第6話 表現の自由ってなあに その3
「最初に見つけた人のやりかたがまずかったのは、まあわかったけど。そこからどうなったの」
「ここからは炎上……というか、反対派と賛成派の言い争いに発展した。争点はほんとうに色々あった。多すぎるから、ここで全部を話すのは難しい。中にはあまりにもくだらないものもあったし、パパも全部を把握しているわけじゃないしね」
「ふーん」
「ということで、タケシにとって大事そうなところだけ、一部を少しずつ紹介しようかな。ええっと、まずは『その絵は子どもも見られる場所に掲示していいかどうか』からかな」
「え? ということは『掲示してもいい』って人もいたの?」
むしろそちらの方が不思議な気がして、タケシ君は首をかしげました。
だって、半分裸みたいな少女の絵です。それを普通に小さな子どもまで見たって構わないという人たちがこの世に本当にいるのでしょうか。
パパはちょっとまた困った笑顔をつくりました。
「いや、いるんだよ……。まあ恐らくは若くて、子どももいない人たちが中心だろうなとは思ったんだけどね。立場が変われば、ひとの考え方ってけっこう変わっちゃうし」
「え、そうなの?」
「そうだよ。かなり変わっちゃうよ?」
パパはにこっと笑いました。タケシ君を見つめている瞳には大いに意味がふくまれているようでした。
「僕だって、若い頃だったらそう言っていたかもしれない。『ひとの子どものことなんてしらないよ』って。『そんなに見せたくなきゃあ、親がなんとかしろよ』なんてね。結婚どころか恋人もいなくて、他人の子どものことなんてかけらも考えられていなかったし。……むしろ、自分自身がまだ子どもだったからだろうなって、今は思うけどね」
「……そうなの? そういうもの?」
「そういうものだよー。人間なんて、現金なもんだからねえ。男は特に、女性とくらべて精神的な成長が遅いなんていうし……まあ、まったく自慢できたことじゃないけどさ」
パパはまた、ぽりぽり後頭部を掻きました。
「恥ずかしいことだけど、パパだって学生のころまでは、電車の中なんかで赤ん坊の泣き声がしたら、普通に『ああうるさいなあ、疲れてるのに。親がちゃんと泣きやませろよ』なんて、無責任に思って不快になっていただけだった。実際は、赤ん坊なんてどこでも泣くし、理由なんてわからないことが多いし、泣きやませようったってそんなに簡単にはいかないのにね。知らないこととはいえ、ひどいもんだよ」
「そうなの?」
「そうそう。まあ、『無知からくる思いやりの欠如』ってやつだよねえ」
「えええ……」
タケシ君はちょっとびっくりです。だっていまのパパは、同じように乗り物の中などで赤ん坊の泣き声が聞こえても「ああ、元気がいいよね~」なんて笑うだけだからです。
でも、確かに周りの大人の中にはあからさまに迷惑そうな顔をする人がいるのも事実です。中には「チッ」なんて舌打ちしたり、ひどい人は赤ん坊をつれているお母さんに向かって「うるせえな」なんて、ひどい言葉で嫌味を言うことまであるのです。
「また話がそれちゃったね。で、まあそういう『大人向けじゃないの? 子どもに見せちゃまずいんじゃないの?』と思えるような絵でも『だれでも見られるように掲示したって構わないじゃないか』という意見の人は一定数いるわけだ」
「ふうん。あ、でもパパ。美術の教科書なんかには、昔の絵で裸のやつとか載ってるよね。ええっと、ダビデ像……? とかも裸じゃなかった? あれはいいの」
「ミケランジェロのダビデ像だね。確かにあれは有名だよね。実はそういう意見も、SNSでたくさん出ていた。『あれが普通にだれでも見られるように展示してあるのに、なんでこの絵だとダメなんだ』っていう意見だね」
パパはひとつ頷いて、スマホでまた検索し、その写真を出してきてタケシ君にも見せました。
「確かにこれは裸だよね。局部もしっかり丸出しだし。SNSではほかにも、『ミロのヴィーナスの絵だとか、ほぼ裸じゃないか』といった意見や、『街の中にある小便小僧はどうなんだ』という意見など、色々なものが出ていた」
「ん? ショウベンコゾウってなあに」
「街の噴水なんかで、つまり……裸の男の子がおしっこをしている様子を表現した像でつくられている場所がわりとたくさんあってね。今は少しずつ撤去されているらしいんだけど」
「へー」
「たとえばこんな感じのもの」
言ってまたパパはスマホで写真を見せてくれました。
たしかに裸です。小さな男の子がおしっこをしている姿の彫像で、肝心の部分から水が出ているといったものでした。
タケシ君はちょっと変な顔になりました。
「なんでわざわざこんなの作ったんだろ?」
「さあ。それはパパもよく知らないけどね。もともと日本で多かったのは竜やヘビなんかの口から水が出るっていうタイプだったと思うし。竜神様とかヘビは水の神様だから。小便小僧は、もともと海外のデザインだと思うんだよねえ」
「ふーん」
「ああ、話がまた脱線した。……まあこんな感じで、特にふるい絵画や彫刻の中には裸のもの、性器を描いたものはけっこうある。現代絵画でも、裸婦の絵は多いけどね」
「うんうん」
「でもそれは、一応当時でも問題にはなったんだよ。男性や女性の裸の絵をかいたり彫刻をつくるということに対して、反対意見はあったらしい」
「へー」
「でもまあ、芸術家たちはそれをつくりたがった。理解はできる。やっぱり、そこに美しさがあるというのは事実だと思うしね。芸術家としてそれを表現したい気持ちは理解できると思うんだよ」
「でも、裸の絵でしょ? 普通の人からはそんなに簡単に受け入れられないんじゃない?」
「もちろんそう。当時だってそうだった。まあ当時は、絵画なんて高等な文化は王侯貴族たちのものであって、平民と呼ばれる一般の人たちが簡単に見られるものじゃなかったけどね」
「あ、そうなんだ」
「当時の画家や擁護派の人たちがどう言っていたかっていうと、『これは神様の姿だ。人間ではない。だから裸で描いてもいい』。これだった」
「えええ?」
タケシ君はおどろくとともに、なんとなく親近感をおぼえました。
「なんか、小学生のいいわけみたいだねー」
「そうだねえ。まあ、一種の屁理屈だよね。とにかく、それでどうにか当時の芸術家たちも人の姿をした裸の絵を描いたり像を作ったりしていたわけだ」
「へー!」
昔の人も、そういう屁理屈でそんなものを作ったのか。
だから、古い絵にはヴィーナスだとか天使だとか、神様の絵が多いのか。
ちょっと納得です。
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