第11話 人を指差してはいけません
売り子は金銭管理さえできていればいい、駆流にはそう言われたが、さすがにそれだけではダメだろう。
接客的なものはまだいいとしても、そもそもお金が絡むのだから、適当にやるわけにもいかない。最終的に金額が合わないといけないのだから当然だ。百円少なくてもダメ、多くてもダメなのだ。
一応、後から駆流に「金銭管理が一番難しい」と懸命に訴えてはみたが、「東条なら安心して任せられる!」ときっぱり言い切られてしまった。
信頼してもらえるのは素直に嬉しかったのだが、「もう一人売り子がいるから心配ない」と付け加えられ、春果はそれならきっと大丈夫だ、と安堵したのと同時に、もしかしてそれは女の子なのだろうか、と今度は違う方向に不安ができてしまったのである。
※※※
オンリーイベント当日、サークルチケットで一般入場者より早く会場入りした春果は、サークル配置図を見ながら駆流のサークルが配置されている場所を探していた。
ホールの中に沢山並べられた机の周りでは、あちこちのサークルがせわしなく、これから始まるイベントの準備をしている。
新刊がいっぱい詰まっているであろう大量のダンボールに、サークル参加者たちが各々で持ち込んだ大きな荷物。
これから設営を始めるらしいサークルに、すでにほとんどの準備が終わってパイプ椅子に座り、数人で談笑しているサークル。
こんな光景を見るのは初めてで、ワクワクした。
「こうやって準備してるんだ……!」
嫌でもテンションが上がってしまう。
見るものすべてが新鮮で、つい好奇心の赴くままにキョロキョロと辺りを見回してしまっては、その度に足が止まる。
それくらい、今の春果にとってはとても魅力的な空間だった。
「いやいや、今は篠村くんのスペースを探さないと」
いつまでもお上りさん気分で、のんびり眺めているわけにはいかない。
春果は煩悩を振り払うかのようにぶんぶんと頭を振ると、改めて手にした配置図に視線を落とす。
「もう少し先っぽいかな」
考えつつ顔を上げて、先に進もうとした時だった。
「東条」
誰かの小さな声と共にいきなり後ろから腕を掴まれて、春果は咄嗟に振り返った。
「……え?」
その瞳に映ったのは、黒髪ロングの美人。
初めて見る人だった。
けれど腕を引かれる時に聞こえた声は、どこかで聞き覚えのあるものだったような気がしなくもない、と思った。
だが、思ったのはほんの一瞬だ。次の瞬間には、そんな考えがどうでもよくなるような彼女の容姿に、春果は息を呑み、瞠目したのである。
女性にしてはとても背が高い。スタイルも良くて、きっとモデルか何かだろうと漠然と考えた。
もちろん見た目だって、元々美しいと思われる顔にこれまた綺麗にメイクをしていて、ほぼノーメイクに近い春果とは対照的だ。
モノトーンを基調にした服装こそシンプルではあったが、それが逆に綺麗な顔をさらに引き立たせていた。
背も高くて顔も綺麗で、何て羨ましい容姿をしているのだろう、と春果はちょっとだけ嫉妬してしまう。
(これくらい美人なら、篠村くんに付き合ってもらえるのかな……)
いくら願っても叶うわけがないと知りながらも、つい考えてしまい、すぐに後悔した。
それにしても、明らかに違う世界に住んでいそうな美人さんが、自分に一体何の用があるのだろうか。
それとも人違いなのかもしれない、とふと思った。
(ああ、そうか。きっと誰かと間違えたんだ)
ようやく合点がいって、「人違いですよ」と口を開こうとした時、先に美人さんの薔薇色の唇が動いた。
「東条!」
発せられた自分の名前と、綺麗な顔からはとても想像もつかないようなギャップのある声音に瞬きも忘れ、ん? と首を傾げる。
掠れて聞こえるくらいの小声ではあったが、やはりその声はよく知ったものだ。つい最近仲良くなれた人のことを思い出した。
「え、まさか……」
思わず指を差して、そのまま一歩後ずさる。『人を指差してはいけません』という、幼い頃よく言われたことなどすっかり忘れて、硬直した。
そんなはずはない、と思いたかった。
自分より美人な、目の前の人物を『その人』だとは認めたくなかった。認めたらきっと自分の立場がなくなってしまう。
けれど、現実は実に残酷なもので。
「俺だよ、俺!」
さらに追い打ちをかけるような言葉に、春果は落胆の色を隠すことなくうなだれる。
まるで『オレオレ詐欺』に遭ったようだ、と遠のきそうになる意識の中で、そんなことをぼんやり思った。
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