第8話(魔法なき日々①)11歳

 本を閉じてあたりを見回した。

 いつの間にか、陽は落ちて室内は暗くなっていた。


 ここはどこだろう。

 ほんの一瞬、わからなくなったが、すぐに気がつく。

 わたしに割り当てられた部屋だ。いまのわたしには、ほかに居場所などない。


 読書にそれほど没頭していた訳ではない。

 読んでいるのは、部屋の棚に飾られていた本だ。貴族のしきたりをつづった古い本で、あまり興味が持てる内容ではなかった。目は字面を追いながら、頭ではよそごとを考えていた。


「アイカさま、夕食の準備ができました」

 ヨハンナが呼びにきた。

 わたしは部屋を移る。

 客室に一人分の夕食が準備されていた。


 塩漬け肉のロースト、鱒のムース、根菜の煮込み。パンとベリーのジャムも添えられている。

 ご馳走だ。料理は温かく、丁寧に盛り付けられ、味も良い。

 それでも一人で黙々と食べるのは、気が滅入った。


「ねぇ、ヨハンナも一緒に食べよう」

 そばに控えたヨハンナに声をかけたが、彼女は首を振った。


 以前はよくヨハンナと食卓を共にしていたし、それを見とがめる者はいなかった。

 だが、仕方がない。ここはレピスト家ではない。

 母の実家であるレイン家なのだ。


 ヨハンナはいまはレイン家に雇われる形で、わたしに仕えてくれている。

 わたしに馴れ馴れしく振る舞って、ヨハンナの立場が悪くなっては申し訳ない。


「じゃあ、せめて、一緒に寝ようよ」

 ヨハンナはようやく微笑んだ。

「はい。仕事が終わったら、お部屋に行きますね」


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 レピスト家が襲撃された事件から、半年が経過している。年が変わり、わたしは11歳になった。


 半年がたったいまも、夜にひとりで寝ていると、悪い夢を見て、うなされて目が覚める。そして朝まで眠れなくなる。


 食事を終え、部屋へ戻りかけたわたしに、ヨハンナが言った。

「そういえば、来週、ヨナスさまが領地に戻られるそうですよ」

「ふうん」

 それは何だか面倒ね、という言葉は口に出さずに飲みこんだ。


 レイン家には、従兄妹が二人いる。わたしの母の姉、アンナの子供だ。


 兄がヨナス・レイン。数年前に早逝した両親に代わって、22歳の若さで当主を務めている。

 妹がソフィア・レインで、14歳だ。


 この半年間、ヨナスとソフィアには数える位しか会っていない。


 ヨナスは普段は帝都ノルンに駐留していて、領地には年に数回しか戻らない。ノール帝国の地方領主にはよくある生活様式だ。


 また、ソフィアは身体が丈夫ではないということで、ずっと自室にこもっていた。


 もともと二人の従兄妹とは交流がなかった。母の生家でありながら、わたしはレイン家の屋敷を訪れたことすらなかった。


 この屋敷に来て、わたしはその理由を改めて認識することになる。


 この家には魔法がない。

 屋敷に魔法使いが一人も居ないのだ、


 別に不思議なことではない。

 ノール帝国は大陸有数の魔法大国とされるが、魔力を持つのは百人に一人で、そこから魔法使いとして大成するものはさらに限られる。


 魔法の名門であるレピスト家にいると勘違いしがちだが、魔法使いはやはり貴重な存在なのだ。


 魔法使いの血筋ではない地方領主はいくらでもいる。そういう家は金を積んで魔法使いを養子にしたり、雇い入れたりする。


 レイン家は魔法使いの血筋だ。だが、魔力を持って生まれるのは、何代かに一人に限られている。

 わたしの母アマンダは魔法使いだ。

 母の姉アンナは魔法使いではない。

 ヨナスもソフィアも、魔法使いではない。


 ただし、アマンダの祖母(わたしとヨナスとソフィアの曽祖母)は、生前は帝都でも指折りの高名な魔法使いだった。

 名は、アルマ・レイン。

 通り名を「黒髪のアルマ」という。


 レイン家に逃げ込んだわたしは、三日三晩続いた高熱から冷めた後も、しばらく起き上がることが出来なかった。


 ヨハンナの献身的な看病の末、動き回れるようになったのは翌月だった。今でもよく思い出すのだが、回復して部屋から出てきたわたしを見て、屋敷の侍女や使用人らが慄然とした。


 わたしは襲撃事件の生き残りだ。腫物に触るような対応は、あって当然だろう。そう受けとめたのだが、理由は他にもあった。


 黒髪、青眼、痩身。

 わたしは、アルマにそっくりだったのだ。

 生前のアルマを知る者は、そのことに驚いた。これはヨハンナが使用人から聞いた話だ。


 もっとも、アルマがこの世を去って久しい。

 アルマの孫として期待を背負ったであろうアマンダもレピスト家に嫁いだ。


 現在のレイン家は、魔法使いと距離を置いている。そんなところに突如アルマによく似た魔法使いの子供が現れた。屋敷の人々はわたしをどう扱っていいか、わからなかったろう。


 だが、そんなに構えてもらう必要はなかった。


 魔法がない生活は、わたしにとっては、むしろ都合がよかったのかもしれない。


 高熱から冷めてからの半年間、わたしは、魔法を一度も発動していない。もともと苦手で使う場面も限られてはいたのだが。


 わたしは、魔法が使えなくなっていた。


















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