ハイヒール事件

 芽衣の家にもすっかり通い慣れてきた。インターホンを押すのに緊張していた、過去の俺が聞いたら驚くだろうが、合鍵を渡されてしまいそうなくらいには通っている。

 今日も今日とて、芽衣に呼ばれてやって来た訳だが、見せたいものって一体なんだ? インターホンを押せば、芽衣から鍵が開いてるよと扉越しにご機嫌な声が聞こえる。


「おじゃまします」

「いらっしゃい!」


 いつもより上機嫌なようで、満面の笑みで俺を迎えた芽衣。何かあったのか? と尋ねてみれば、いいもの見つけたから、ちょっと待ってて、と残してパタパタとリビングに戻っていく。

 最近は中間試験があったこともあって、勉強ばかりで少し張り詰めていたから、こうして息抜きできてるのはいいことなのだろう。

 芽衣は今回もかなり気合を入れていたようで、その結果も点数として出てきている。だが、クラスメイトもそれは同じだったようで、芽衣の順位は思いのほか伸びていなかった。そのことを少し気にしているようだったが、何もかもを楽しめなくなる程に思いつめてしまってる訳ではないようで何よりだ。


「じゃーん!」


 声に振り返れば、箱を両手で持って掲げた芽衣。じゃーん! なんて言っているが、箱は蓋が閉まったままで、中身は見えず、なにを持ってきたのかは分からない。


「ハイヒール発掘したんだ」


 俺の思考を読んだのかは定かではないが、知りたかった答えを口にする芽衣。それはいいのだが、普通は使わないような表現に思わず声がこぼれる。


「いや、発掘って……」

「掃除してたら出てきたの。ママが昔履いてたやつなんだって。で、これなんだけど、なんと今の私のサイズとピッタリなの」

「なるほどな。じゃあ、そのお披露目ってことか」


 俺がそう言えば、うん! と元気のいい返事と共にヒールが箱から取り出される。ゆっくりと玄関に立った黒いヒール。俺のくるぶしよりと同じくらいの高さのヒールに思わず、高いな、と声がこぼれる。


「十五センチだって」

「足、痛くなりそうだな」

「でも、オシャレは我慢って言うし、とりあえず履いてみるね」


 身長差を考えるのなら、そこは我慢しなくてもいいんだけども、と言いたくなるのをグッとこらえて飲み込む。


「履き心地はどう?」

「なんかちょっと違和感あるけど、座ってるから何とも。とりあえず立ってみるね」

「おう。でも、気を付けてな」


 言いながら手を差し伸べれば、芽衣の小さく柔らかい手が重ねられた。その手をしっかりと掴んで支えてあげれば、芽衣はゆっくりと立ち上がる。いつも目線の高さにある芽衣の頭頂部は向かい合って立っていては見ることが出来ない。代わりにグッと近づいた目線。


「背、壮太より高くなっちゃった!」

「ああ、うん。そうだな。それより、大丈夫?」


 新鮮な距離感に少し複雑な心境を抱きつつも、そう問いかける。


「思いのほか高くてびっくりしてるけど、一応は大丈夫」

「さようで」

「ちょっとご機嫌斜め?」

 未だに百七十センチの大台に届かない身長のことは、芽衣との身長差もいい感じだし、と割り切ったつもりだったが、こういうことがあると少し気になってしまう。隠していたつもりだったが、それは表情に出ていたらしい。

 まあ、そんな理由で芽衣のオシャレを止める方が嫌だし、いつもの調子でそんなことはないと返しておいた。


「よし、ちょっと歩いてみる」

「えっ?」


 いきなりかよ、と心の内でツッコミを入れながらも、芽衣を見ていると、一歩、二歩とおぼつかない足取りで歩き出した。


「さん、よんっ、と。やっぱり視線が違うと歩きづらい」

「大丈夫かよ」

「うん、もうちょっと慣れればなんとか歩けそう」


 芽衣がおぼつかないまま、もう一歩を踏み出したところで、足元からボキッという異音。キャッと可愛らしい悲鳴と共に、芽衣がバランスを崩してこちらに倒れこんでくる。

 突然の出来事に、芽衣を支えることもできず、俺も下敷きになるように倒れこむ。そうして出来上がったのは、扉ギリギリに追い詰められて、押し倒されたような俺の姿。


「ごめん、壮太」


 何とか体を起こそうとした、上体を持ち上げた芽衣がそう溢す。わずか十センチほどの近すぎる顔の距離に驚きながらも、なんとか返す言葉を探す。


「あー、うん。俺は平気だけど、芽衣は怪我とかない?」

「うん、壮太のおかげで平気」

「さようで」


 少し顔を背けながらそう言えば、すぐそこの階段から足音が聞こえてくる。


「芽衣、さっきのヒールなんだけど、仕舞ってた理由思い出したわ。あのヒール折れかかって――」


 そんなことを言いながら階段を下りてきた芽衣のお母さんと目が合う。


「芽衣、押し倒すにしても玄関はやめなさいよ」

「違うから。ヒールが折れてバランス崩しただけ。さすがの私も玄関じゃ押し倒さないし」


 芽衣さんや、その言い方だと、他の場所だと押し倒されるみたいに聞こえるんですけど、それは気のせい?

 俺の脳内ツッコミをよそにお母さんが芽衣の言葉に返す。


「そっか。じゃあ、気づくのが少し遅かったのね。二人とも怪我はない?」

「うん、平気」

「俺も平気です」


 芽衣に手を貸して、ゆっくりと立ち上がりながら、そう答える。ついでに、ヒールが折れた芽衣を支えながら、靴を脱いで上がらせてもらった。


「まあ、二人に怪我がなかったなら良かったわ。あと、外で折れなくて。いらっしゃい、壮太君。うるさい家だけどゆっくりしていってね」

「あっ、はい。おじゃまします」

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