第1話 情景の非対称性

 僕らは、連絡先を交換し、次の日また会うことにした。楽しい日を過ごせるように僕はプランを夜な夜な練って。

 まるで、デートだけど、僕にそんな経験値はない……とりあえず当たって砕けろだ。

 わずかな計画時間、事前情報なし、女性経験なしでは、僕の中のあまねく女性像、先入観に頼りすがっていくしかない。


   ◇


 まずは、僕はリコを水族館へ連れていった。

 王道が最強だ。王道で簡単に笑顔を引き出せるとは思えないが、ジャブとしてはいいのではないだろうか。

 新型コロナウイルスが落ち着かない中、まだ入場制限は継続している水族館、人気の少ない空間は、ムードと緊張感を漂わせてくる。


「水族館なんて何年ぶりだろう。綺麗だし癒されるね」


 薄暗い水族館内でアクリルパネルに顔を近づけて見入っているリコの表情は、昨日と変わらない表情をしている。青白く映し出されるその表情は僕の目には蠱惑的で魅力的に映る。


「綺麗に見えるこの世界の中でこの子達は楽しんでるのかな……魚は泳ぎ続けてないと死んでしまう……この狭い世界の中で、同じ景色を見続けて動き続けないといけない。暗くて自由な広い世界とどっちがいいのかな」


 リコに王道は通用しないようだ。まるで、ファントムパンチだ。

 鳥籠の中の鳥のようなもんだろうか、女の子特有の視点なんだろうか。それともリコの見ている世界は僕とは根本的に違うのか。

 僕にはとても美しく見える世界は、彼女の目にはどう映っていたのだろう。

 確かに水槽の中の魚を幸せそうだと思う人もいれば、不幸だと思う人もいるだろう。

 彼女の目には、脳裏には、僕ではまだ分からない、至れないフィルターがあるのかもしれない。


「水槽の中の魚は……不幸かもしれないってこと?」

「分からない……私には、自分の見えることしか分からないから。だから、あなたを通して見ていきたいと思ったの」


 僕を通して……

 人は、思い込みの中で、独自の好みによってフィルターバブルに包み込まれていく。それは自分の都合のいいように、無意識に求めるように、世の中を解釈しているのかもしれない。

 類は友を呼んでいき、SNSにのめり込んでいくほどに、自分の都合のいいフィルターは強固になり、エコーチェンバーの如く響き渡り増幅していくのだろう。

 意識しないと、きっと、その奈落に落ちていく。

 そこは居心地がいいのかもしれない、しかしそこから外れていくものに理解を示せなくなっていく危険性も増していくんだろう。

 閑散とした水族館の中で、リコと2人歩いていると、まるで深海を本当に歩いているような気分になる。神秘的で現実味のないふわふわしたような時間に押し潰されるように。


「僕はそんなに純粋な世界を生きれていないよ。僕を通したところで、それが君の求めてる世界、笑顔に通じてるのかな。それなら嬉しいんだけど」

「あなたがいいの、私は大海原を漂うのは疲れたから」


 リコはクシャクシャな髪を上下に揺らしながら歩いている。それに合わせて奏でられる鈴の音は水族館の中で木霊していく。

 閉じられた世界の住人に反響していきながら、その音は静かに増幅していった。

 僕らはそのまま歩いていき、開けた屋外スペースに出る。そこには普段は賑わっていたであろう観覧席が寂しく横たわっている。


「ショーもコロナ禍のせいで今はやってないみたいだね……なんだか寂しいな」

「私は、空いてる方が、寂しい方が好き。私はそんなにたくさんのことに意識を向けられないから」


 彼女といると世界が広げられていくような不思議な感覚と共に、他人に依存している自分の人生の薄っぺらさを感じる。

 僕とは違い彼女は、自分と向き合い、自分の時間を中心に歩いているのかもしれない。

 他人のフィルターをものともしなさそうな彼女は、自己を強く持っているように見える。それがいいのか悪いのかはわからない。少なくとも僕はそれを持っていないし惹かれている。

 広く暗い中を彷徨う自由さと狭く明るいところに繋ぎ止められる不自由さはどちらがいいんだろうか。


   ◇


 僕らは水族館を後にして、少し遅めのお昼ご飯のために隣接の商業スペースに行く。

 リコは、何を聞いてもふんわりとずっしりと考えさせられるような答えが返ってくる。

 水族館は成功だったのか、失敗だったのか、ひとまず笑顔はなさそうだ。

 女の子は甘いものが好きそうなものだが、きっとまたパイ投げでも喰らうことになるのだろう。


「好き嫌いとか分からないから、お昼はビュッフェにしとこうか」


 僕らは、お店につき、体温を測り消毒をしテーブルに案内され、専用のトングで食事をとりにいく。


「みんな美味しそうだね。僕初めてなんだけど、こんなにいっぱい種類あるんだ。デザートもあんなに。テンション上がるな」

「うん、いっぱいあってすごい……この中で私が食べるものはほんの少しなのに、不思議ね」


 そう言いながらもリコは小さい体には似合わず、僕と同じくらいの量をとっている。

 僕は食べる時、パーテーション越しに初めてマスクを外したリコを見る。

 ビュッフェはいろんなものを満たしてくれる。確かに全部は食べれない。でもやはりテンションは上がるものだ。


   ◇


 僕らは、食事を終えた後、映画を見にいった。

 自分のデートプランの引き出しの少なさに悲しみを覚えながら、正攻法の虚しさもだんだんと楽しみに置換されていく。

 ちょうどコロナ禍でのリバイバル上映がやっており王道のプリンセス映画がやっていたので、それを2人で見ることにした。

 一度見たことのある映画は、子供の頃と今とでは違った楽しみ方や視点が見つかっていく。

 これもいろんなフィルターの積み重ねなのだろうか。自分の成長なのだろうか。

 映画も終わりに差し掛かるころ僕の左手にリコの右手が触れる。彼女の手は冷たくてやわらかくて暖かい。

 その感触を認識してから、僕の中ではこの映画の見所は、お姫様でも王子様でもなくなり、リコの手が触れているところになる。僕はそこに繋ぎ止められていく――


「……映画面白かったね」


 僕らは、スロープを歩いていく。

 リコの目にお姫様はどう映っていたのだろうか。

 この映画のお姫様は力強い。ガラスの靴を履いたり、王子様のキスを待ち眠り続けるわけではない。

 自分で戦い、活路を見出していく。自分で自分の人生を夢を王子様を選択している。

 リコも、フライパンを持っていないだけで、ナニカと戦おうとしてるのではないだろうか。


「悪者が確定していればあんなに頑張れるものなのかな……あんなに誰かのために頑張れるなんてすごいなって思う……」


 悪者……

 確かに、悪者が誰かわからずに闘おうとしてる人達は多いのかもしれない。

 それに、完全な悪などこの世には存在するのだろうか、それは最後に残ったものが、大衆が勝手に決めているのかもしれない。

 喧嘩した時、対立した時、非が100%どちらかに偏ることなんてないだろう。


「リコは、あの映画の世界があったらあそこに行きたいと思う?」

「……分からない。どんな世界でも本質は自分……そこからは抜け出せないし」


 確かにどんな世界でも、リコはリコなのかもしれない。

 昔、アニメの中のお姫様が僕らの世界に飛び込んできてしまう映画があった。

 煌びやかな世界から来たお姫様に僕らの世界はどう映っていたのか。見方は色々あるだろうが、僕の目からは、変化に驚きつつも、疑問を感じつつも、自分の信じる世界を貫こうとしているお姫様がそこにはいた。

 それはコメディのようであってラブロマンスであってファンタジー溢れるリアルだった。

 僕らが逆の立場だったとしたら、どうなるだろう。煌びやかな世界に行っても、歌っている小鳥に愚痴を言い、魔法を世のため人のためでなく自堕落のために使っているのかもしれない。

 世界がどこであろうが、どうであろうが、自分次第……確かに僕は、あの頃と何か変われているのだろうか……


   ◇


 僕らはトボトボと帰路に着く。

 僕の思っていた女性像とはリコはだいぶかけ離れていたようだ、それとも僕の女性経験が壊滅的だったか。いずれ、僕にもその答えを知る大人の階段の出現を願いたいものだ。

 僕の思い描いていたデートプランは、神秘的で純粋でいて残酷な結果になったわけだが、リコにとってはどうだったのだろう。

 マスクで覆われたリコにおそらく笑顔は見られていない。

 挽回のチャンスをと、帰りがてらひたすら武勇伝や黒歴史を僕は語っている。これが本当にデートなら……そろそろ察しないといけないやつだろう。


「ねぇ、この公園に寄ってかない?」

「……え……公園?」

「昔よく公園に行っていたから」


 僕はリコの鈴の音を追うように東の公園に入っていく。

 勝手に終わりに向かおうとしてた僕を始まりに誘うように。

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