第18話

「なんで、あんな分かりにくい場所に置くんだよ。不親切な大学だな。」


 風見が文句を言いながら、発券機の方へ歩いて行った。外部の訪問客へ飲食を提供する目的ではないので、学食に親切丁寧を求めることは可哀想だと感じていた四人も、風見に続いて歩き始める。


 五人が発券機の前に来た時には、学生たちもいなくなっていた。


「……で、何が美味いんだ?」


 風見が質問したのだが、他の四人に答えられるはずがない。


「えっ?無難にカレーとか、じゃないですか。」


 乾の提示された案は、「無難には済ませたくない」と風見から即座に却下されてしまった。


「チキン南蛮、おススメですよ。」


 オジサン一団の背後に並んでいた女性三人組の中の一人が、声をかけてきてくれた。

 若く見えるのだが、学生にしては落ち着いた雰囲気だったので大学職員の可能性も残されている。


「お待たせしてしまって、申し訳ありません。」


 結城は丁寧に応じた。声を掛けてきた女性は「大丈夫ですよ。」と、微笑んでくれている。一緒にいる二人の女性は、その様子をただ眺めていた。

 声を掛けてくれた女性は、微笑んだまま野上を見て軽く頭を下げた。野上も、その女性に気付いて頭を下げるのだが、表情に変化はあまり見られなかった。


「それじゃ、チキン南蛮を五枚買っちゃって。」


 風見が、五人分の支払いができるように財布から数枚の千円札を取り出して乾に渡した。乾は少しだけ発券機の扱いに迷いを見せたが、人数分の食券を購入することが出来た。


 購入した食券を持って厨房へ向かう時、風見も女性たちに頭を下げて通り過ぎる。


 それぞれ、提供された定食トレイを持ち、空いている席に座ることにした。全員が、学生に囲まれて食事をする居心地の悪さを感じながら、静かに食べ始めた。


「大学の学食って、こんなに美味しかったか?」


 結城が、食べながらポツリ感想を漏らす。


「結構、ちゃんとしてますよね。……全体的に値段は高めの設定でしたけど。」


 ただ一人、発券機にあるメニューと料金を確認していた乾がメニュー事情を教えてくれる。


「俺の大学は、まともに食べられるのカレーくらいでしたね。」


 だから、「無難な」カレーを選択したのだろう。

 五人の出身大学はバラバラなのだから、それぞれに学食の捉え方があるはずなのだ。


「このレベルで、食事できる場所が家の近所にも欲しいよ。」


「風見さんは外食先を探してないで、早く結婚した方がいいと思いますよ。」


 風見や結城に結婚を促すことが出来るのは、妻帯者の日高だけになる。

 本来はセクハラに該当する危険な言葉になる。この言葉を聞かされた適齢期は、言い訳するか沈黙するかしかない。

 

「ところで、野上。さっきの女性を知ってるのか?」


 日高の話題を避けるように、結城は野上に話を振った。


「知っていると言うか、黒川教授の研究室で手伝いをしてた人ですね。軽く挨拶した程度の人です。」


「学生さん、なのか?」


「……詳しくは分からないです。教授の手伝いをしていたので大学院生とかじゃないでしょうか?」


 結城は、野上の冷淡な様子が気に入らなかった。

 それは、自分に対する態度が気に入らないのではない。彼の醸し出す雰囲気が気に入らなと感じていた。淡々とした態度を普段から取っているのであれば全く気にしないが、最近の変化が気になってしまう。


 何か心配事があるのなら、相談して欲しい。力になれることがあるなら、助けを求めて欲しい。半年程度の付き合いでしかないかもしれないが、新規事業の立ち上げという苦労を共にした仲間である。

 関係性は上司と部下になるのだが、肩書きとは無意味に結城は仲間として接していた。


 もしかしたら、結城が気にし過ぎているだけかもしれない。それ故に、何かあったとしても野上が言ってきてくれるまで待つしかなかった。


「結城さんが、女性に興味を示すなんて珍しいですね?」


 既に食べ終えて、お茶を飲んでいた日高が語り掛ける。


「そんな、意味深な言い方するなよな。俺だって、人並みには興味は持ってるよ。」


 とりあえず、野上を訝しんでいることを勘繰られるような状況は避けたかった。


「でも、まだ若いつもりでいますけど、本当に若い人たちばかりに囲まれると、自分がオジサンになったことを痛感しますよね。」


 食べ終えた乾も、会話に参加した。

 

「乾は、先々週ずっと来てたんだろ?大学の中で居心地悪くなかったのか?」


 今度は、風見が質問した。


「ほとんど黒川教授と一緒でしたし、教授が講義に行ってる時は資料をまとめたり仕事をしてたので、あまり大学に来ている感覚はありませんでした。」


「そうだったのか。……学食で食べようなんて提案するんじゃなかったな。」


 学食での昼食計画の発案者は風見だ。発案者が深く後悔する切ない状況になっている。大きな溜め息をついて、風見はお茶を飲んだ。

 この中では一番若い乾でも、この雰囲気に耐えられないのだから風見が平気なわけはなかった。


 黒川教授と約束した時間までは、まだ余裕があった。この空間で時間を潰すには居たたまれなくなり、学食の外に出ることにした。


 だが、学食の外に出たからと言っても、大学構内であることに変わりはない。どこを見ても、歩ているのは大学生だけ。


「野上と乾は、よく耐えることができたな。……卒業してから二十年も経っていないのに、こんな時代が自分にもあったことが信じられないよ。」


 結城がしみじみと語る言葉に、風見は激しく同意していた。

 そして、本気か冗談か分かり難いトーンで風見は言った。


「……サングラスが欲しいよ。」


 考えてみれば、ここにいる学生たちの倍近くの人生を歩んできたことになる。社会人としては若手でカウントされることはあるのだが、本物の若さに並ぶと自身の衰えを感じざるを得ない。


 結局は無言の圧力に負けてしまい、駐車場の車まで戻ることになる。そこで約束の時間までを過ごすことになってしまった。

 

 約束の時間十五分前になったので、野上と乾が先導で黒川教授の研究室へ向かい始める。大学の構内は広く、移動にも時間が掛かるので早めに行動を起こした。

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