妖精に人の心はわからない 後編

 ルーサーが向かった先には、オズワルドの校舎が見える。門をくぐり、中庭を抜けて目指した先は、召喚科の校舎であった。

 そのまま駆け出して校舎に入ろうとしたそのとき。いきなり彼はローブを掴まれたことでつんのめった。


「うっ……!」


 ローブがちぎれんばかりに引っ張られ、首も絞まりかける。そのせいでルーサーは足を止めてしまう。振り返った先に立っていたのは、潤んだ瞳の普通科の女の子であった。

 自分にかかっている呪いのせいで、そんな表情の女の子のことを見ると、ルーサーは反射的に身が竦んだ。数年間にも及ぶ逃走劇で、ルーサーはすっかりと恋愛恐怖症が染み込んでしまっていた。


「ご、ごめん……今日は調子が……」

「ルーサー、いきなり朝食を抜け出してどうしたの? 今日あなた変だよ?」

「そんなことはない……今日は探している人がいて……」

「それってラナ? それとも別の人?」

「…………っ」


 アルマの名前が喉から出そうだったが、故郷でのことを思い出して口にはできなかった。


(もし僕がアルマさんの名前を出したら……まずいような気がする)


 なによりもこの目の前の彼女、さっきからペンケースをあからさまにカタンッカタンッと手元で弄んでいるのが気にかかる。

 やがて、他にも女の子たちがやってきたが。なにかが変だ。目の前の彼女のようになにかを持っている……やがてひとりの子を見て、寒気がした。鋭利なナイフを隠そうともしていなかったのだ。


「どうしてこれだけ好きだって言っているのに気付いてくれないの?」

 「他の子を見るのを止めてよ。私に好きって言ってよ」

  「ねえ、ルーサー。こっちを見て?」


 たったひとりからの告白であったのならば、それが意中の子からであったら、恋愛恐怖症に至っているルーサーでもそれはそれは真剣に向き合うだろうに、彼女たちの様子はどれもこれもおかしく歪であった。

 まるで誰かに言わされているかのようにたどたどしく、想いの告白にしては熱がなく、それでいて粘っこい、得体の知れないなにか。

 今までの呪いに当てられた子たちとは、明らかに様子が違っていた。やがて、女の子たちはそれぞれと目が合った。


「……あなたもルーサーを狙っているの?」

「ルーサーを好きなのは私なの」

「なに言っているの? 順番で好き嫌いが決まる訳ないじゃない」

「私はルーサーが好きなの」


 これが自分のせいで起こっている現象でさえなかったら、彼女たちの口論は人形劇のようで滑稽なものであったが。残念ながらルーサーの人間性はそこまで悪く考えることができなかった。

 彼女たちの視界には、もはやルーサーが映っていない。彼女たちは皆、手にそれぞれ凶器を持って、それぞれを相手に見せているのだ。ここで止めなければ、血の雨が降る。

 ……ここまで極端だというのに、誰もおかしいと気付けないのが最悪だ。


(……妖精の呪いだって言っていたけど、こんなのいったいどうすれば……!!)


 だんだん増えてくる女の子の数に、ルーサーは咄嗟にパンツのポケットに手を伸ばした。カタンと硬質なものが指に触れる。それはアルマからもらった小瓶だった。中身は未だにルーサーは手に付けていない。


(これは妖精よけだって言っていたし、目の前の呪いの影響を受けた子たちにどれだけ聞くのかわからないけど……)


 ルーサーは小瓶のコルクを引っこ抜くと、そのまま砂鉄を彼女たちいっせいに振りかけた。途端に皆一斉にくしゃみをしはじめた。


「くっちゅん……! あれ? ここどこ?」

「まだ授業には早いよね?」


 あれだけ潤んだ瞳でルーサーを見ていたというのに、皆正気の目に戻り、ただルーサーを一瞥して困ったように首を傾げていた。


「ルーサー、私たち授業に行くね?」

「う、うん。気をつけて」


 そのまま手を振って別れる。


(助かった……)


 そう思えればよかったのだが。


「よかった。ルーサー。この小瓶の中身を全部使ってくれて」


 そう弾んだ声が響いたのに、ルーサーはぱっと振り返った。

 先程食堂に置いてきたラナであった。ラナは相変わらず妖精のように美しく、朝の穏やかな日差しを受けながら歩く様も麗しいが……なぜか朝の夢見を受けてからというもの、ルーサーには彼女が最も歪に見えてしまっていた。


「……ラナ、どうして?」

「だってそれ、鉄でしょう? 今まで鉄に対して興味なかったのにどうしたのルーサー」


 いつもの通りの口調で話しているラナ。

 本当にいつも聞いている彼女の声のはずなのに、今のルーサーからはどこか仰々しくも白々しく聞こえていた。

 彼女は、本当に幼馴染のラナだったんだろうか。


「ラナ、君はいったい……本当に君は、僕の幼馴染のラナなのかい?」

「不思議なことを言うのね、ルーサー?」


 ラナはにこにこと笑う。その笑みは美し過ぎて、もう人間とは呼べるものではなかった。

 なぜ。どうして。どうして今まで気付かなかったのか。そもそもどうして誰も気付かなかったのか。彼女みたいな美しい人間は存在している訳はないのに。


「あなたが私を、ラナにしてくれたのでしょう?」


 そう言って彼女は、銀色の髪を揺らして笑った。

 途端に、アルマから聞いた言葉が頭に閃いた。


『妖精は一匹だけでも妖精郷の力を引っ張り出せるから、おかしなことをおかしいと思っても、普通科の生徒では認識できない』


(てっきりラナは、妖精郷に連れさらわれたときに、妖精に呪われて僕とラナの約束を上書きしたんだと……そう思いたかったのに……違ったんだ)


「君が……妖精だったんだね……誰も気付かなかったのに」

「ええ、そうね。誰も気付けないもの。でもまさかあなたに魔法の素質が見出されて、オズワルドに召喚されるなんて思ってもいなかったわ。困るのよ、魔法使いがたくさんいる場所だったら、私の力も封じ込められてしまうから」

「じゃあ、じゃあ……本物のラナは……!」

「知らないわ? だって、私をあなたがラナと呼んでくれた。だから私はラナになった。それでいいんじゃない?」

「よくない……!!」


 そう悲鳴を上げたものの、ラナと名乗る妖精は、不思議そうな顔をしていた。


「どうして? もうあなたはさんざん人間たちに理不尽に追いかけられたのに、どうして人間に愛想を尽かさないの? 私と一緒に妖精郷に行ってくれないの?」

「……困るよ、やだよ、止めて……彼女は……」


 今まで会話が成立していたのが嘘のように、ラナはルーサーの話を聞いてはいない。

 先程まで呪いにかかって追いかけ回してきた女の子たちと同じ。ルーサーの気持ちなどお構いなしなのだ。

 いや、そもそも根底がおかしい。

 今まで人間のふりをしていただけで、本来はこちら側が彼女の本質だ。

 妖精には、人の心がわからない。


「そもそもおかしいのよね。普通にこれだけ一緒にいたら、もう私をラナだと思っているから、なにを言ってもラナの言葉だと捉えてしまうのに、あなたは未だに口では言っていても心では認めていない。これが魔法の素質があるってことなのかしらね?」

「……知らないよ、そんなの。本物のラナは?」

「そうねえ……なら私と一緒に妖精郷に行きましょう! それで、本物のラナを探すの! それならいいでしょう?」

「あ……」


 それならばと一瞬思ったが、そこに割り込んだのもまた、昨日アルマから教わった話であった。


『約束を、妖精が利用して上書きしている可能性があるから』


 ルーサーは思わず首を振った。


(僕のラナに対する記憶を使って、約束を取り付けて逃げられないようにするつもりだ……)


 その態度が気に入らなかったのか、ラナはぷっくりと頬を膨らませた。


「もう、あなたってば本当にひどい人! 何年もかけて呪ったのに、ちっとも折れてくれないんだもの! そのほうがあなたも心置きなく人間界とおさらばできると思ったのに。でもそういう態度ならいいわ。もうそのまま連れて帰ってあげるから……」


【いい加減にしなさい、妖精風情が偉そうに】


 はっきりとした妖精言語が響き、ルーサーとラナは驚いて振り返った。

 そこにはローブを靡かせながら歩いてくるアルマの姿があった。


「アルマ……さん?」

【やっと会えたわ。何度会いに行っても見つけることができなかったのに】


 妖精言語は、ルーサーでは聞き取ることさえできない。

 アルマの視線はルーサーを完全に無視して、ラナと名乗る妖精を見つめていた。妖精は混乱したように、アメジストの瞳を瞬かせた。


【その発音……人間ではいくら練習したとしても、完璧な妖精言語は話せなかったはずよ! それなのに……】

【ええ、そうね。たしかに正攻法では、いくら人間が勉強したとしも、完璧な妖精言語の発音を身につける方法は不可能よ……でも、ずっと妖精言語を浴びていたのなら、しゃべれるようになるのかもしれないわね】

【あなた……いったい誰?】

【覚えていないのね】


 ラナとアルマは妖精言語で言い合っているため、端から聞いているルーサーはなにを言っているのかがわからなかった。

 ただ表情からして、ラナは本気で混乱し、対してアルマの表情は怒りに満ちていることがわかった。

 そこで今度は、朝に声をかけてきたジョエルの言葉を唐突に思い出した。


『彼女、相当苦労しているから、もしちょっとでも彼女に対して思うことがあるんだったら、彼女に話しかけてあげるといいさ! きっと喜ぶよ!』


 普通ならば、魔法使いが苦労するというのは、親が死んで金が底を尽きた以外では、まずあり得ない。

 魔法使いを生業としている人間は、魔法の行使にはとにかく金がかかるために、大概はお金を貯め込んでいる。妖精学のように、未だに人間ほどには解明していない妖精の研究なんて、特に金がかかるのだ。世界的権威のある妖精学者の娘が、金の意味で苦労するはずがないが。

 彼女は執拗に妖精郷に行きたいと言っていた。そして妖精を愛していない。あまりにも矛盾しているが。ひとつだけ、可能性がある。

 アルマはラナを睨み付けていた。


【人の立場を奪って楽しかった? 家族を、友達を、家を……私の名前を奪ったあなたを、ずっと殺したくて仕方なかったのよ】


 取り替え子は、妖精にさらわれた子のことを差し、妖精にさらわれた子の替わりに妖精が置かれることを差す。が。

 妖精にさらわれた子がひょっこりと帰ってきた場合はどうなるのか。

 妖精が人間の子と入れ替わっても、誰も認識することができない。そこに人間の子が帰ってきたらどうなるのか。

 名前も立場も住む場所も奪われた子供は、いったいどうなってしまうのか。

 その答えは、どう見てもアルマ……かつて、ラナ・プリムローズと名乗っていた少女が握っているように、ルーサーには思えた。

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