6.黒と銀・下

 等間隔に幾重にも敷き詰められた、白銀に煌めく結晶。

 床にも、壁にも、天井にも。視界に入る全ての構造物が、氷結石と呼ばれる鉱石で造られた王の居城。冷気を蓄え、外気温に左右されない一定の温度を保つ事が出来る室内には、一つの玉座があった。

 雪塊のような重厚感ある脚部に、金縁で飾られた神々しい佇まいは、この城の主にこそ相応しい神秘的で美しい一級品である。


「あぁ、ルシフェル様。本日もお美しい……」


 背中に金管楽器を背負い、玉座の前に跪いている眷属。心に思っている事が思わず口に出るタイプなのか、玉座を見上げながら独り言のように声が漏れている。

 そんな彼の見事に手入れがなされた枝毛ひとつない青白い髪。その奥にある水晶のような澄んだ瞳は、ただ一点を見つめていた。


「ビュレトよ。いつまでそうしているつもりだ?」


 眷属――ビュレトが見つめる視線の先にいた玉座の主が、ため息交じりに尋ねた。すらりと伸びる脚を優雅に組み、太腿の上付近で指を重ね合わせている。自信と威厳に満ちた清々しいその表情は、この白銀に包まれた第九階層を統べる唯一無二の存在――しろがねの魔王ルシフェルであるがこそだ。


「失礼致しました、ルシフェル様。貴方様があまりにもお美しいもので、つい見惚れてしまいました……」

「……そうか」


 恍惚の表情でこちらを見上げるビュレトに対して、ルシフェルは流すように返答する。

 ビュレトはありとあらゆる美しいモノを愛でる癖がある。そんな彼の視線を浴びるのは今となっては慣れたものだが、流石に心地よいものではない。尊敬の念を向けられるのはやぶさかではないものの、最近のビュレトの視線には何か別のものも混じっているような気さえしていた。


「……ところでルシフェル様。聖戦に関してなのですが……」

「なんだ?」

「赫の魔王が不在の今、ルシフェル様が魔界の代表になられるのは必然だと皆が承知の事。なのになぜ、あのような茶番を?」

「ふっ……茶番、か」


 ルシフェルは含んだ笑みを浮かべる。

 確かにビュレトの言う通り、赫の魔王不在の今、魔界のパワーバランスは以前とは大きく異なっている。

 現在、七大魔王の中でも最古参なのは、黒の魔王ベルゼビアと蒼の魔王リヴァイア。そして――銀の魔王ルシフェル。この三人の魔王たちは、大魔王サタンと同格とも呼べる強大な存在だ。

 しかし、魔界は完全実力主義。強き者が正しく、弱き者は淘汰される。

 古くから存在しているというだけでは、まったくもって強さの証明とはならない。ましてや、最強と名高い赫の魔王因子を持たぬ者にとっては尚更だ。

 だからルシフェルは己の存在を、そして強さを証明する。盟友亡き今、魔界を統べるのは他でもない自分自身であると強く信じて。


「仮に茶番だったとしても、奴らはそれに乗ってきた。それがどういう事かわかるか?」

「……いえ」

「皆、私と同じ……という事だ」

「それはつまり……?」

の機を狙っているのだ」

「なるほど」


 真意を理解したのか、ビュレトはにやりと口角を上げる。

 するとルシフェルに突然、耳鳴りのようなものが聞こえてくる。

 そして顔色ひとつ変える事なく、玉座からスッと立ち上がった。


「ル、ルシフェル様。どちらへ!?」

「どうやら……客が来たようだ」


 第九階層に延々と降り続く雪は、この階層に潜む”とある魔物”の能力によって、そのひとつひとつがセンサーのような役割を果たしている。先程の耳鳴りは、その魔物からの報告である。

 どこから、何者が、どこに、と言ったような細やかな報告が出来ない所に少し不満を持っていたりもするが、何も報告がないよりはマシだ。


「そ、それならワタクシが!!」

「いや、いい。どうせ用があるのは私だろうからな」

「で、でも――」


 ルシフェルは片手を挙げて制止する。

 本来なら眷属に向かわせるべき案件だが、今の状況でこの地にやって来る者は限られてくる。故に、自身が直接向かったほうが間違いない。


「では、行ってくる」

「……いってらっしゃいませ」


 顔を伏せて見送るビュレトを見やりながら、ルシフェルは部屋を後にした。



 * * *



 雪は止んでいる。

 しかし辺りは一面、雪華の世界。

 冷えた空気と乾いた風が、肩から羽織った王威外套マントをはためかせ、白銀の長髪を揺らす。


(さて…………どこにいる)


 銀世界にポツリと佇むルシフェルは、静かに周囲の気配を窺う。

 視界を遮るものは何もない。全方位どこからやって来ようと、お互いに姿を確認できるようなひらけた場所だ。

 だからこそルシフェルは何も構えず、ただ立ち尽くす。その時が来るのを待つだけだ。すると――


(あれは……!)


 ルシフェルの視界の先に、ひとつの影を捉えた。

 そしてゆっくりと、真っ直ぐにこちらを目指して近づいてくる。

 その影は黒かった。辺り全てを白が支配するこの景色に、ただひとつ動く黒。

 その様はまるで異物。

 あらゆる光を影に落とし、舞う残雪ですら漆黒に変えるほどに。


「……ベルゼビア」


 ルシフェルはとある魔王の名を口にした。

 第八階層を統べ、自身に並ぶ実力を持つ黒の魔王。蒼の魔王と同じく、大魔王と共に魔界の黄金時代を築いた古き魔王の一人。

 そしてそれこそが、いまルシフェルの目の前に現れた存在の名である。


「……よう」


 挨拶でもするかのような軽い素振り。しかし黒目の三白眼は笑っていない。

 口元を漆黒のコートで覆っているため声は小さく表情も読めないが、長い付き合いのおかげでコミュニケーションに問題はない。


「ふん、まさか貴様だったとは」

「……黒ごまプリンが待ってるからな」

「プリン……?」

「……悪い、こっちの話だ」


 ルシフェルは眉をひそめる。

 ベルゼビアが甘党なのは知っているが、それとこれと何の関係があるというのか全く想像がつかない。

 というよりも、ベルゼビアはいつもそうだ。まるで自分には何も関係がないかのように飄々としている。七大魔王としてあるまじきそんな振る舞いに、ルシフェルは密かに不快感を抱いていた。


「それで、何の用だ」

「……あぁ、えっと……別に」

「貴様……! 舐めているのか……!?」

「……そういうわけじゃない。ただ――」


 ベルゼビアの三白眼が僅かにつり上がった。


「……全部全部、お前の思った通りになるのが面白くないんだよ」

「ほう……」


 もう言葉は必要ないと互いに理解したのか、自然と会話が終わる。

 両者の間にあるのは、相手への軽蔑と己の誇り。

 決して交わる事のない白と黒。

 その後の展開は必然だった。


 ――ガチャン。


 ベルゼビアは銃口が二つあるリボルバーを構えた。

 直後、一切の躊躇なく引き金をひく。

 爆音と共に放たれた二つの弾丸がルシフェルに迫る。

 至近距離、回避は不可能。ルシフェルは動かない。否、動く必要がなかった。


「無駄だ」

 

 ルシフェルの全身にしろがねの魔王因子が駆け巡る。

 紋様のように浮かび上がる強大な因子の血流は、雪華のような幻想的な色彩を放っている。

 そしてルシフェルの目の前まで迫った二つの弾丸は、まるで時が止まったかのようにピタリとその動きを止めた。


「……やっぱりダメか」

「わかっていて何故試す?」

「……万が一って事もある」

「それはない」

「……じゃあ億が一」

「そういう問題ではない」

「……そうか」


 ベルゼビアは再びリボルバーを構えた。

 静かな銀世界の中、何発……何十発もの弾丸の音が轟く。


 相容れぬ白と黒。

 強大な二人の魔王の争いは、半日以上続く。


 そしてこの時、両者はまだ気づいていない。

 戦いの最中、知らぬ内にお互いが微笑みあっていたという事に。


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