(7)

「味がしねえ……美味いか?」


 かすかに震えるジョンの問いかけに、ガブリエルは答える。


「わからないっス」


 場所はガブリエルでもどこかで聞いたことのあるような、名の知れたホテルのレストラン。


 他人の奢りでメシが食えるとあって浮つかない人間は少ないだろう。実際、ガブリエルもそう考えることでどうにかモチベーションを保とうとした。


 しかし金を出してくれる相手はギャングのボス。金の出どころも真っ当ではないだろう。


 そんな男と真正面から向き合ってカトラリーを動かしている現在、ガブリエルは過去の己の軽々な言動を後悔していた。


 いつもとは違う服装に、いつもはテキトーに済ませてしまう化粧はいつになく気合を入れて。いつもよりは見られる姿になったガブリエルではあったが、それはあくまで外面だけの話である。


 早い話がガブリエルは緊張していた。オシャレなホテルのレストランで食事だなんて、明らかに身の丈に合っていない、と絶賛後悔中なのであった。


 いくら外面を整えられても、中身はいつものガブリエルと変わりがない。当たり前の話だが、ガブリエルはその事実をすっかり見落としていた。


 加えて、ジョンの存在。ガブリエルは「なぜギャングのボスと食事をしているんだ」と根源的な問いを己に対して行う。しかしその答えは分かりきっていた。


 ガブリエルとジョンは、ジョンの片思い相手でガブリエルの学生時代の先輩であるヴェラのデートを追跡しているのだ。


 立派なストーカー行為であったが、それをしているジョンという男はどこに出しても恥ずかしい反社会勢力の人間。ガブリエルからするとジョンのこれまでの所業に比べれば、惚れた女のデートを追跡するなどは、まだ微笑ましいの範疇に収まっていた。


 ジョンが一般人カタギであればガブリエルも止めたかもしれない。しかしジョンは一般人カタギではないので、ガブリエルは止めないし、そもそも止められるものでもない。


 ……さすがにジョンがヴェラに無体を強いようと画策していれば、さしものガブリエルも止めるが、今のところ彼はそういうことをするつもりはないらしいので、ひとまずは安心だ。


 ガブリエルとジョンのあいだに言葉数は少ない。少し離れた場所ではヴェラが見知らぬ男――それはガブリエルとジョンの主観での話だ――とごく和やかに笑い合っているように見える。


「和やかに笑い合っているように見える」と感じているのはガブリエルだけではないらしく、ジョンもそうなのだろう。先ほどからずっと顔色が優れないし、いつもはヴェラのこととなると饒舌な口も動きは緩慢だ。


 ヴェラと見知らぬ男の関係をガブリエルは知らない。ジョンは知っているだろうが、特に進んで教えてくれることはなかったので、ガブリエルは無理に問いただしたりはしなかった。だから、ヴェラの向かいにいる男はガブリエルの中で「見知らぬ男」のラベルを貼られているわけなのである。


 ヴェラと男は日暮れ前に落ち合って映画館に入って行った。それを追跡するガブリエルとジョンも同じ映画を観るハメになった。ラブロマンスにサスペンスをスパイスとして振りかけたような映画は、巷ではそこそこ流行っているらしいことくらいはガブリエルも知っていた。


 恋愛沙汰と縁のないガブリエルは、この映画のチョイスがどれだけデートで観るのに「アリ」なのかはわからなかった。しかしガブリエルにとって映画がひどく退屈であったことだけはたしかだ。


 恐らく中盤に入るより前に寝入ったガブリエルが目覚めたのは、エンドロールが流れている最中であった。ジョンに叩き起こされ寝ぼけまなこで前方の席に座っていたヴェラの後頭部を見つける。


 ジョンはどうもずっと起きていたらしい。しかも映画を観るではなく、ずっとヴェラを見ていたようだ。ガブリエルはうすら寒い気持ちになった。


 前方の席に座るヴェラの横顔は朗らかで、彼女にとってはこの映画はそれなりに楽しめたものなのかもしれない。だとすればチョイスとしては「アリ」なのだろう。ガブリエルにはやっぱり、よくわからなかったが。


 映画館を出たふたりを追えば、向かった先は高級ホテルの中にあるレストランだった。


「これは……」


 ガブリエルは「ガチ」だと思った。男はきっとヴェラに「本気」だ。


 もし「本気」でなかったとすれば、男はそんな女に対しても金を惜しまないやつだということになる。だが、その可能性はガブリエルにはなんとなく低いように思えた。


 それはジョンも同じなのだろう。今日会ってからずっと顔色はよくなかったが、高層ホテルを見上げてからさらに様子がおかしくなった。いつもの癪に障るほどの余裕が、すっかり失せている。


 それはそうだろう。こちらも「ガチ」なのだ。ジョンは「ガチ」でヴェラに恋をしているのだ。まあ、体調も悪くなるだろうとガブリエルは恐らく初めてジョンに対して同情の念を覚えた。


「どうします? 追いかけます?」

「……当たり前だ」


 金の心配はしていなかった。ジョンの羽振りのよさをガブリエルはよく知っていたので。


 しかしジョンの精神状態が心配だった。途端に暴れだして追い出されるような事態は御免である。それにもしデートを追跡していたなどとヴェラにバレては会わす顔がなくなる。それはどうしても避けたかった。


 だがガブリエルの心配に反して、ジョンは大人しいままであった。というか、どんどんと顔から生気が抜けて行くような様子だったので、暴れだすことよりも倒れる心配をする始末であった。


 ガブリエルはガブリエルでタダ飯を満喫しようという余裕も失われて久しい。お高い――ガブリエルにはどれくらい高いかまではわからない――赤ワインを飲み干して、緊張をほぐそうとするもそれは成功したとは言い難かった。


 ほぼ同時に入り、同じコース料理を選んだからなのか、ヴェラと男が立ち上がるタイミングにはガブリエルとジョンも食事を終えていた。


 顔色の悪いジョンが会計をしているのを横目で見ながら、ガブリエルは食べた気がしない割に思ったより酔いが回っているのか、若干の眠気に襲われていた。

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