Rusty Rail

雪村悠佳

 路線バスのドアが開いた時、まず飛び込んできたのは蝉の声だった。それに続いて、クーラーの効いた車内に生ぬるい空気が流れ込んでくる。

 運賃箱にお金を放り込んでステップを降りて外に出ると、それ以上の熱気を拒むかのようにすぐに背後でドアが閉まった。運転手しかいないバスは、エンジン音だけを残してすぐに走り去っていく。バス停に立ち止まった僕の体に、熱を帯びた空気と微かな排気ガスの匂いがまとわりついてきた。

「あつい……」

 思わず声を漏らす。

 もちろん旅先で雨に降られるのは嫌だけど、こんな真夏の炎天下も困る。僅かに吹いている風ですら、涼しさよりはむしろ熱さを運んできている。そして、周りを見回しても草むらばかり。十字路の角に少し傾いたバス停が立っていて、バスが走り去った方向に数軒の建物が見えるだけ。その建物にも人が暮らしているのかどうかは分からない。少なくともいちばん近くの木造の家は、屋根の一部が傾いていて、とても人が住んでいるようには見えない。……ましてや、暑さを避けられるようなお店などあるはずもない。

 十字路を曲がった方向を見ると、正面に一つ古い木造の建物が見える。

「あれか……」

 独り言を言うと、僕はその建物に向かって歩み寄る。

 交差点の辺りだけは舗装されているが、曲がると舗装は割れたり欠けたりして、その隙間から生えた夏草が道を半分ぐらい覆っていた。しかしその向こうの建物は、長く使われていないように見える割には今でもしっかりとしている。

 正面が大きく開いた、普通の民家には見えない感じの建物。

 入口には横長の木の看板が掛かっている。雨風にさらされてすっかり黒ずんだその看板は、それでもまだ何とか文字が読み取れた。

 おそらくは墨で書かれたであろう文字で――「弥沢駅」。

 入り口は板で塞がれていて、中には入れない。

 ……が、別に中に入らなくても横から回ればいい。

 そこには……雑草の中の浮島のようにホームがそのまま残っていた。

 ホームの端から上に登ると、コンクリートの隙間からは雑草が茂って、すっかり草むしている。しかし屋根の残っている辺りだけは今でもあまり荒れておらず、ホームの白線もそのまま残っていた。

 後ろを振り返ると、半分傾いた木の柵。

 そして、ホームから下を覗くと、雑草に埋もれて錆付いたレールが見える。隙間からは少し見える枕木。

 ……この光景を見たくて、わざわざバスに乗ってきた。十年前に廃線になった幌倉鉄道。人里を離れた弥沢駅の辺りは今でも当時のまま放置されている、とインターネットで紹介されていた、そのままの光景が目の前にあった。いや、現実に目の当たりにする光景は、画面で見る写真よりもずっと胸に突き刺さるものがあった。

「……ふぅ」

 大きく息を吸ってから、僕は肩掛けカバンを枕代わりにして、ホームに寝そべった。


 ところどころ穴の開いた屋根から見上げる空は雲ひとつ無い、抜けるような青空。太陽は見えないのにそれでも眩しい。

「あつい……」

 もう一度呟く。額の汗がひとしずく、耳の横を伝ってホームに落ちる。

 僕はそっと目をつぶってみた。

 昨日の夜行列車からの疲れも出たのか、急にすうっと意識が遠くなる。

 まぶたの向こうはまだ強烈な光。それもすぐに見えなくなった。

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