第3話 劇場の魂になるまで2



 皇都劇場の歴史は古い。神話の時代には、すでに野外劇場がこの場所に建っていたらしい。

 当時の半円形の建物はとりこわされ、数百年前の旧館の一部を再利用しつつ、現在の重厚で華麗な造りへと変貌している。


「それで、魔物っていうのは、じっさい、どんな姿をしてるんだ?」


 夜。劇場のなかを、ワレスはリュックと二人で歩いていた。とにかく、嘘かほんとか知らないが、よく目撃される時間帯に突撃調査をしてみようというのだ。


 とうぜん、客はすでにいないし、裏方もみんな帰っている。夜警が少し残っているものの、ほとんど無人だ。


 灯火も消されているので、館内は真っ暗。

 ワレスとリュックがそれぞれ一つずつ手にしたランプの明かりだけが、ほのかに周囲を照らす。


「うーん。ハッキリと見たものはいないんだ」

「何度も目撃されたって言ってなかったか?」

「白っぽい人影が目の前をよこぎっていったとか。黒い影が暗闇でうごめいてたとか。だから、劇場の魂なんじゃないかと、みんなは話してる」

「その劇場の魂というのは、なんなんだ?」


 リュックはそんなことも知らないのか、という目でワレスを見る。やっぱり、はしばし腹の立つ男だ。


「なんていうのかな。これまでこの劇場にかかわったすべての人たちの情熱や、演劇を愛する心が集まった、精霊みたいなものさ。いろんな人の思いが凝りかたまって、死後、魂になったんだ。おれたち芝居人は劇場の守り神だとか、守護天使だとか言ってる」


「それがなんで怒るんだ? 何か思いあたることでも?」

「ない! あるわけないだろ? おれたちはみんな、今の演目のために力をあわせてるんだ」


「じゃあ、なんで精霊が怒ってるんだ?」

「それを調べてもらうんじゃないか」


 リュックは本気で精霊の存在を信じているらしい。まあ、ワレスほど懐疑的でないなら、おおむねの人間は信心深い。

 リュックはさらに精霊の伝説をあれこれと語る。


「演劇に精魂をそそぐと、劇場の魂になれるんだ。おれもいつか、そうなって、永遠に劇場を見守るんだ」

「そんなふうになりたいのか? けっきょく亡霊だろ?」

「何を言ってるんだ。精霊になれるのはお芝居に対する熱意を認められた者だけだ。おれたちにとっては名誉なことなんだよ」

「ふうん」


 いったい、いつからなのかわからないが、それはずっと昔から劇場で語りつがれている言い伝えだという。


「役者がいっしょうけんめいに稽古けいこしていると、たまに姿を現して、練習相手になってくれるんだそうだ。劇場の魂に認められると、将来、素晴らしい名優になれるとか、その演目は大成功するとか」

「今回はそういう感じじゃないんだろ?」

「違うなぁ。こんなことは、おれが来てから初めてだよ。ほら、うなり声がよく聞こえるのは、このへんだ」


 リュックがつれてきたのは劇場の屋根裏だ。位置から言うと裏口の真上あたりだろう。使わない演目の大道具や衣装箱が乱雑に置かれている。


「物置か」

「ああ。昔は管理人が住んでたらしいんだが」

「管理人?」

「ああ。ずいぶん前のことだが、ここで伝書鳩を飼ってたんだ。その管理人さ」


 各地の神殿や砦で伝書鳩は飼われている。伝書鳩というのは帰巣本能を利用して要所へ文書を届けている。


 だから、どこへでも世界各地、好きな場所へ飛ばせるわけではない。一羽の鳩は二点間の巣を往復するだけだ。遠方の場合は何羽もの伝書鳩が文書をひきつぐこともある。


 つまり、それだけ多くの拠点が必要だ。皇都は広いから、大きな目立つ建物が拠点にえらばれることは少なくない。

 たしかに、よく見ると壁ぎわにたくさん巣箱がならんでいた。


「でも、今はもう鳩はいないな」

「建物を改修したときに、鳩舎は移されたんだよ」


 とくに怪しいところはない。うなるような声も聞こえなかった。


 窓から外をのぞくと、劇場の裏側の景色が見える。周囲には立派な建物が多い。が、ほんの一区画だけ不釣り合いに質素な建物がある。屋根裏から見おろすと、まるで馬小屋だ。


(あの建物は、たしか……)


 ワレスか考えていると、背後からリュックがソワソワしながら声をかけてくる。


「早く次に行こう。舞台で白い人影か何度か見られてるんだ。それに地下だな。魔物になめられたって言うんだよ」

「誰が?」

「清掃員だ」

「魔物になめられたか。気になるな」


 それで今度は地下へ行ってみることにした。

 屋根裏から続く細い階段をおりていくと、舞台裏やら通路やら、あちこちを通って地下へむかう。まるで迷路だ。


「劇場に地下階があるなんて知らなかった」

「劇場だって汚水を流すじゃないか。下水につながってる。それに旧館のころの土台が残ってて」


 さっきの裏口は劇場の関係者が使うゲートだ。近くには役者たちのひかえ室がある。


 次に来たのは、それとは反対端の裏口だ。こっちは見張りの衛兵の詰所がすぐそばにある。ワレスも通ったことのない場所だ。


「ここの兵隊は皇都の治安部隊か?」

「ああ。人数は少ないが、何かあれば、じきに来るようになってる」

「でも、今は無人だな?」


 詰所はカラのようだ。物音がいっさいしない。


「だって、客が帰れば、劇場のなかに用のあるやつなんていないだろ? 最終公演のあと最後に見まわりして、ゲートをしめたら、兵隊は帰るんだ」

「じゃあ、その時点で人が出入りできるゲートはいくつある?」

「一つだな。さっきのおれたちが使う裏口だけだ」

「なるほど」


 客を入れるための表口はまっさきに閉められる。となると、侵入経路はかぎられてくる。


 ワレスはこのさわぎが魔物のせいだとは、まったく考えていなかった。

 何かが起こっているとすれば、それは間違いなく人間の仕業だ。

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