第1話(襲撃の夜①)10歳
わたしは10歳のときにみた茜色の夕陽を、いまも覚えている。
屋敷の図書室でひとり、大好きな物語の本を読みふけっていたときのことだ。ふと窓の外をみると、夕陽が空を染め上げていた。それは見たことがないような鮮やかな色だった。
「何か素晴らしいことが起きるかもしれない」
わたしは誰かに伝えたくなり、大急ぎで図書室を出て広間に駆け戻った。
その日の夜だった。父と母と姉が殺されたのは。
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わたしの名前はアイカ・レインだが、レインは母方の姓だ。家族が生きていた頃はアイカ・レピストと父方の姓を名乗っていた。
少しだけ、母国について語ろう。
ノール帝国は大陸屈指の強国で、魔法の先進国だ。ただ他国からはこう揶揄されてもいる。「あの国では魔法がすべてを支配している」と。
その指摘は間違っていない。魔法は政治や産業などあらゆる分野の基盤だ。大陸の最北に位置し、冬は雪と氷に覆われる環境もあって、冷たく苛烈な魔法大国のイメージが強いのだろう。
国旗は白地に青色の「Y字」だ。Y字は「翼持つ女神ノルン」を表すシンボルで国のあちこちに使われている。女神の名はノール帝国の語源で、帝都の名もノルンという。
レピスト家はノール帝国の諸侯で、地方領主ながら、多くの魔法使いを輩出している名家だった。
父のダニエル、母のアマンダ、姉のイーダは、いずれも魔法使いだ。イーダはわたしよりも10歳上で、帝都の魔法学校を優秀な成績で卒業した後、領地に戻って父を手伝っていた。
イーダは年の離れた妹のわたしに優しく、何かと目をかけてくれた。
彼女が死ぬ数週間前のことだ。
この日、わたしは家庭教師による魔法の授業を逃げ出した。そして図書室へ行こうと中庭を歩いていて、イーダに遭遇した。
イーダは父と同じブロンドの髪を編んで長く垂らしている。西陽に照らされた姉は、輝いて見えた。
私は授業を逃げ出したことがばれないかと心配しつつも、イーダに話しかけたい気持ちを抑えきれなかった。
「いいなぁ、イーダは」
「あら、アイカ。どうかしたの」
「わたしもイーダのようなブロンドだったらよかったのに」
イーダは笑みを浮かべ、わたしを片手で軽々抱き上げた。
「わたしの可愛いお姫さま。あなたの黒髪だって、とても魅力的だわ」
「そうかなぁ。何だか鴉の羽根みたいだわ」
「そんなことないわ。とてもきれいよ。わたしたちの
イーダはわたしの髪をやさしく撫でてくれた。
撫でられて気を良くしたわたしは、軽口をたたく。
「ひいおばあさまに似ているのは、髪の毛だけだわ。魔法の才能も似ていたら良かったのに」
「魔法の勉強はきらい? きっと今ごろ、先生があわてて探しまわっているわよ」
イーダはいたずらっぽく笑った。
「べつに、きらいではないけど」
わたしは口ごもる。
わたしはコンプレックスを感じていた。小さいころから、やせっぽっちで、外遊びが嫌いで、引っ込み思案だった。
地方とはいえ貴族なので、さまざまな付き合いがある。わたしはお茶会やパーティーに誘われても、誰とも会話をしないまま、時間が過ぎるのを待っていた。
魔法は、初歩のごく簡単なものは身につけている。指先に灯りをともしたり、身体を清潔に保ったり、いわゆる生活魔法と呼ばれるものだ。だが、その先の本格的な魔法がなかなか上達しなかった。
家庭教師の特訓にも身が入らない。
わたしは物語であれば何時間でも読んでいられた。勇者と姫君と妖精が出てくる英雄譚などだ。だが魔法の教科書は数行読むだけで、眠くなってしまう。
「わたしも、小さいころは退屈に感じたわ」
「でも、イーダはわたしとは違う。イーダはすごいから。お父さまとお母さまもそう」
わたしのすねた口ぶりに、イーダは少し考え、それからこんなことを言った。
「アイカ、力には使いどころがあるのよ」
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力には使いどころがある。
わたしはこの言葉をその後もずっと覚えていた。
強い力を持っているものには果たすべき責任がある。そういう意味だと思っていた。だが、イーダの真意はそうではなかった。
イーダは「強い力」とは言っていない。
強いとか弱いとか、そんなことは関係ない。弱い力にも役割はあり、活躍できる舞台がある——。イーダはそういうことを言いたかったのだと思う。わたしがそのことに気づいたのは、もう少し大きくなってからだった。
家庭教師は、魔法学校でも教鞭をとっている高名な先生だった。旧知だった父に頼まれて引き受けたそうだが、わがままで移り気な貴族の娘に教えるのは、さぞ骨が折れただろう。
この世界には、地・水・火・風の四元素があり、それぞれの精霊の加護を受ける形で四属性の魔法がある——。先生はそんなごく初歩の話から授業を始めなければならなかった。
魔法のもとになるのは魔力だ。魔力は大気中に含まれる魔素という物資が体内をめぐることで生み出される。ただし、すべての人間が魔力を扱える訳ではない。魔法大国のノール帝国であっても、それは百人に一人とも言われている。
魔力を扱えるかどうかは、本人の資質、はっきり言うと血筋によって決まる。「魔法使いの子は魔法使い」。そんな言葉があるくらいだ。貴族を中心に、魔法使いの血を受け継ぐ一部の人間が権勢をふるう。それがこの国の実態だった。
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