第3話 一抹の不安

空を見上げたまま男はつぶやく。


「人は残酷さと儚さを持ち合わせたものだ。お前もそれは理解しているのではないか?」


 そういうと男は枝葉を弄びながら絃葉に問いかけた。


「ええ、まあ……それは」


 突然の言葉に動揺しつつ、視線を逸らす。幾つもの戦を切り抜けてきた久峨家だ。戦を経験したことは無いがこれでも由緒ある家柄の娘なので幾年も前の話を聞いた事はある。代々伝わる宝刀の話や家臣の話、散華した者の話──先祖の功績の話を誇らしげに父、梓忠がしているのを何度聞いたことか。


「お前はその者達をどう思っている?殺し殺され、そして散った者達を」

「……正直わからないわ。けれど散華した人やその戦は無駄なものとは思ってない。それぞれの信念を貫いているのだから」


 言い切ると、男は色香を感じさせる怪しげな含み笑いを浮かべた。ゾクリと背筋に悪寒が這い上がるのは気の所為だろうか。今何をこの男は思っているのだろう。腹の底を探ろうとしても、蜃気楼の様に掴むことは出来ない。


「久峨……か。なるほど。血は争えんな」

「な、何?」

「いや。気にするな、こちらの話だ」


 そう告げる男の表情には先程感じた違和感は一切ない。まるでさっき見た怪しい笑みは幻覚だと錯覚させる程に。妖は人を惑わす。そんな幼い頃聞いた言葉が蘇った。考えてみると男が自分を連れ出した理由も知らない。何故。どうして自分を。そんな禅問答の如く頭を駆け巡る疑問。それは次第に不信感へと変わる。


「どうして私を連れ出したの?」

「数刻前に言った通り、お前の声が聞こえたからだ。ただの気まぐれだが」


 説明するつもりはないのか誤魔化すように肩を竦める男。そのまま足を止めることなく何処かへと向かう。気づいた時には城下町の端に差し掛かる所だった。


「どこに向かって──」

「川沿いの並木道だ。さっきお前は気になっていただろう?」

「え……?」


 思わず拍子抜ける。いざとなったら逃げようと警戒していたが、無駄に気負い過ぎていたらしい。


かどわかされるとでも思ったか?」

「そ、それは」


 図星だ。絃葉の警戒をよそに、男は桜が咲き始めている並木道で立ち止まる。静けさの中で微かに聞こえる優しい川の音。水面には月光が注ぎ、揺蕩っている。見上げると桜が闇を彩るように宙を漂っていた。時を刻むように頭上に舞い散る桜花。開花しているのは僅かだが、満開になればこの道は桃色に染まるのだろう。


「綺麗……」


 夜風が薄紅色の羽織をはためかせ、絃葉の艶やかな髪を靡かせる。月明かりによって黄金に輝いてる桜。手を伸ばすと、儚く可憐で繊細な花弁が絃葉の手の平へ落ちた。


「ふむ。夜桜はいいな。より花の色が引き立つ。お前は中々ここに来れなそうだからな。今のうちに見ておくといい」

「……ありがとう」


 目に焼きつけるように刹那の時を噛み締め

 る。普段この景色を自由に見る事が叶わないからこそ、特別な一時になる。もし。自分が旗本の家柄で無ければ外に出て自由に夜桜を嗜む事を許されたのだろうか。当たり前の日常と化していたのだろうか。切なさが込み上げ、絃葉は思わず目を伏せた。少しでも気を抜けば弱音が零れそうだった。弱さを見せるのだけは避けたい。これでも久峨家の娘という肩書きを背負っているのだ。


「……その顔。お前はあの者によく似ているな」


 不意に隣にいる男が零す。聞こえてきたその声は注意していないと聞き取れないほど小さいもの。


「あの者?」

「ああ。時折見せる天命を受け入れたような儚い表情と、控えめだが芯の強いあいつに似ている」


 痛いほどの静寂が満ちる。川の音がやけに大きく感じる。妙な胸騒ぎ。目の前男は誰に思いを馳せているのだろう。男が突如屋敷の庭に現れたのも、絃葉を連れ出したのも何かの縁なのだろうか。


 ──お前は殺し殺された者、そして散った者をどう思っている。


 脳に蘇るのは尋ねられた言葉。戦で散華した武士の事を示して言っているのではなく、あれはもしかしたらのことを思い浮かべて聞いたのではないか。


「ねえ、貴方は一体何を隠しているの?」


 絃葉が尋ねると、男は僅かに目を見開く。しかしそれは一瞬で、次見たときにはもう飄々とした表情に戻っていた。


「……なるほど。中々聡いな。だが妖は秘密主義だ。謎めいている方が妖っぽいとは思わないか?」


 妖艶な笑み。楽しげに細められた青い瞳は真っ直ぐに絃葉を射抜いている。唆されそうな予感に絃葉は反射的に目線を逸らす。


「そろそろ屋敷に戻る頃合いか。行くぞ……

「な、んで……」


 一言も名前は教えていない。なのに何故この妖は知っているのか。何処かであった記憶も、見かけた記憶もない。初対面なのは確かだ。だというのに優しく響き、暖かなものが胸を満たしてゆく。名の呼び方。それが心に染み込み、意識が遠い過去に結びついていく不思議な感覚に陥った。

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