開き直っているからなのかもしれない、と春果は思った。


「それならいいんだけど」


 言いながら、駆流が春果の方へと歩を進める。

 そして春果の隣の席まで来ると、同じように椅子に腰を下ろした。


「で、やっと完成したって言ってたやつって何? 俺、ずっと気になってたんだけど」


 ちゃんと我慢して待ってたよ、と屈託のない笑みを浮かべる駆流に、


「あ、えっと、これ……なんだけど」


 春果は机の上に置いたあった大きな封筒を手にすると、やや躊躇いがちに差し出した。


「これ? 随分大きな封筒だし、しかも結構重いな。中、見ていいのか?」


 素直に受け取った駆流が不思議そうに首を傾げる。


 普通郵便サイズの可愛らしい封筒ならある程度中身を察することができるかもしれないが、さすがにこの大きさの茶封筒では中身が何なのか、まったく想像もできないのだろう。


「うん、篠村くんに見て欲しいの」


 春果が目を細めて頷くと、駆流は「じゃあ」と少し緊張した面持ちでゆっくり封筒の中に手を差し込み、中身を取り出した。


「これって……」


 出てきたものに一瞬目を見張った駆流が小さく呟く。そして静かに顔を上げると、春果の顔を見た。

 目が合った春果は、無言で照れ臭そうに頬を掻いた。


「まさかこの原稿、東条が描いたのか?」

「……うん」


 今度は、小さく首を縦に振って肯定する。


 封筒から出てきたのは、同人誌用の原稿用紙の束だった。

 改めて原稿用紙に目を落とした駆流が、ざっとその枚数を数える。少しして数え終わると、また顔を上げ、驚いた表情を春果に向けた。


「これ全部!? 三十枚以上あると思うけど、もしかして一人で?」

「うん、一人で頑張ったよ」


 春果の言葉に、駆流は顎に手をやりわずかに考え込む素振りを見せると、


「ああ、だから何週間もかかったのか」


 ようやく合点がいったように、真面目な表情で何度も頷いた。


 そう、春果は約二週間でこの漫画原稿を完成させたのである。


 漫画を一つ完成させるのは、今回が初めてのことだった。

 以前、駆流に「漫画も少しだけ描いている」と話したことはあったが、実際にストーリーを始まりから終わりまで考えて描いたことはなく、いつも適当に描きたいシーンだけを描いてそれで満足していたのだ。


 つまり、完成させたことがなかったのである。


 そんな春果が漫画を完成させるのには、描き慣れている人間の何倍もの時間がかかった。おそらく駆流の数倍はかかっただろう。

 もちろん、ベタやトーン貼りなど慣れている作業もあるにはあったが、今までペン入れというものをきちんと真面目にやったことがなかった。


 また、今回のストーリーと登場させるキャラクターは始めから決まっていたのだが、それをネームに起こすのが大変だった。

 これまでやったことのない作業だったのだから当たり前なのだが、ここでかなりの時間を取られてしまった。

 もしこれがスムーズに進んでいれば、もっと早くに原稿を完成させられていたはずだし、寝不足と疲労で倒れて駆流や朝陽に心配をかけることもなかっただろうが、それは初心者の春果にとっては仕方のないことだった。


 予定よりも時間がかかってしまったが、それでもどうにか完成させることはできた。

 春果にとっては初めての完成作品であり、様々な思いが詰まったとても大切なものである。


「初心者がこんなに根詰めて原稿なんてやるもんじゃないよね。何とか完成はさせたけど、篠村くんに心配かけちゃったし」


 春果がこれまでのことを思い返しながら苦笑する。心の中では、「しばらく漫画描くのは遠慮したいな」などと思っていた。


「原稿やるんだったら、言ってくれたら俺も手伝ったのに」


 水臭いな、と駆流がわざとふてくされたように言う。


 実際に漫画を描いている人間として、大変さが身に染みこんでいるからこそ出てきた言葉だということは春果にもすぐわかったし、普段なら手伝いをお願いしていただろうが、今回だけはどうしてもできなかった。


「ごめんね、ありがとう。でもそれは絶対にダメだったの。私一人でやらなきゃいけないものだったから」


 春果が素直に謝罪とお礼を述べると、駆流は怪訝そうに首を捻った。


「そうなのか?」

「うん。さっきも言ったけど、篠村くんに読んで欲しいものだったから。手伝ってもらったらネタバレになっちゃうもん」

「そっか、なら仕方ないよな。でも次は手伝わせてくれよ?」


 ようやく納得したらしい駆流が、「俺、きっと役に立つよ」と白い歯を見せる。


「わかった。次はお願いするね」


 春果は今回で懲りたから当分は漫画を描くことはないだろうけど、いつかまた描く時が来たらと思い、頷いた。


「じゃあ早速読んでもいいか?」


 もう我慢できないとばかりにソワソワし始めた駆流が、これまで手に持ったままだった原稿用紙の束に視線を落とす。


「は、はい! よろしくお願いします!」


 咄嗟に敬語で返してしまった春果の声が綺麗に裏返った。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る