第35話(模擬戦①)16歳

 アレクシスが首をかしげる。

「この部屋はどうして、こんなにすぐ散らかるんだろう?」

「それについては、わたしも常々不思議に思っているわ」

 わたしがそう答えると、アレクシスが「何だか他人事みたいだね」と言って笑った。


 新年度が始まって1カ月が過ぎた。わたしは興味がある講義を聴いたり、図書館で資料を漁ったりしながら、慌ただしくも充実した学生生活を過ごしていた。


 アレクシスとキーラは研究室にほぼ毎日遊びにやってくる。日毎に散らかっていく室内に呆れながらも、片付けを手伝ってくれた。

 部屋にはいつの間にか雑多な物が増えている。魔法に使う薬草とか鉱物とか動物の骨とか、そういう類のものだ。


 わたしは物にあふれた部屋は嫌いではない。むしろ落ち着く。もしかすると、かつての父の部屋に似ているからかもしれない。そう言えば、父は雑然とした部屋で図面をひいたり、測量道具を触ったりしている時が一番幸せそうだった。


 わたしもそうだ。研究室で本や羊皮紙に埋もれていると心が安らぐ。最近は魔法についてあれこれ思索していると、時がたつのを忘れた。実際に時をとめて考えをまとめることもある。研究室は思索のために最適な場所だった。


 つい食事をとることすら面倒になるわたしのために、この日はキーラが昼食を差し入れてくれた。


「アイカ、ちゃんと栄養をとりなさい。パンと塩漬け肉を買ってきたから、みんなで食べよう」

 キーラがテーブルにナプキンと料理を広げた。

「ありがとう、キーラ」

 わたしは古王国時代の歴史書を書き写していた手をとめた。


 焼きたてのパンの香りが広がる。

 ソファに座って羽ペンを削っていたアレクシスが腰を上げる。

 すると、部屋の隅に積み上げた資料の山のそばから、誰かが立ち上がった。

「わ、オルガ。あなた部屋にいたの? 気が付かなかったわ」

 キーラが驚いた声を上げた。


 わたしも彼女が居たことをすっかり忘れていた。

 人形遣いのオルガ・ヤニスは、何が気に入ったのか、研究室によく顔を出すようになった。無愛想なのでほとんど喋らないが、わたしも口数は少ないので別に気にならない。

「あなたも一緒に食べる?」

 キーラが誘うとオルガがこくんとうなずいた。オルガの年齢は聞いていないが、外見や仕草は少女にしか見えない。


「キーラ、このパン、どこで買ったの?」

 アレクシスが丸パンにかぶりつきながらたずねた。

「ほら、大通り沿いのパン屋。行列ができる人気の店なのよ」

「確かにうまいね。食堂のパンよりもずっと風味がいい。何が違うんだろう?」


 アレクシスの疑問に、オルガが答えた。

「材料が違う。輸入物の小麦粉に、香りのいい国産の小麦粉を三割混ぜている。脱脂粉乳も入っているな」

「オルガ、分かるの?」

「ああ、わたしは物の組成や素性が分かるんだ」

「へぇ、そんな特技があったんだ」


 わたしはオルガにたずねた。

「それは、鑑定系の魔法なの?」

「魔法ではない。わたしの固有の能力だ」

「ふうん」

 わたしはオルガの長いまつ毛と黒目がちな瞳を見つめた。わたしは他人の魔力の属性や量については、かなり高い精度で察知できる。それはわたしの能力と言えるが、そんな感じだろうか。


 わたしはアレクシスとキーラが話し込んでいるすきに、オルガに耳打ちする。

「ねぇ、わたしの魔力についてはどう? 何か分かる?」

 オルガはわたしをちらりと見て答えた。

「もともとの魔力に、後から別の魔力が加わっている。おそらく血族からもらったものだ」

「そうかもね」

「四人分が並存している。極めて珍しい構成だ。興味深いな」

「うん、合ってる。オルガ、すごいね」


 魔力を完全に遮断しているつもりでも、わかる人間にはわかってしまうのだろう。オルガは人形づくりの一環で、素材や原料に造詣が深いようだ。それが能力として発揮されているのかもしれない。


 さて、そんな風に昼食のひとときを過ごしていると、誰かが扉をノックした。

 たまたま扉の近くにいたキーラが開けると、スクールカラーのローブを着た女性が立っている。

「あら、珍しいお客さま」

「ごきげんよう。キーラ」

「ごきげんよう、リンナ。あなたがいるということは、あの方もいるのかしら」


 リンナと呼ばれた女性は長身で、キーラよりもかなり背が高い。キーラの言葉に、肩をすくめてみせた。

「ええ、そうなんだけどね。さて、お嬢さま。なぜそんな後ろに隠れているのですか」

「あら、隠れてなんかいないわ」

 そう言って現れたのはライラだった。


「アイカ、入ってもいいかしら」

「もちろん、どうぞ」

 どうぞとは言ったものの、ライラとリンナの二人が入ると、さすがに窮屈になってきた。研究室はそれなりに広いのだが、物が多すぎるのだろう。

「ふうん、ここがアイカの研究室か。えっと、なかなか素敵なお部屋ね」

 ライラがそう言った。言葉では褒めているが、表情を見る限り、乱雑さに驚いているようだ。まあ、仕方ない。皇女には似つかわしくない部屋だろう。


「よかったら一緒に食べますか」

「いえ、結構よ。昼食ならとってきたから」

 リンナが首を振った。


 ちなみに後から知ったのだが、彼女、リンナ・ラハティは高等科6年生の先輩だ。長身に短髪と切長の眼が凛々しい。ライラの護衛で、以前カフェテリアで遭遇したときもその場にいたそうだ。学生でありながら、宮廷魔法師団にも籍を置く優秀な魔法使いだった。


 二人が車座に加わる。それにしてもライラの顔の造作は、こうして改めて見ても美しい。思わず見入ってしまう。ライラがわたしの視線に気づくと、少し顔を赤らめて咳払いをした。


 キーラがたずねた。

「それで、アイカに何か用事かしら」

「あら、同じ尖塔の住人なのだから、ちょっと部屋に立ち寄ることもあるでしょう?」

 ライラが答える。


 そこにアレクシスが割って入った。

「それはそうだけどさ。でもライラがわざわざ来たからには、何かあるんだろう?」

 ライラが居住まいを正した。

「今日の午後、対人魔法の実習があるでしょう」

「ああ、そう言えば、あったね」

 アレクシスとキーラがうなずきあう。

「ねぇ、アイカも来ない?」


「アレク、対人魔法の実習って、何だっけ」

 わたしは自分には関係がなさそうな授業なので、注目していなかった。

「読んで字のごとく、対人に特化して魔法を実践する授業だよ。闘技場で模擬戦をするのさ。学生には人気があるね」

「アレクとキーラも出るの?」

「僕は正直、サボろうと思っていた。対人魔法は僕にはちょっと合わないからさ」

「アレクシス、そんなことを言ってたら、単位を落としちゃうからね。わたしは出るわ」

 キーラがアレクシスをたしなめる。


「ふうん、何だか面白そうね」

 わたしが答えると、ライラが身を乗り出してきた。

「そうでしょ、アイカ。面白いわよ。そこでお願いがあるんだけど」

 ライラがわたしの手をとる。

「はい、何でしょう」

「模擬戦でわたしと手合わせをしてもらいたいの」


 ライラは喜色満面といった顔つきだ。

 わたしは予想外の申し出に、どう返事をしたものか、困ってしまう。


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