第18話 華麗なる夜会

 誰かに見られているかもしれない、話しを聞かれているかもしれない。そんな不安とともに四日間を過ごしたが何事も起こらず、今夜は夜会が催されるという。

 劇団や芸人を呼ぶから君たちも楽しむといいよと、フィリップが招待してくれたのだ。あつらえてもらったドレスがまた素晴らしい。


「かぁわいいぃー! なんてかわいいのマリー!」

「え、ちょ、そんなジェルメ…」

 ギューッとされほっぺにスリスリされながら、マリーは凄まじい違和感を受け入れようと必死だった。


 レースとハリのある布地が何重にも重なりふわんふわんしたスカートは、淡いピンクから藤色へグラデーションになっている。この色味だけで、ものすごく繊細できれい。ウエストには細いピンクのリボンが巻かれていて、花びらのような形の身頃が膨らみ始めた小さな胸を覆う。編み上げた黒髪をアップにして、小ぶりなルビーと真珠の首飾りまでつけてもらった。


 修道院に預けられるまではマリーも貴族の娘で、ここまで豪華ではなくてもいわゆる”お召し物”を着せられていたはずだ。けれど覚えているのは、灰色でごわついた尼服の肌触りだけだった。


「あたしっ、こんなの着るような人じゃないし、似合うわけないし…」

「何言ってるのよマリー! 最っ高にかわいいわよ! お嫁さんにしたいくらいだわ」


「えぇー? ジェルメこそすごくきれいだよ」

「普段ズボンしかはかないからスースーするし、この靴は困りものね。踵がグラグラするわ」

 足裏を返して恨めしそうにヒールを睨むジェルメは、淡いグリーンのシンプルなドレス。小麦畑の髪をアップにしてお化粧もして、グッと大人っぽくなっている。


 手を繋いで大広間に向かうと、いきなり視界がキラキラに埋め尽くされて足が止まる。数えきれないほどの蝋燭が灯されたガラスのシャンデリアがいくつも奥まで続いて、それが鏡のようにぴかぴかな白亜の石壁に反射し、冬の夕刻とは思えない明るさなのだ。


「うわぁ…」

 そして昼間のような眩さに負けないほどに着飾った人、人、人。中央では楽団が軽快なリズムを刻んでいる。向こう側の劇のセットでは役者が滑稽な演技で笑いを誘い、たくさんの杯がその間を行き交う。目にも鮮やかなごちそうが並び、密集した人いきれの熱気と白粉おしろいの香りの濃さは、オルレアンの大通りの比じゃない。

 別世界への扉をくぐってしまったようで、思わずくらっとした。


「これおいしいわね」

 ってジェルメ、もうお酒飲んでるし! 手にしている銀色の杯は竜の彫り物で、すごく凝ったデザインだ。

 うん、こうしちゃいられない。早速マリーも切り分けられた肉をいくつか口に入れた。もぐもぐしていると、近くの会話が耳に入る。


「さあ、お顔をこちらに向けて。三秒見つめただけでぴたりと当てましょう」

 長い髪を束ねてくるんくるんに巻いた人。一瞬女性かと思ったけど、その声は男性だ。お客さんの女性の頬に左手を添え、じっと瞳を覗き込む。女性はちょっと恥じらって下を向いてしまった。


「ああ、恥ずかしがらないで。でも少しだけわかりましたよ。あなたは求婚されていて、受けようかどうしようか迷っている。そうでしょうお嬢さん?」

「え…、どうして分かったのですか?」

 花びらのような唇からこぼれた言葉に、男の吊り上がった細い目が更に細くなる。


「占いですよ。もっと続きが聞きたいですか?」

 迷いながらも両脇の友人に促されて女性は小さく頷く。占い師が「ではお手を拝借しますよ」と手を差し出すと、恐る恐る手の平を向けた。


「ふむ…、子供は連続して二人、それから間を開けてもう一人恵まれるでしょう。夫婦関係は一度大きな危機を迎えますが、それさえ乗り越えれば安泰です。そのお相手を選んで間違いありませんよ」


「なにあれ、インチキくさい」

 占い師の言葉に頷こうとした隣でジェルメに全否定され、ズッコケそうになる。


「ええっ、インチキなのかな?」

「未来のことをそれっぽく話してお金を儲けるなんて詐欺だわ」

「え、でも求婚されてるってことも当てたよ?」

 しかしジェルメに信じる気は毛頭ないらしく、グイっとお酒をあおると占い師に背を向けた。


「それにしてもすごいわね、このパーティーは招待されていなくても誰でも来ていいんですって。しかもお金は払わずに」

「すご!」

 こんな盛大なパーティーを催せるブールゴーニュ公の財力って…。


 そのフィリップは中二階への階段の上、一番いい場所で階下を見下ろしながら、たくさんの人に囲まれている。まるで砂金を振りまくがごとく王者の貫禄がダダ漏れていて、とてもじゃないけど近づけない。


「こうして人と会って人脈を広げるのがお貴族の仕事なんですって。アンジュー公も同じようなことをしていたわ」


 その言葉に、ふっとマリーにある記憶が蘇る。


 ジル・ドゥ・レもこんなパーティーをしていた。あれは何歳くらいの時だったろうか。何年ぶりの再会か分からない母に伴われて、一度だけ出席したことがあった。あの時もたくさんの人がいて、それが嫌で外に出ようとしつこく母に頼んだのだ。


 そこでジル・ドゥ・レに会った。

 フィリップと違い、人の輪から外れて一人で庭にいて。


 そうよ…、今ならわかる。寂しそうな顔をしていた。あれは何だったのだろう。わざわざお金をかけてパーティーを催したのに、誰とも話さず外にいるんじゃ意味がないのに。


 やがて楽団の音色がひときわ大きくなると、ダンスの時間だ。

 中二階から階段を下りるフィリップが拍手で迎えられ、奥方の手を取り広間を舞う。

「キレイね~」

「うん」


 全身黒の装束のフィリップと対照的に、銀色のキラキラしたドレスの奥方は、舞い踊る雨粒のようで、これこそが水も滴る美しさなんだろう。

 二人してホヤ~っと見とれていると曲が変わり、次は客たちが自由に踊り始める。


 マリーはともかくとして、ジェルメは何回か誘われたが「踊れないですから」とけんもほろろに断っていた。

「私はお貴族じゃないんだから。行きましょマリー、あっちにデザートあるわよ」

 ジェルメがあたりの手を引いた時、また別の人が行手をふさいだ。


「あの、い、一曲、お相手願えませんか」

「ですから私は踊れませんので」

「ジェルメ、その…」

 意図せず名を呼ばれて振り返るジェルメ。それからじーっと相手を見つめ、距離を詰めていく。


「………ポール? その声、ポールよね?」

「えっ、ポール? ………ほんとだ」

 まじまじ見つめられて、ポールは真っ赤になった。


 だって信じられない!

 品よく整えられた赤茶色の髪に、すっごく綺麗な青い目で、くっきりした目鼻立ち。ゆったりした赤いチュニックに白いパンツ、柔らかそうな黒ブーツを合わせている。どこからどう見ても貴公子だ。


「一体どうしたのよ⁉ 髭も前髪もないじゃない?」

「フィリップ様の命令で全部剃られちゃってさ…。あ、その、踊ってくれないとまた怒られちゃうし、頼むよ。昔はよくみんなで踊ってただろ」

 ポールの背中越しに目をやると、んふふふふふふふふふふふって痛いくらいの目力でこっちを見てる。


「無理無理、あんなのお貴族のダンスとは全然違うし」

「大丈夫、俺がちゃんとリードするから」

「いやよ」

「ジェルメ、たまには俺に任せてくれてもいいんじゃないか」

 そしてポールがジェルメの手を取った。


 知らなかった。ポールがこんな優しい目でジェルメを見ていたなんて。


 ちょうど曲調がスローになって、二人の距離が近づく。前、後ろに二歩、とポールが呟いてる。うんうん、ぎこちないけど形になってる。

 それにね、はにかんだような、喜びをかみしめたようなポールの顔を見れば、フィリップ様の言いたいことがあたしにだってわかる。

「「んっふふふふふふふふふふふふふふーーーっ!」」


 胸をときめかせながら二人を見守っていると、いつの間にか隣にはあの占い師がいて、ビクッとしてしまった。吊り上がった細い目を向けられ、少し恐怖を感じて後ずさりする。


 すると占い師はそこに活けられていた赤い花を一輪手折り、マリーの結った黒髪に挿した。


「あ…」

 ふいに同じことをして微笑んでくれた父の記憶が蘇る。あの時もそうだった。

 庭に一人でいた父は、ドレスが良く似合っていると褒めてくれて、庭に咲いていた赤い花を髪に挿してくれて…


「そのドレス、とてもお似合ですよ。こうするともっと素敵だ」

 吊り目の男も同じように微笑んだ。


 やっぱり、見つめただけでぴたりと当てるというのは本物なのかもしれない。まるで魔法にかけられたようにマリーは声を失った。ジェルメとポールのことも何もかもが抜け、代わりにざわざわと湧き上がる記憶が体内を埋めていく。


 赤いドレスがとても似合っていると微笑んだ父。髪に挿した花のしっとりとした手触り。こんなに湯水のようにお金を使って毎週宴をするなんて、どういうつもりなのかと激しく糾弾する母の声。せっかく、何年振りに会えたのか分からないのに母はずっと怒っていて。


 父は何と答えたっけ?


 あの日以来、二度と母が訪ねて来ることはなかった。きっと父の一言が原因のはずだ。

 何だったか…、どうしても思い出せない。


「うぐわああああああああああぁぁぁぁぁっ!!」

 その時、一人の男性客がスカーフを巻いた喉を掻きむしり、テーブルクロスをつかんで倒れこむ。杯や皿がガシャンガシャンと落下する中、男性は見て分かるほど泡を吹いて体を痙攣させ、周りの人たちが思わず後ずさった。


 しかしそれは一人だけではなかった。次に少し離れたところで談笑していた女性が、赤い紅を引いた口元を引きつらせて泡を吹き、その次は隣の男性と次々に同じように苦しみ呻き、次第に場内がパニック状態になる。倒れた人は十人以上になるだろう。


「何だ⁉ 何が起こった!」

「キャーーーーッ!」

「どけ! そいつに近寄るな!」

 動揺はあっという間に広まり、人でごった返す空間は全く異質なものに変わる。


「皆さん聞いてください! 呪いです。恐ろしい殺人鬼の呪いがここに」

 喧騒の中でも占い師の声はよく通り、群衆が一斉にこちらを見つめる。

 しかし発せられた言葉はマリーの思いもよらないものだった。


 占い師の白く尖った人差し指がマリーへと向けられる。


「この少女こそ史上最悪の殺人鬼、ジル・ドゥ・レの娘! 今宵、あの悪夢が繰り返されようとしているのです!」

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