第6話 宰相親娘がやってきた

 それからまた数日が流れ――ビショップ親子が公爵家を訪れていた。


 父ケネス・ハイマンと共に彼らを出迎えたジゼルは、エントール王国の宰相アーノルド・ビショップから、出会い頭に最敬礼の角度で頭を下げられるという洗礼を受けた。


「この度は娘が大変お世話になりました! ジゼル嬢がいなければ、この子は今頃どうなっていたことやら……本当に、感謝の言葉しかありません!」

「ひゃあ!?」


 ジゼルは驚きのあまり魂が抜けそうになった。

 先日のことで謝礼に来たのはなんとなく察していたが、ここまでされると恥ずかしさも申し訳なさも突き抜けて、ドン引きしてしまう。国王の右腕の威厳はどこへ行ったのか。


「あ、あの、宰相さん? 落ち着いてください。むしろ、ウチの方こそお嬢さんに無体働いてもうて、親御さんになんて謝ろうかと思うてたくらいでして……」

「いえいえ、わざと憎まれ役を買って出たジゼル嬢の心の痛みに比べれば、娘の被ったことなどほんの些事でございます!」


 カラクリのオモチャのように頭を上下させる宰相。

 金髪も緑の瞳も気の強そうな顔立ちも、何もかもがロゼッタそっくりだが、ツンデレは遺伝ではないようだ。


「ええ? いや、ウチ、ホンマにそんな大層なことはしてませんて……」

「ご謙遜を。ですが、それもまた美徳! よいお嬢さんをもって羨ましい限りですな、ケネス殿」

「あはは。それほどでもあります、アーノルド殿」

「ははは、噂に違わぬ溺愛ぶりですなぁ」


 真顔で親馬鹿を炸裂させる父に、いたたまれない気持ちになりつつ、楽しげに笑うアーノルドの後ろに控えるロゼッタを見やる。


 自分のことそっちのけで人の娘を褒める父親に、気位の高そうな彼女が気分を害していないか心配だったが、借りてきた猫のようにおとなしくしている。


 知らない場所で落ち着かないのか、後ろ手で少しソワソワした様子であちこち視線をさまよわせていたが、ジゼルと目が合うと肩をビクリと震わせて父親の陰に一歩隠れる。

 こちらがニコリと笑ってみせると、顔を赤くしてもう一歩下がる。


(リアルツンデレ、萌え!)


 と、胸キュンしてモチベーションが上がったところで、二人の男の話を適当なところで切り上げさせる。


「まあまあ。宰相さんもお父ちゃんも、お二人で盛り上がるんもそれくらいにしてください。ロゼッタ嬢が退屈してはりますよ」

「おお、そうですな。すまない、ロゼッタ。ジゼル嬢と会えるのを楽しみにしていたというのに、邪魔をして悪かったな。ほら、お渡しするものがあるんだろう」

「お、お父様!」


 それは言わない約束だ、と言わんばかりに父親を睨みつけるロゼッタだが、アーノルドはさすがに慣れたもので笑ってスルーし、娘の背を押してジゼルの前に出す。


 先ほどまで後ろ手で見えなかったが、彼女の手にはリボンの結ばれたハンカチが握られていた。よくある花柄の図案だが、とてもよくできている。

 包装紙に包まれていないところを見ると、どこかの店で購入したものではなさそうだ。刺繍は淑女の嗜みだし、ロゼッタが作ったものかもしれない。


「うわぁ、めっちゃ可愛いですねぇ! それ、ウチにくれはるんですか?」

「え、ええ……えっと……これは……そう、貢物です! と、取り巻きたる者としての義務ですわ!」


 たかがハンカチを渡すだけなのに、ただならぬ気迫を込めて差し出すロゼッタ。

 別に取り巻きになることを許可したわけでもないが、彼女の中ではすっかり確定事項のようだ。友人にプレゼントを贈るという行為が恥ずかしいから、そういう言い回しをしているだけなのかもしれないが。


「ありがとうございます。友達からプレゼントもらうの初めてやから、めっちゃ嬉しいですわ」


 受け取る際に素直な感想を述べると、吊り上がった目をさらに吊り上げて抗議された。


「とぉ!?  勘違いしないでください!私は、と、友達ではなく取り巻きです! そ、それと、取り巻きに敬語など不要です! もっとこう、偉そうにしていただかないと困ります!」

「えー……?」


 友達がダメで取り巻きがいいとか、もっと偉そうにしろか、全然意味が分からない。

 普通は逆ではないのか?


「すみませんねぇ、ジゼル嬢。うちの子はこの通り素直ではありませんが、ジゼル嬢をとてもお慕いしているのです。取り巻きでも下僕でもいいので、傍においてやってください」


 確かに彼女のピンチは救ったかもしれないが、そこまで強く想われる理由が分からない。しかも父親が娘を下僕にしてもいいとは、一体どういう了見なのか。

 さすがにそれはまずいだろう、と思うジゼルとは裏腹に、ロゼッタが「下僕……それもまた……」と不穏なつぶやきを漏らしていた。


 ツンデレは萌えるが、その思考回路は奥が深すぎる。

 理解するのは一朝一夕には無理のようだ――自分で何を言っているのか分からなくなりそうなので、一旦考えるのをやめて、侍女にハンカチを預けて下がらせる。


 さて、いろいろあったがいつまでもゲストを立たせておくわけにもいかず、母と侍女長がコーディネートしたお茶の席に案内する。


 一口でつまめる軽食と焼き菓子が並ぶテーブルにつき、給仕係が湯気立つお茶を淹れていくのを横目にしつつ、隣に座らせたロゼッタに声をかける。


「ほな、改めて挨拶や。お久しぶり……っちゅうほど時間も経ってへんけど、元気にしとった? 王太子さんからまた難癖つけられとらん?」


 敬語は不要と言われたので砕けた口調してみたところ、彼女はそれでいいと言いたげな満足そうな笑みを浮かべてうなずいた。


「ええ。おかげさまで、つつがなく過ごしておりますわ。そちらこそ、あとからお咎めなどございませんでしたか?」

「大丈夫や。約束を守っとるからか、特に何も言(ゆ)うてけぇへんよ」


 ミリアルドの言いつけ通り、二人の仲を周知徹底させる努力をしている。

 あの日の出来事をできるだけ美化し、ラブロマンスのような運命的な出会い風の物語をでっち上げ、あちこちの夜会やお茶会で発信してもらっているのだ。


 実行しているのは主に両親、特に母が頑張ってくれていて、ゴシップ好きの夫人が集まるお茶会に出席しては、まるで見て来たかのような語り口調で噂の種を蒔いている。社交界に二人のことが浸透するのは時間の問題だ。


「それはよかった」


 ほっと息をついて表情を緩め、お茶の注がれたカップに口をつける。

 しかし、その顔色はどこかよくない。この間よりも精彩を欠いて見える。

 ハンカチを渡して気力を使い果たした、というだけの理由ではなさそうだ。


「ロゼッタ、ちょっと具合悪い?」

「え? そのようなことは――……す、少し血の気が薄い体質ですが……」


 ごまかそうとするロゼッタをじっと見つめると、目を泳がせつつ貧血を告白する。

 彼女くらいの歳になれば、月経等で貧血になりがちな女子も多い。侍女にもその手の悩みを抱える者が多く、日によっては仕事に支障をきたす場合もある。


 しかし、ジゼルはそれを改善させるブツを、ついこの間開発したところだった。

 プチ飯テロである。


「そうなんや。せやったらええモンがあるわ」


 給仕係を一人捕まえて指示を出し、薄茶色のペーストの載った小皿を持って来させる。


「これは……」

「鶏レバーのペーストや」


 レバーと聞いて、ロゼッタの顔が引きつる。


 栄養学が確立していない世界であっても、貧血にレバーがいいという経験則は知られているが、強い臭みと癖のある味から嫌厭される食品だ。

 こと令嬢からは「これを食べるくらいなら貧血の方がマシ」というレベルで嫌われている。


 だが、下処理さえしっかりすればとても美味しくなる。

 前世でよく鳥の肝煮を作って酒の肴にしていたので、調理方法は心得ている。


 余分な脂や血合いを取り除いて牛乳に小一時間浸し、酒と生姜で煮る――それだけで臭みはほとんどなくなるのだ。あとは丁寧に裏ごしをして、好みの調味料で味付けすれば美味しく食べて健康的になる、レバーペーストの出来上がりだ。


「信じられへんかもしれんけど、臭くないしめっちゃ美味しいで。心配やったら、お付きの侍女さんに毒見してもろたらええわ」


 自信満々に言い切るジゼルに、ロゼッタは壁際に控えていた自分の侍女を呼んで、ペーストを載せたクラッカーを食べさせる。


「まあ! これがレバーなんですの?」


 最初はわずかに渋い表情をしていた侍女だが、咀嚼した瞬間からパッと顔色が変わる。


「お嬢様。ジゼル様のおっしゃる通り、大変美味でございます。ご安心してお召し上がりくださいませ」

「そ、そう?」


 信頼している侍女のお墨付きが出たからか、恐る恐る自分も同じものを口に入れ、数瞬後には目を輝かせた。


「あ、本当! 私の知ってるレバーとは全然違うわ! ボソボソしてなくて、滑らかで濃厚で……確かに、いつものあの癖のある味はするけど、ほとんど気にならな……な、なりません、わね」


 ジゼルの存在を思い出し、慌てて言葉を取り繕ったロゼッタは、軽く咳払いをして失態をごまかす。

 大人びて見えるが、まだ十代前半の少女だ。見た目は十歳でも中身はアラフォーのジゼルからすれば、なんとも微笑ましい仕草である。


「気に入ってくれたんならなによりや。お土産に小瓶に詰めさせるわ。あ、ついでにレシピも持って帰りな。ハンカチのお礼や」

「べ、別に見返りを求めていたわけでは……」

「気にせんでええよ。お礼ちゅーのは建前で、ウチがロゼッタになんかしてあげたいだけなんやから」


 大阪のオバチャンは、とにかく若い子の世話を焼きたがる生き物である。

 その気前のよさにより、ロゼッタの忠誠心を爆上げさせてしまったのだが、ジゼルがそれに気づくことはなかった。


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