第15話(時の魔女②)11歳
「魔女の部屋」と聞いて、どんな部屋を思い浮かべるだろう。コウモリが飛び交う暗い空間だろうか。壁一面に並んだ毒物の瓶や、釜で煮えた薬湯だろうか。どう転んでも良いイメージではないが、それは童話の世界だ。
ノール帝国では、魔法を極めた魔法使いの女性のことを、尊敬をこめて「魔女」と呼ぶ。最近では曽祖母のアルマ・レインが、魔女と呼ばれた当代随一の魔法使いだった。
そのアルマが使っていたかもしれない部屋がここだ。
わたしは期待を膨らませて中に入ったが、第一印象は「普通の部屋」だった。
書き机とサイドボード、本棚、それにソファと椅子が何脚か。
こざっぱりして快適な部屋だが、見たところ、目立つものも奇怪なものもない。
「何だか拍子抜けだね」
ソフィアが率直に言う。
わたしもそう思った。童話に出てくるようなおどろおどろしい部屋だったら、それはそれで困っただろうけど。
わたしは書き机を眺める。
机の上にはインクつぼや羽ペン、レターセットなどがきれいに整えられている。
かすかに、違和感を感じた。胸の奥にもやがかかったような感覚がある。何だろう。
まもなく、わたしは「あっ」と声を出す。
もう一度、部屋の入り口まで戻り、いったん物置に出た。それから魔女の部屋に入り直した。
「どうしたの、アイカ。何か見つけた?」
「うん、気づいたんだけど。この部屋、何か変じゃない?」
「そうかな。普通の部屋に見えるけど」
「うん、わたしも最初はそう思った。でも、この部屋は、何ていうか、生きている」
「生きている?」
「そう。だって、何年も使われていなかった部屋なのに、ホコリも積もってないし、カビ臭くもない」
虫の死骸も、蜘蛛の巣もなかった。手前の物置はホコリまみれだったのに。
「ホントだ。よく見たら、紙もインクもまだ真新しいみたい」
直前まで、誰かが使っていたかのようだ。
「たぶん、部屋に魔法がかかっているんだと思う。一見すると普通の部屋だけど、やっぱりここは魔女の部屋なんだよ」
わたしたちはその発見に興奮した。そしてサイドボードや本棚などを細かくチェックした。
わたしは、ひそかに初心者向けの魔法の手引書があればいいなと期待していた。一人で魔法が学べる本があればいいのに。あるいは魔法に関する悩みを解消してくれそうな、日記や手紙の類はないだろうか、などと勝手なことを考えていた。
そういうものはなかったが、サイドボードの中に思わぬものがあった。
革張りの大きな本だ。見た感じ、とても古いものに見える。
表紙に砂時計と天球儀を象った飾りと、それから四つの水晶玉が埋め込まれている。わたしは一瞬、手を伸ばすのをためらった。この本には明らかに相当な魔力が宿っている。
「アイカ、何だかすごい本だね」
「これは間違いなく、
「魔法の本ってことね」
「うん、そう」
魔導書とは、魔力が込められた書物の総称で、いくつかの種類がある。呪文や魔法陣が記されたものが一般的で、魔法使いが魔法の鍵として用いる。このほか、魔道具として魔導書単体で様々な用途に使えるものや、魔物を封じ込めたものもある。
レピスト家にも何冊かの魔導書があった。いずれも上級の魔法に使われるもので、わたしは触ったことがなかった。
「危険な本なのかしら」
「わからない。でも、魔力が宿っているのはわかる。わたしの手には負えなさそう」
「そうなのね。魔物とか出てきたら、ちょっと困るわよね」
わたしは表紙の飾りが気になっていた。
「ソフィア、ここにも砂時計のマークがあるね」
「わたしたちの
わたしはアルマについて、何も知らなかった。どんな魔法を使っていたのか、どんな人物だったのか。
時の魔女、とは、時間に関わる魔法使いなのだろうか。
時間を操る魔法が存在する、ということは聞いたことがあったが。
わたしはふと思い出す。わたしの名前は、遠い国の言葉で「
魔法は時間を統べ、時間は魔法を統べる——。
むかし誰かが、そんな言葉を歌うように口にしていた。
幼い頃の記憶だ。あれは誰の言葉だったのか。
わたしはぼんやりと砂時計の飾りを指でなぞった。
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
「その瞬間にスイッチが入ったのだ」と、目の前の少女は言った。
わたしは現実に引き戻される。
いや、ここが現実なのか夢なのかはわからないが。
わたしは真っ白な広間で、謎めいた少女と向き合っていた。
少女はなおもわたしに言った。
「あの魔導書は、魔女の部屋とこの空間を結ぶゲートだ」
「ゲート?」
「そう。高度な転移魔法の術式を組み込んでいる。まぁ、通常なら並の魔法使いに発動できる代物じゃない。だが、お前の魔力はわたしによく似ているようだからな」
ぼんやりと記憶が戻ってきた。
砂時計の飾りに触ったとたん、わたしは閃光に包まれた。気がつくと、この真っ白な建物に来ていたのだ。
「ここはどこ?」
「時間と空間のはざまに設けた、隠れ家のようなものだな。わたしは『時の回廊』と呼んでいる」
わたしは聞いた。
「ねぇ、あなたは、本当にアルマ・レインなの?」
「ああ、そうだ」
「わたしの
「そういうことだな」
「信じられない」
「そうかね。だが、現にわたしはここにいる」
「でも、あなたは十歳位にしか見えないわ」
「そうか。お前の目には十歳位に見えるのか。ははは」と、少女は笑った。「見た目なんか、たいした意味はない。おそらく、お前に合わせて自然とそういう姿になっただけだ」
少女は勿体ぶった様子で咳ばらいすると、こう言った。
「では、全盛期の姿を見せてやろう」
次の瞬間、少女が大人の女性に姿を変えた。つばの広い帽子から、流れるような黒髪がこぼれおちている。黒いワンピースに黒い手袋、そして銀色のローブを羽織っていた。
「ふふ、どうだ?」
女性が胸をそらしてポーズをとる。
わたしはおそらく、いぶかしむような目つきをしていたのだろう。それが、伝わったようだ。
「む、あまり驚いておらんようだな?」
「うん、さっきよりも大人になったけど。でも、何だか、あんまり変わらないね」
目の前の女性は確かにさっきよりも大人になった。だが、童顔と小柄な背丈はほぼそのままだった。身長もわたしとあまり変わらないし、帽子もちょっと大きすぎるようだ。
「くっ、こいつ。人が気にしていることを、はっきり言ったな?」
女性はそう言うと、帽子をとって、広間の隅に投げ捨てた。
「あ、ごめんなさい!」
これが、時の魔女、アルマ・レインとの最初の邂逅だった。
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