闇が広がる

 インブリウム退治が終わり、一夜明けた。

 アルマがオズワルドの校外学習の引率に来た講師や教授に掛け合った末、ニコヌクレイクの女性たちには、妖精避けのお守りが配られる手はずとなった。

 この村にも呪い除けの小屋が存在していないようだったので、つくったほうがいいと、教授を通して村にも掛け合っていたが、こればかりはニコヌクレイクの村長の判断次第となるだろう。

 ユニコーン乱獲問題は既にオズワルドの講師陣も周知の事実だったらしく、それに紛れての事件には、頭を抱えているようだった。


「しかし……ユニコーンの乱獲についても検討しなければ、数少ない一角獣の観察ポイントであるここにも迷惑がかかりますね」

「今回みたいにインブリウムの悪戯が横行しても、黙られてしまったら調べられませんしなあ」


 魔法使いは、助けを求められない限り助けることができない。

 自主的に解決しようとすれば、村や町の産業にどう影響を与えてしまうかわからないためである。

 現に一角獣退治を行えばいいとひと言で言っても、ユニコーンとインブリウムの区別なんて召喚科の魔法使いでもなければすぐにつく訳がないし、精神世界に逃げてしまうインブリウムの捕獲なんて、召喚科の中でも妖精に精通している魔法使いでなければ無理だ。

 念のためユニコーンの乱獲については、妖精狩りの魔法使いたちが派遣されることになった。これで解決に一歩前進したと見るべきか、魔法使いたちのいたちごっこがはじまったと取るべきかは、後々になって様子を見なければわからない話だろう。

 アルマたちは、オズワルドに戻る前の自由時間を、ケイトたちの食堂で昼ご飯を食べて終えることとなった。

 朝の時間帯は講師陣との話が続き、すっかりとくたびれてしまっていた。


「疲れた……教授がいたらよかったのに」


 普段偉そうな態度なアルマも、さすがに疲れを全身に滲ませていた。それに当事者でありながらも、どうやって解決させたのかわかっていないケイトが、心底申し訳なさそうに頭を下げた。


「本当に今回は、なにからなにまでありがとうございます」

「いいのよ。相手がインブリウムだったし、ニコヌクレイクに悪い噂が広がったら、今度こそ村が大変なことになってしまうところだったしね」

「本当に……」

「これ以上の礼はいいわ。あなたの店のご飯を楽しみに、今年も来たんですもの。それで充分よ」


 アビーのつくってくれた川魚のグリルも美味かったが、ケイトのつくったものはそれを上回る美味さだった。

 ハーブを効かせてありシャープな香りが更に旨味を際立たせ、備え付けのパンに挟んで食べればいくらでも食べられるというもので、皆で夢中になって食べていた。


「それにしても……アルマはいったいなにをやってインブリウムを撃退したの? いきなり寝てしまうから、まさかアルマまでインブリウムに操られてどこかに行くんじゃとヒヤヒヤしていたけど」


 ルーサーが何気なく尋ねると、アルマは蠱惑的な笑みを見せた。


「単純に、インブリウムに喧嘩を売った相手を間違えたと教えただけよ」

「喧嘩を売る……」

「どっちみち、ニコヌクレイク付近には妖精狩りの魔法使いたちが派遣されることになったし、ずる賢いインブリウムはこの村に来ることはないでしょう。ユニコーン乱獲問題もどうにかなればいいんだけど」

「うーん、そっちはなかなか難しいんじゃないかな?」


 そうやんわり言いながらグリルに野菜のソースをたっぷりと塗りつけてから、パンに挟んでいるジョエルが言った。


「禁術法のせいで、正規ルートじゃ魔法薬を買えなくなった魔法使いたちが大勢いるから。禁術法のほうをどうにかしない限り、いたちごっこが続くと思うよ」

「前々から思ってたけど、その禁術法って、そこまでまずい法律なの? そりゃ妖精が黒魔法認定されるっていうのには驚いたけれど、黒魔法指定されてない魔法を研究すればいいんじゃないかと思ったんだけれど……」


 ルーサーの言葉に、今度はアイヴィーが「うーんとねえ」と口を開いた。


「うちは解呪師の家系なんだけどね、解呪を行うためには、呪いの方にも精通してないと意味ないし、そもそも解呪ができないのよね」

「え……そういえば」

「医者だってそうでしょう? 体のなにがどう悪いのか診ないと、治療ができない。悪いからって全部なかったことにしても、かえってなんにもわからないから困るっていうのが増えるだけなのよね。お偉方も、魔法の知識がなんもないのに法規制しちゃったもんだから、かえって現場が混乱しちゃってるのよ。まあ、私が現場が混乱しちゃってても、手伝いようがないから、こうして召喚科にいるんだけどねえ。うちの家族、最近あちこちの黒魔法の始末に追われて家に帰れてないみたいだから、そのうち倒れるんじゃないかと心配」

「はあ…………」


 それはルーサーが思っている以上に、深刻な問題のようだった。

 アルマは「その辺にしなさい」とアイヴィーを咎めるように言うと、彼女は形のいい指で、揚げたイモを摘まんで食べた。


「まあ、禁術法も元々は本当にまずい魔法を規制したかったのに、そのまずい魔法の区別をついてなかったのがそもそもの問題なのよ。世のお偉方はもっと魔法を知るべきだし、魔法使いを畏怖せずに、もっと身近に置いていたほうがいいわ。そのほうが、妖精に関する悪戯だって、悪徳魔法のトラブルだって、すぐ解決できたでしょうに」


 そうしんみりと言われると、ルーサーはなにも言えなかった。

 せめて呪い除けの小屋さえあればどうにかなる案件だって大勢あるというのに、魔法使いのいない町村ではそれらさえない。魔法が身近にあるのとないのとでは、そもそも意識が全く違うのだ。

 自分が被害に遭わない限り、無知の害がわからない。


「とりあえず、話を戻すけれど、ニコヌクレイクは今は大丈夫なんだね?」

「そうね。川魚おいしいもの。これだけ綺麗な湖で、川魚が増え過ぎず減り過ぎずで維持できるんだったら、そこまで悪いことにはならないと思うわ」


 アルマの言葉通り、ケイトが帰ってきた途端に、食堂は賑やかになっていた。


「本当に見つかってよかったよ……ここの料理が食べられなくなるところだった」

「私がいなくなっても、アビーやハンナがいますよ」

「ふたりも料理上手だけれど、まだまだケイトちゃんには勝てないよ」

「あらあら……その内、あの子たちも上手くなりますよ」


 どうもケイト本人だけでなく、ケイトの料理目当てで、近隣の町村から客が訪れているようだった。それに、他にも魔法使いだけでなく、料理目当てに訪れている客が幾許かいるようだ。

 湖さえ守り切れば、たしかにここは静かに存在し続けるだろう。

 皆はお金を置いて「来年も来ますね」と言葉を残して店を出た。

 オズワルドは基本的に空が濁っていることが多く、ニコヌクレイクのように穏やかな晴天は稀だった。


「来年もまた来たいね」


 ルーサーがそうしみじみ言うと、アルマは一瞬だけ呆けた顔をしたあと、柔らかな笑みを見せた。


「そうね」


 それは頼れるアルマが数少なく見せる、年相応の乙女らしい微笑みだった。


****


 テルフォード教授は、オズワルド魔法学院の看板教授であり、オズワルドに籍を置きながらも、なにかに付けて学院を離れることが多い。

 未だに詳細の掴めない妖精に関するフィールドワークはもちろんのこと、魔法使いでなければ対処できない案件に顔を出し続けているからである。魔法に対する造詣の深さは、他の追随を許さないのだから、他の学院からも呼び出しを受けても仕方がなかった。

 その日、テルフォード教授は学会帰り、普段であったらニコヌクレイクのユニコーンを見物に行くところを、学会の行われた学院に呼び出しを受けて、オズワルドの校外学習に合流できないでいた。


「はあ……禁書ですか」

「それも、三冊です」


 禁書。基本的にそれらは禁術法が施行される前から存在する書物であり、そのほとんどは、古代魔法に分類される魔法の書物であり、現代魔法ではそれらを読むことが困難なため、禁書認定を受けている。

 この学院に保管されていた禁書が、よりによって三冊もなくなったために、図書館司書や学院に籍を置く魔法使いたちが探し回っているのだが、未だにそれらは見つかっていなかった。


「探索魔法にも引っかからずに禁書が移動したとなったら、これはもう妖精の仕業ではないかと」

「たしかに、妖精であったら精神世界から簡単に移動できますが……そもそも物質がそう易々と精神世界に辿り着けませんし、それが妖精が気に入った人間ならいざ知らず、禁書であったらますます可能性は低いですよ?」

「ですが、これを」


 そこには妖精の鱗粉をふんだんにかけてあった。

 そしてその妖精の鱗粉が司る形は、あからさまに小さな足跡であった。それこそ、アルマが使い魔にしている妖精のような。

 テルフォード教授はそれに「ふうむ……」と言いながら、自身の持つ小瓶を取り出した。そこには砂鉄が含まれており、それをかけるとたちまち金色の鱗粉は変色する……これは妖精の足跡で間違いがない。


「たしかに妖精で間違いがありませんな。しかし、この禁書の内容、わかりますか?」

「はい────……」


 その内容を聞いた途端、日頃穏やかな面持ちのテルフォード教授の目が、鋭く光った。


「……それは大変なことですな」

「はい、これが広がってしまったら大変なことになりますから。しかし、これを公にしてしまっては……」

「最悪、魔法自体が国から禁止にされかねませんな」


 禁術法が施行されたのは、なにも国が横暴だからではない。

 黒魔法に指定された魔法を行使するのは、なにも善良な魔法使いたちだけではない。悪徳を美とする魔法使いたちが、魔法がわからない知らない使えないという一般人たちを、自分たちの利益のためにいじめはじめたことが、そもそもの禁術法の施行原因だ。

 国が特に危険だと判断したのは、人の心を操る魔法、人の外見を変える魔法。そして。

 人の生死を弄ぶ魔法。

 これらが人を害すると判断して規制をはじめたのだが、逆に魔法使いたちを怒らせてしまって行方不明者が続出し、挙げ句の果てに規制したかった魔法も、規制しなくてもよかった魔法も、全て闇に隠れて失われてしまった。

 各地の魔法学院は、お偉方と交渉に交渉を重ねて、どうにか規制がかからないように魔法を守り続けている。禁書も、禁術法施行前から存在しているということで見逃してもらっていたが。今回ばかりは失われた禁書が、禁術法に引っかかる本ばかりなため、このままでは国が動く。


「早急に見つけ出さないと、大変なことになるね。わかった。オズワルドのほうにも話を付けておくよ」

「本当に……ありがとうございます」


 平和な学院生活のその裏で、なにかが蠢きはじめていた。

 闇が触手を伸ばしかけていることを、まだほとんどの者たちは知らない。

 まだ、なにも。

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