第27話 自発的対称性の破れ

 私は、父子家庭で育ってきたの。お母さんは、私が小さい時にアルトのご両親と同じように事故で亡くなったみたい。

 お葬式とかの記憶もないし、お母さん自体のこともうっすらぼやけてる感じでしか思い出せないんだけど。

 私はその時、ううん今も、なんだか、お母さんがいなくなったのは、私が悪い子だったから、子供ながらにそんな風にずっと思って育ってきた。

 私はあの時から既に自分の殻に閉じこもりがちな部分があったのかもしれない。

 でもあの時は普通に遊んでいたし、普通に笑ってたし、普通に楽しんでたと思う。

 小さい頃は、お父さんとの記憶もたくさんあるわけでもなくて、むしろ、お母さんのより記憶は少ない気がするし、ぼんやりしてる。お母さんがいないことに気づいてから、私のお父さんとの記憶がはじまっているようにも思えるの。

 きっと、お父さんは、それまでは仕事ばかりだったのかもしれない。お母さんがいなくなってから、私との時間を作ろうと、父親になろうと頑張ってくれてたのかなって……今はそう思ってる。

 私は元々あまり明るい方じゃなかったし、そんなに喋る方でもなかった。

 ふと、お母さんと笑い合ってる友達を見て、たまにお母さんがいないことを寂しく思うことはあったけど、だから、代わりが欲しいとか、ナニカで埋めたいとかも思ってなかったと思う。

 お母さんのいない理由がとりあえず作れていたのなら、私は納得できてた、自分を悪い子だと思えれば、楽だったの。

 あの時は、お人形遊びが好きだったから、ひたすらそれを繰り返していた。

 色々連れてってもらった気はするけど、思い出として残っているものはあまりない。自分は悪い子だって思ってたことと、1人で遊んでたことだけがツギハギで思い出せるだけ。

 お父さんとの記憶に残っているのは、たまに抱きしめてもらえてたこと。

 私は赤ちゃんの時から抱いてるとすぐ泣き止むって。実際、私は抱きしめてもらうのが好きだったし、落ち着いた。

 そうしてもらえてる時は、自分が悪い子で亡くなってる気がしたから。

 お父さんには、私みたいな悪い子のために、何かを求めたりはしてなかった。そばにいてくれれば、たまに抱きしめてくれればよかったの。


 小学校に入る頃かな。お父さんは、仕事も私との時間をとりやすくなるように変えてくれたみたいなの。

 保育園の時は、暗くなってきたあたりに迎えにきてくれることが多かった。

 でも小学校に入ってからは、帰る頃には家にいるようにしてくれていたみたいで、私が家に1人でいることなんてほとんどなかった。

 お父さんはスーツをずっと着てたけど、その頃から着なくなった。

 お父さんは毎朝出かける時、笑顔で抱きしめてくれて「いってらっしゃい」と言ってくれた。

 私も笑顔でお父さんに「行ってきます」と言うのが日課になっていった。

 お父さんは、その頃から、家事も頑張るようになってきてたと思う。

 お父さんが作ってくれた味が濃いめの一品料理、丼飯や鍋とかそれが私の家庭の味だった。

 誕生日には、綺麗とは言えない独特な字で短い文章の手紙を書いてくれた。私が欲しいものをあまり言わなかったからかもしれないけど。

 お父さんも口数は少なかったけれど、きっと私のことを大切にしようと、自分の思う理想の父親を頑張ってくれてたのかもしれない。

 でもその頃の私は、お父さんが頑張れば頑張るほど、疲れた顔になればなるほど、自分が悪いんだと思ってしまっていた。きっと、私は目に見えるものなんかより見えないものを求めてた、安心してたの。『行ってきます』と『ただいま』の繋がりだけ続けば満足だったの。

 それと私はよく迷子になってお父さんを困らせてた。その癖見つかりにくそうな所でよく泣いていたから。

 たまに、いろいろと苦しくなった時、わざと隠れてた時もあった。私を見つけてくれた時お父さんは私のことを抱きしめてくれたから。

 お父さんはいつも優しかったけど、たまに、人が変わったようにすごい怒鳴られることもあった。

 夢中で本を読んでいてお父さんの声に気付かなかった時、モタモタしていて遅刻しそうになった時とか。

 回数はそんなに多くなかったはずなんだけど、子供ながらに怖かったのか、鮮明に覚えている。

 今思えばお父さんは一杯一杯だったのかもしれない。私がそう追い込んでしまっていたのかもしれない。

 お父さんには息抜きなんてなかっただろうから、自分のための時間なんてきっとほとんどなかったから。

 お父さんは、怒鳴った後、泣いてる私を見て、寂しそうに自分を責め立てるような表情で立ち尽くしてたのを覚えてる。


 お父さんは、しばらくしてから、多分私が小学3年生くらいからか、私が寝た後も仕事に行くようになっているみたいだった。

 いつからかはよくわからないけど、夜中トイレに起きるとお父さんがいないことに気づくようになったから。

 時短で働くせいでお金が厳しかったのか、私にはわからない。

 お父さんは、私と一緒でそんなに口数が多い方じゃないし、人付き合いも得意じゃなさそうだったし、そもそも何かしらの支援を受けようとかも思ってなさそうで、自分でなんとかしてやるって、頑張ってしまうタイプの人だった。

 だから、私もできることが増えていくに従って、家事もやるようにしたの、掃除、洗濯、料理とかもできそうなものはどんどんやるようにした。

 お父さんが頑張り過ぎてしまうのも、怒ってしまうのも、私が悪い子だから、ダメだから、きっとそうなってしまうんだろうと、だからたくさん手伝わないとって。

 私は2人で住むには少し広めのお家も、別にもっと狭くてよかった。

 お父さんは、よく欲しいものを聞いてくれた。私は何もないといつも言うんだけど、お父さんは寂しそうに困ったような顔をしてたの。


 私が小学4年生の時、大きな地震が起きた週……お父さんは、仕事から帰ろうとしても交通網が麻痺してたみたいで、すぐに帰れなかったみたい。

 歩いたのか、どうしたのかわからなかったけど、日付が変わるまでには何とか帰ってきてくれて。でもお父さんはとても疲れてたの。私が作った夕ご飯も食べれなくて、遅くなってごめんとしきりに謝って、私や家の様子を確認して眠りこけてしまった。

 次の日の朝、朝ご飯を食べていたらお父さんは急に胸を押さえながら苦しみ出してしまって、私は事実を飲み込めないまま救急車を呼んだ。

 お父さんは、ブルブル震えてた私を見て苦しみながらもか細い声でしゃべってくれたの。


「ごめんな、大丈夫だからリコらしく笑っててくれ。それを見れれば父さんも安心するから」


 私は震えたままだった、顔は引き攣ってたと思う。

 そんな私を見てか、お父さんは抱きしめてくれた。私は笑えなかったのに……

 だんだん、お父さんの重みが伝わってきて、お父さんの手が冷たくなって、青ざめてくる中、救急車が到着した。

 お父さんと救急車に乗って、色々処置されてる中で、私はお父さんと目が合った気がしたの。お父さんは、私に笑いかけてくれた、そう見えただけかもしれない。お父さんは、そのまま帰ってこなかった。

 私は、お父さんとの最期の時間を……怖くて、震えているだけで、笑うことなんてできなかった。

 それまではどうでもいいことで当たり前のように笑ってた。普通に笑ってたはず。でもその時は笑えなかったの。その時だけでも笑わなきゃいけなかったのに。

 それから、多分私は笑わなくなった。


 それからというものは、友達と話していても、ふと笑えそうになると、私は苦しくなって保健室に運ばれることがよくあった。

 そういうことが続いていたから、少しずつ友達とも距離を置くようになっていった。笑おうとする時、悪い自分が出てくるから。

 友達も心配してくれた、寄り添おうとしてくれたけど、私はそれを拒絶するように自分から離れていった。

 1人を選ぶようになった。深く考えてはない。もう自分しか見なくなってたから。たまたま私はそっち側に行ったんだと思うの。


 私は、お婆ちゃんに引き取ってもらって一緒に暮らしはじめたの。

 色々と落ち着いてから、お父さんの遺品を整理してたら、髪飾りと手紙が出てきたの。


『10歳おめでとう! 迷子になってもこの鈴が聞こえるように』


 お父さんの貯金も結構あったみたいで。なんのためのお金なのか、きっと、私のためなんだろうけど。

 私は……たまに抱きしめてくれれば、それでよかった……よかったの。




 リコの話が終わった時、リコの手が僕の腕を強く握りしめ食い込む。マスクの上からでも分かる柔らかな鼻と唇が僕の腕に触れる。

 僕の眼前で鈴が音を出さずに揺れている。

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