第34話 推しが尊すぎるからこそ
それからしばらくして。
やはり三個ずつかごに入れていく駆流と、その様子を「すごいなぁ」と思いながらも、若干冷めた目で眺めている春果。
すっかりそんな構図が出来上がっていた。
(うーん、私は金銭的な問題もあるからさすがに三個ずつは買えないし、それ以前にそんなにはいらないなぁ……って、これは……)
そこで春果はあるものに目を止めた。
「これは買わないの?」
これまで駆流が目もくれないそれを指差す。
「ああ、これか」
言われて、ようやく指差されたそれに目を向けた。
どこからどう見てもよく目立つ、大きな抱き枕だった。全面にキャラがでかでかとプリントされている。しかも推しキャラだ。
しかし、駆流は即答した。
「これは買わない」
「何で?」
怪訝な顔で、春果が小首を傾げる。
推しがプリントされているのに、買わないとはどういうことなのか。
それとも、さすがにこれを三個買うのは金銭的にも、持ち帰るのにも無理だと判断したのだろうか。
いや、後者の場合は駆流のことだから買うとなったら意地でも持って帰るだろう。きっとタクシーを使うことも辞さないはずだ。ならば、やはり金銭的な問題か。
そんなことを考えていると、
「推しが尊すぎるからこそ買えない、いやあえて買わないんだ!!」
駆流がまた拳をきつく握った。
「……はあ」
よくわからないまま、春果は一応曖昧に相槌を打っておく。
考えていた理由はすべて間違っていたし、これまた意味不明の理屈が返ってきた。
「東条、よく聞くんだ」
駆流の言葉にさらに力がこもるのがわかった。
(おお、力説モードに入った。これはまたとんでもない言葉が飛んでくるぞ)
咄嗟に身構えるが、喜んでいいのか悪いのか、このパターンはすでに慣れっこになっていた。
「いいか、抱き枕を買ってしまうとずっと抱いていたくなるよな?」
「えっと、まあ」
その主張は理解できるので、そうだな、と同意する。
推しとずっと一緒にいられるなんて幸せじゃないか、自分だってずっと抱いていたいに決まっている。
そこは駆流と同意見だ。
「そうするとどうなるかわかるか?」
「うーん……?」
春果は腕を組んで宙を睨む。そのまましばし懸命に考えるが、答えは出てこなかった。
仕方がないので、手を上げ素直に答えを仰ぐ。
「すいません、先生。わかりません!」
「つまり原稿ができなくなるってことだ!!」
「はっ!!」
駆流の即答に目を見開く。
言われてみればその通りだった。
ずっと抱いていたくなる、ということは、ずっとベッドで抱いたままゴロゴロしていたいということだ。要するに、まったく原稿が進まなくなるということとほぼ同じ意味になってしまう。
それは同人作家である駆流にとって大問題である。
また抱き枕の有り無しで原稿の進み具合が変わるということは、原稿を手伝うことになるかもしれない春果に回ってくる仕事の量も変わってくるということにもなる。
春果にとっても、それは大問題だった。
一緒に原稿ができるのは嬉しいが、いつかのような修羅場だけは勘弁願いたい。
どうせなら、もっとほのぼのとした雰囲気の中で、和気あいあいと作業をしたい。いや、させてください。
(それは絶対やばい……!)
春果の顔はみるみるうちに青ざめていくが、駆流はそれに気付かないらしく、さらに続けた。
「それにもし買うとしたら推しカプで揃えたい。そうすると必然的に二個になる。さすがに三個ずつは買わないとしても、その結果ベッドの上がどうなるかわかるよな? もちろんいかがわしい意味ではなく、物理的な意味でだ」
「えっと……」
気を取り直し、大きな抱き枕が二個、ベッドの上にある様を想像する。
推しが二人、ベッドで仲良く横たわっている。
「先生、わかりました! 絵的に幸せ……じゃなくて、自分がベッドで寝られなくなります!」
「よくできました! その通り!」
駆流は、まるでクイズ番組で正解が出た時の司会者のようなわざとらしい口調でそう返すと、次には表情を一転させ、
「だから、キングサイズとか大きなベッドにしないと絶対に買えないんだよ……っ」
悔しさをにじませた瞳で、改めて拳を強く握りしめる。
「うん、すごいよくわかった……」
確かにそれはわかる、自分も同じだ、と今回は素直に納得できた春果は、ぼんやりと遠くを眺めながらも力強く頷いたのだが、
(でも、絶対にベッドの上に置かないといけないわけじゃないよね……)
そんな現実的なことを、頭のどこかでちらりと考えてもいたのだった。
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