第30話 いらない子は学内カーストを駆け上がる⑨ ~傷ついた牛たち、立ち向かう救世主~
本番五分前の"
そこはまるで野戦病院のような絶望的な空気に満ち溢れていた……。
壁際に並んだ「生ける屍」のような出場者たちの顔……。みんな虫の息といった感じで、自発呼吸をしているかどうかさえ怪しい……。
ふとホワイトボードに目をやれば、数え切れないほどの×マークが並んでいる……。
上位を指名した人も、下位を指名した人も、グレニアールに出場した"
(うわぁ……。これがクローデさんが言っていた"進むも地獄、退くも地獄"かぁ……)
――まさに"牛狩り祭"だ……。
最後の一枠――つまりワイルドカードの僕を残してあとは全員負けたという事実が、"
(……あれ? そういえばクローデさんの姿が見当たらないけど、エントリーしなかったのかな?)
などと考えながら空いていた席に腰を下ろすと、向かいに座ったマリさんが舌打ちした。
「……くっ! ……なんと不甲斐ないっ! ここまで"
"
マリさんの両隣に腰を下ろしたラウナさんとミーツェさんも、目にうっすらと涙を溜めていた……。
(みんな、必死に戦ってるんだなぁ……)
そんなことを思いながらケースからエクスカリバウスを取り出し、調弦を始めると、楽屋の隅に置いてあったモニターに大観衆で埋め尽くされたステージが映し出された。
実況の声が言った――
『――お待たせいたしましたっ!!!!! これより各グレードのワイルドカードたちの登場ですっ!!!!!』
「「「――うおおおおおおおおおっ!!!!!」」」
怒号のような歓声と熱狂ぶり。
ペグを回しながら眺めていると、実況が続けた――
『――注目は何といっても我らが"王立音楽学園の王"にして"ヴァイオリンの魔術師"、『ザ・キング』――ヤン・ハイフェルドでしょうっ!!!!!』
「「「――うおおおおおおおおおっ!!!!!」」」
『――そのあまりの強さゆえ、これまで相手が逃げ出すこと数知れず!!!!! "マッチメイクすら困難"と言われてきたハイフェルドですが、なんと今年は勇敢にもハイフェルドを指名する者が現れましたっ!!!!!』
「「「――うおおおおおおおおおっ!!!!!」」」
『――その名は……ケイ・ロクオンジ!!!!! この夏、王立音楽学園にやってきたばかりの仔牛ですっ!!!!! "
「「「――ギャハハハハハハハハッ!!!!!」」」
『――皆様、ハイフェルドの"無双ショー"開演まで、今しばらくお待ちくださいっ!!!!!』
「「「――うおおおおおおおおおっ!!!!!」」」
……おいおい、めっちゃディスられてるじゃん僕……。
(なんだよ"ライオンに戦いを挑む仔牛"って……)
まぁでも会場の誰もが、僕の無様な負けっぷりを期待しているんだろうなぁ……。
完全アウェーだなぁ……。
はぁ……。
ため息をつきながらふと顔を上げると、マリさんも、ラウナさんも、ミーツェさんも、みんな申し訳なさそうに目を逸らした。
今朝までの強気はどこへやら、「やっぱり無理、勝てるわけない」――そんな空気に呑まれてしまったのだろう。
――
生徒会のメンバーだけではない。この控室にいる"
でも――
(――どうしてだろう。全然怖くない……)
エクスカリバウスの黄金色のボディを見下ろしながら、僕は驚くほどリラックスしている自分に気づいていた。
さっきまでの緊張や不安はどこかへ飛んで、まるでもう勝利を手にしたような気分だ……。
(まだ戦ってもいないのに、油断するなよ……。でも……)
――負ける気がしない。
本番前に、こんな風に余裕があるのは初めてだった。
最初のコンクールの時はどうだったっけかな?
(あの時は、自分のことで必死だったなぁ……)
全日本ヴァイオリンコンクールの時は?
(あの時も、オーケストラをバックに上手く弾けるか不安だったっけ……)
そう――僕はこれまでいつも"自分のため"にヴァイオリンを弾いてきた。
"自分がコンクールに勝つため"。
"自分を表現するため"。
"自分の身を護るため"。
いつだって"自分のため"だ。
だけど今は違う――"誰かのため"だ。
僕はみんなの方へ目を向ける。
……マリさん、ラウナさん、ミーツェさん、そしてこの控室にいる大勢の"
"みんなの勝利のため"だ。
"みんなに勝利を届けたい"。
"みんなのために勝ちたい"。
そんな風に思ったのは、これまでの人生で初めてのことだった。
「――準備してください!」
やがて係員が呼びに来ると、僕は不安そうなマリさん、ラウナさん、ミーツェさん、そして"
「――みなさんの努力を無駄にはしません。もう"牛狩り祭だ"なんて言わせません。僕が――ヤン・ハイフェルドを倒します!!」
驚いたような顔をするマリさん、ラウナさん、ミーツェさん。
そして"
僕は彼らに勝利を約束し、ステージへ向かう。
"ヴァイオリンの魔術師"、ハイフェルドが待つステージへ。
グレニアールの、光り輝くステージへ。
相棒の、エクスカリバウスと共に――。
……さぁ、行くぞ。
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