第07話 お隣さんと夕食を②

「いやぁ、めっちゃ美味しかったぞ。びっくりした」


「ふふっ、それは良かったです」


 せめてこれくらいはさせてくれと、俺は食べ終わったあとの食器類を洗いながら、食事中のことを思い出す。


 唐揚げにサラダ、シチューといった献立で、そのどれもが舌鼓を打つには充分すぎる味だった。


「まさか、電子レンジで調理してたのが唐揚げだとは思わなかったぞ」


「油を使わないので、ヘルシーに出来上がるんですよ。それにレンジに放り込むだけなので簡単です」


「なるほど。あ、シチューも凄く美味しかったなぁ。ありゃ、毎日でも食べられる」


「さ、流石に毎日は飽きちゃいますよ。でも、あのシチューは昨日の残り物を温め直しただけなんですよ」


「いや、それが良いんだよ。あのジャガイモが微かに煮溶けてる感じが最高」


「あ、それわかります。私もシチューは作り立てより、具材が煮溶けた感じの方が好きです」


 美澄の共感が得られたところで、俺は食器洗いを終えた。


 さて、どうしようか……。


 あまり長居をするのも良くないだろうし、そろそろ帰るべきだろう。


 と、そんなことを考えながら突っ立っていると、ソファーに座っていた美澄がキッチンの方へ歩いていく。


 ほとんど目が見えなくても、ここは美澄の自宅だ。


 まだ来て間もないとはいえ、間取りや家具の配置は完璧に頭の中に入っているようで、その足取りに迷いはない。


「津城君、食後のお茶でもどうですか?」


 そう聞いてくる頃には、すでに美澄はポットを用意していた。


 もちろんそんな状況で断れるはずもなく、俺は「じゃ、頂こうかな」と後ろ頭を撫でながら答える。


「では、ソファーに座って待っててください」


「はーい」


 俺はソファーの左寄りに腰を下ろし、何となくキッチンで茶を入れる美澄の姿を眺めていた。


 ポットに湯を注ぐだけの作業のため、エプロンはしていない。


 湯を注いだあと、しばらくポットの様子を観察していた美澄がトレーに二つ湯飲みを乗せて運んできた。


「言ってくれれば運ぶくらいしたのに」


「津城君はお客さんなんですから、ゆっくりしていてくれればいいんです」


 優しい笑顔を浮かべながらそう答える美澄は、湯飲みに茶を注いでいく。


 注がれる茶の色は透き通った薄墨色で、辺り一帯に芳ばしい匂いが広がる。


 こんな特徴的な茶は、俺の知っている限り黒豆茶しかない。


「黒豆茶好きなのか?」


「はい。基本的にお茶が好きなんですが、中でも黒豆茶が一番好きですね」


「へぇ、知らんかったな」


「それはそうですよ。私達、会ってまだ二日ですよ? 私の好みを津城君が知っていたら怖いです」


「あ、確かに」


 一緒に街に出掛けたり、夕食を取ったりと、長い付き合いをしてきた友人のような感覚に陥っていたが、実際美澄とは昨日会ったばかりだ。


 俺は自分自身で何言ってんだろうなと自嘲気味に笑いながら、目の前のテーブルに置かれた湯飲みを取り、黒豆茶を口に含む。


「あ、美味しい……」


 芳ばしさの中に黒豆の仄かな甘みがあり、独特の風味が鼻を抜ける。


 若干の間隔を開けて俺の右隣に腰を下ろした美澄も、黒豆茶を飲んで「ほぅ」と声を漏らしていた。


 俺はあまり友人関係が広い方ではない。

 自分で積極的に友人を増やしていこうと努力もしない。


 多くの人に囲まれて生活するのもそれはそれで楽しいのかもしれないが、俺はどちらかというと、少数の気の置けない仲の人と一緒にいる方が落ち着く。


 そして、今俺は結構和んでいる。


 まだ互いに知らないことばかりで、友人と呼べる仲ではないかもしれない。

 そのため遠慮があったり、今こうしてソファーに座る俺と美澄の間にある隙間のように、一定の心理的距離も置いている。


 友人とはまた違った付き合い方なのだろうか。


 言うなれば、“隣人”。


 それが一番しっくりくる。


 困ったときはお互い様だが、図々しくプライベートな領域には立ち入らない。


 そんな関係が、俺はすでに気に入ってしまっているのかもしれない。


「あ、そうだ津城君」


「ん?」


 美澄は湯飲みを置き、テーブルに置いてあった自分のスマホを掴む。


「えっと、その……連絡先、交換しませんか?」


 顔の下半分を隠すように両手でスマホを持ち、大きな榛色の瞳を上目遣いで向けてくる。


 その表情からは、断られたらどうしようといった不安が容易に見て取れる。


 これまた無自覚なのだろうが、そんな視線を向けられては何だか落ち着かない。


 心拍が少し上がり、微かに顔に熱が籠るのを感じる。


 この気恥ずかしさが今、表情に出てしまっているのかどうかはわからないが、どちらにせよ美澄には見えていないだろう。


 俺は平静を取り繕いながら、「もちろん」と答えてポケットに入れていたスマホを取り出す。


「よ、良かったぁ……」


「いや、そんなに心配しなくても断ったりしないって」


「わ、わからないじゃないですか」


 美澄に連絡先のQRコードを出してもらい、俺はそれを読み取って連絡先に追加する。


「わかるんだよ。いいか、美澄は断られる心配のない人種だ」


「ど、どんな人種ですか」


 そりゃまぁ、こんな美少女から「連絡先交換しませんか?」と言われて断る奴はそうそういないはずだ。


 それは男子に限ったことだけでなく、美澄は性格も穏やかで優しいし、女子からも人気が出るだろうから間違いないはずだ。


 もちろんそれをよく思わない一定数の人間はいるかもしれないが、それは誰だって同じことだ。


「それにしても……何だか不思議な感じですね。連絡先の中に同級生の男の子のものがあるなんて、初めてです」


「あぁ、そう考えたら俺もだ。女子の連絡先とか、お前が初めてだわ」


「え、そうなんですか? てっきり沢山いらっしゃるのかと思ってました」


「いや、何をどう考えたらそうなる」


「だって津城君、気が利きますし、優しいですし、頼りになる人じゃないですか。てっきり学校ではモテモテのモテかと思っていたんですが……違いましたか?」


「ああ。何もかもが違うな」


「そうですか……都会の人は見る目がないんでしょう。ま、私が言うのも何ですけど」


 自分で言ってクスクスと笑っているので、もしかすると美澄の持ちネタなのかもしれないが、ちょっとツッコミを入れる勇気はなかった。


「いや、美澄は俺を過大評価しすぎだから」


「そんなことはないと思いますけど」


「まぁ、そう思ってくれてることは嬉しいけどな」


「では、そう思っておきますね」


 美澄はそう言って淡く微笑むと、再び湯飲みに口をつけ始める。


 俺はそんな美澄の姿を横目に、まだ充分に温かい黒豆茶を飲んだ。


 胸の辺りに熱いものを感じる。

 黒豆茶で身体が温まったのだろうか。


 ――和やかな静けさの中、俺と美澄はのんびりとポットの黒豆茶がなくなるまで飲んだ。

 

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