第5話 万屋の狸

 都心近くに位置するいろ加美かみと呼ばれる町に、華火達の住まいはある。ここは自然が多く残されており、並木道が続く。そこを、人間の大人も子供もせかせかと歩いているように見える。

 大方、駅というものを目指しているのだろう。人間は皆、電車というものに乗り、お役目を果たしに行くと聞いている。

 そして華火と山吹も、人の流れる方向へ屋根伝いに進む。


「駅のすぐ近くにある商店街が、あやかしの商店街の入り口にもなっています」

「随分とまぁ、賑わっているな」


 半円を描く大きな入り口から見えるものは、様々な妖の姿。人の世に紛れるとは、人間の住処に重なり住む者達の事。華火の住まいとなった社と同じく、家や店の中には彼らが過ごす別の空間がある。

 ただし、そんな妖達も人間に悪さを働けば罰せられる。これらの取り締まりは犬神のお役目だ。


「呑み明かした酔いどれが多いので、僕のそばを離れないで下さいね」

「朝までか。皆、自由だな」


 とんと屋根を蹴り、地に降りる。そして言葉通り、山吹は華火の横にぴたりと体を寄せ、歩幅も合わせるように歩き出す。


「今からが休む時間ですからね。さて、万屋はここです」

「なんと。すぐではないか」


 入り口から入ってすぐの右手に、趣のある和菓子屋。そこが万屋であった。硝子の引き戸は閉められ、店の人間と思われる者が忙しなく動いているのが見える。


「はい。すぐなんです」


 ここまで近くなら絡まれようがない。なのに、そばへ寄り添う山吹の行動が理解できず、それが顔に出たのだろう。

 そんな華火をくすくすと笑う彼は、視線を店の中へ向けた。


「おはようございます。とちさん」

「おはようさん。朝っぱらから来られるとは良い予感がせんなぁ……。ん?」


 硝子戸を通り抜け姿を現したのは、袈裟を身にまとう、ぼさぼさ頭の化け狸だった。その男は黒の煙管きせる片手に、面倒くさそうに茶の頭を掻きながら、黒の垂れ目を見開いた。


「このお嬢さん、誰ですのん?」

「こちらはですね、白狐の華火さんです」


 ん? 華火さん?


 山吹の言葉に驚き、彼を見上げる。すると、わざとらしくにっこりと微笑まれた。


 表向きは、山吹様達と同等の扱いをして下さるのか。


 事前に、商店街の妖には白狐の華火とだけ伝えると、山吹から言われていた。統率者と名乗ったところで説明が難しく、他の狐に対しても、若い統率者は馬鹿にされるから『送り狐の振りをするのがいい』と、理由も加えられて。

 だから敬称が様からさんへ変わったのだろうと、華火は納得した。


「華火と申します。よろしくお願い致します」

「なんや可愛げのある女狐さんがお仲間入りされたんね。で、お嬢さん連れて挨拶回りに来た、訳では無さげやなぁ」

「栃さんにはいつもお世話になってますから、このもよろしくお願いしますね。ついでに、僕達の住まいを直してほしいんですよ」


 もう華火には興味がなさそうに、栃は山吹だけを見ている。


「ついでにって、山吹さん。そっちが本題でしょうに。で、おいくら出せますのん?」

「昼までに直してほしいので、二十でどうでしょう?」

「待った! いきなりその額はおかしいわなぁ。どこが壊れましたのん?」

「柱とふすまと壁ですよ」

「ちぃっとばかし、安すぎやしませんか?」

「そうなんですね。じゃあ倍の四十でいいですか?」

「……直接見てからのお返事でも?」

「構いませんよ」


 おぉ、狸の口元が緩んだ。


 妖の世界は人間の世界と共に進化し、通貨も同じもの。だから修繕といえど結構な額が動いたのでは? と、華火は感じた。


「いつもおおきに。すぐ店の者連れて向かいますわ。ほな」


 煙管の煙を残し、満面の笑みを浮かべた栃は店の中へ消えた。


 ***


「あっという間に終わったな」


 狸達の仕事は早く、そして完璧だった。


「五十までは出そうと思っていましたので」


 山吹が他の事をしながら華火の呟きに答える。彼は栃を出迎え、急な頼みだったからと、色をつけた。すると、狸達の目が輝いた。


「送り狐は稼げるからねぇ」


 華火達が戻る前に紫檀達は協力し、壊れた物を寄せ集め、部屋の中も整えていた。


 そして今は社の中にある、大勢の者が集まっても余裕があるのがわかる大広間にいる。ここからは大楠が見え、縁側には眠る白蛇の姿がある。

 けれど異質なのは、この部屋には神棚の他に、巨大な画面が横に四面連なるように置かれている事。

 その前には、修繕が始まった頃からずっと座り続けている、浄衣を脱ぎ捨てた白衣白袴の柘榴・白藍・山吹・玄の姿がある。皆巧みにコントローラーを駆使し、妖を狩るゲームをしている。

 何故こんな不謹慎なものをと問えば、人間界に存在するものをそのまま遊べるようにしてあるとの事だった。これも、狸のお陰だとか。


「でもでも、狐の嫁入り印の化粧品、ほんとに貰っていいの?」

「いい。私はさほど化粧をしない。紫檀様の化粧品が粉々になってしまったのは私のせいでもある。だから遠慮なく使ってくれ」


 浄衣は脱いだがゲームをしない紫檀と、それ自体を初めて目にする華火は、皆の後方で低い円卓の上に置かれた茶を飲む。


 姉様も兄様達も私を可愛がってくれる。それも過保護なほどに。今回はそれが形となったが。


 華火は最低限の物だけ持って下へ降りておいでと、姉に言われていた。その理由は、全てが用意されていたから。わざわざ人間が好んで使う下着とやらまで紛れ込ませ、同封されていた手紙には『これで男狐共を誘惑して、婿殿を決めてしまえ』と書かれており、めまいがした。


 その中に、筆で描かれた綿帽子を被る白い狐が目元に朱を入れる、艶っぽい横顔が特徴の包みを見つけた。それが狐の嫁入り印の化粧品であり、お詫びに紫檀へ渡せば、何度もお礼を言われる始末。これは限定品だと言っていたが、華火には興味のない事だった。

 これにより、紫檀の機嫌が直り、ゲーム禁止令は取っ払われた。


「華火様のせいじゃないわよ。ただねぇ、牡丹ぼたん様はまだしも、かむろ様とやなぎ様の愛はいきすぎよね」

「ははは……」


 そして問題は兄達。わざわざ事前にここを訪れ、華火の部屋全体に術を掛けたそうだ。『華火の部屋に入れば吹き飛ぶからね』、『自分達を倒せる男狐じゃなければ、華火はあげないから』と言い残したそうだ。


「華火様も大変ねぇ」

「私もここまでとは……。体が弱いので心配なのだろう」

「……そういう意味じゃないんじゃない?」

「他に何かあるのか?」

「華火様はもっとこう、女の部分を意識するのがいいんじゃないかしら?」

「女? ずっと女で生きてきたが?」

「やだこの。もったいない生き方してるわ」


 大げさに目を見開く紫檀に首を傾げれば、玄関の方から声がした。

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