第17話 デフォルト・モード・ネットワーク

「お父さんはどこに行ったのかしら……あら……ここは公園ね、なんで、私ここにいるのかしら?」

「お爺ちゃんとお出かけしてたんですか?」


 お婆ちゃんは、少し不安そうに辺りをキョロキョロしている。

 改めて見ると、お婆ちゃんは、服を何重も着てそうで厚ぼったい格好をしている。靴も左右違う靴を履いている。流行りをおさえて……というわけではなさそうだ。


「あぁ、お袋さん! 全くちょっとトイレ行くからそこ座っといてって言ったのに……」


 中年の男性が呆れたように駆け寄ってきて声をかけてくる。


「んぁ、なんだゴダイかい?」

「お袋さん……今度はゴダイか……俺は隣の家のアラトだよ。一緒にここまで散歩にきたんだろ?」

「……そうかい」

「君たち、ごめんな……絡まれちまってたみたいで。ちょっと、お袋さんはボケちゃっててな」

「…………」


 アラトさんは、お婆ちゃんの手を引いて謝る。

 お婆ちゃんは会話を聞いているのか、聞いていないのか、理解しているのか、理解していないのか、ボケーっとしているように見える。


「お爺ちゃんも一緒にきているんですか?」

「あ? んん、お袋さんは今日は朝からこの調子でな……親父さんは、もう亡くなられてるんだ。でも、お袋さんは定期的に探してるんだよ」

「……そう、だったんですか……それは……すみません……」

「いや、お袋さんは少し……さっきボケと言ったが認知症が進んでてな。それで、最近は自分も様子を見に行くようにしてたんだが。いろいろごっちゃになってるみたいで。息子のゴダイとは俺は同世代でよくつるんでたから、腐れ縁みたいなもので、色々世話をしてるんだけど」


 お婆ちゃんは、ベンチに腰掛け、不安そうにキョロキョロしている。

 お爺ちゃんを探しているのか、自分を探しているのか、記憶がごちゃごちゃとは、場所も時間も誰かすらも混在してしまうのだろうか。

 公園が家だと見え、お爺ちゃんが死んだ後でもお爺ちゃんが生きてる時間を歩く、隣人のアラトさんを息子のゴダイさんだと思ってしまう。

 その繋がりを認識できていた時からすれば、きっと今の景色はぐちゃぐちゃで関連性がなく不安に満ち満ちているのかもしれない。


「存在しない人を探すのはとても悲しいだろうし不安で信じたくないものだったんじゃないかしら……」

「……まぁ、な。認知症に何の権利があって、大切な思い出をかき乱すんだろうな。お袋さんは優しい人なのに」

「高齢化と共に脳は萎縮してある意味幼児化していく。虚構を正当化して事実を誤魔化せればと、子供が夢と現実を区別できないように」


 リコはお婆ちゃんの隣に寄り添いに行く。

 幼児化と高齢化……貫禄のあるように見える赤ちゃん、かわいらしく見えるお婆ちゃん。真逆のようで似ている部分もある。

 何も知らずにもがき泣き叫ぶ赤ちゃん、色々なことを忘れていく中でもがき苦しむお婆ちゃん、中身は違うようでも、目に見える事象は似通っているのかもしれない。


「親父さんが亡くなってしばらくしてからだな……急に親父さんを探すようになっちまって。もう身寄りはいないし、俺がたまにこうやって見るくらいでしか、注意してあげられないんだが」

「認知症が進行してきているんでしょうか。身寄りがいない……というのは、息子さんも……だったんですね」

「あぁ……ゴダイも、結構前、親父さんより前に亡くなっててな。あの時は本当に2人は辛そうだった。俺は寄り添うことしかできなかったが……本当、脳卒中だか何だか知らないが、親より先に亡くなるなんてな……」


 僕はマンタのことを思い出した。

 血の繋がりも思い出もなくなった時でも、井ノ瀬さんたちからは親子を感じることができた。

 お婆ちゃんにとって、記憶を失っても、愛する人の死を忘れても、求めたいものはなんなのだろうか。薄れゆく記憶の中で、何を思ってお爺ちゃんを探しているのだろう。

 いろいろなものを忘れていく中でも、家族を探し続けることは、悲しくも美しい、きっとそこから見える景色は純粋で残酷なのかもしれない。


「お婆ちゃんは、寂しいんでしょうか? 不安なんでしょうか?」

「分からないけど、あまり楽しそうではないな。家の中にずっといるのも退屈だろうなと思って、たまに外連れ出すんだけどな。親父さん探してる時も外行くと少し落ち着くし。違う景色を見るとホッとするのか、上書きされるのか、まぁ本人にしたら大した違いはないのかもしれんが」


 アラトさんは、お婆ちゃんを見つめている。

 リコとお婆ちゃんは、ずっと何かをしゃべっている。

 見える景色を変えることで、太陽の光を浴びることで、さまざまな刺激からくる想起もあるのかもしれない。

 散歩をすることで、自分の存在を、物語の時系列を確認できるきっかけになっているのだと思う。

 頑張って探して、思い出して、忘れて、また探し出す。そのサイクルは、改善せずに、認知症の進行と共に、激しさを増していく。そこに耐えていけるほど、もう身体も強くないはずなのに。


「若い子がいると楽しいわねぇ、あなたうちの息子のお嫁に来なさいよ」


 リコは、何と答えているんだろうか。

 お婆ちゃんの声は大きく時折聞こえてくるけど、リコの声はここまでは届かない。

 お嫁さん……チヒロさんのドレスをリコが着る姿が僕の目に浮かんでくる。

 僕らが妄想に夢を馳せるのと、認知症の人が過去の記憶にタイムスリップして、現実と混同していることにどう違いがあるのだろうか?

 目の前に鮮明なウェディングドレスを着たリコがいたら、僕はそれを夢だと思うのだろうか……たぶん事実だときっと思いたい、きっと追い求めてしまう。その事実だと思いたい妄想が、妄想だと気付いた時、それはとても残酷だろう。

 お婆ちゃんは、そんな想いを、いったい何度繰り返してきたんだろうか。


「折角かわいい子が来てるのに、また、お父さんはどこに行ったのかしらね?」


 リコと話しながらも、たまにお婆ちゃんは思い出したようにお爺ちゃんを探し出す。

 お婆ちゃんは、少しキョロキョロして、少しボーッとしている。

 気ままな時間をいつもと違う景色で過ごせていること、いつもと違う人達と過ごせる時間はお婆ちゃんの中でナニカの定着、想起させるきっかけにはなってくれているのかもしれない。

 公園でお爺ちゃんを探すことは、家で探すのとは、リコの隣で探すのとは違う情景を与えてくれていることだろう。

 息子さんが存在する時、お爺ちゃんが存在する時、さまざまな時間軸を絶え間なく移動してたらそれは不安になり頭がおかしくなるに違いない。

 僕だって、お父さんやお母さんがいた時といない時を、1日の中で何往復もさせられたらきっと正常ではいられない。


「でも、こんなこと言うのもあれかもしれないが。ありがとうな。なんかいつもと違う人と話してるからか、お袋さんも明るく見えるよ」

「家の中だと、お爺ちゃんやゴダイさんとの思い出に触れる機会も多そうですもんね。それでさらに混乱してしまうのかも」

「……そうだな。もう俺くらいだ。俺しかいないっていうのも、なんとも可哀想な話だ」


 お婆ちゃんは、自分の整理に精一杯なのかもしれない。

 自分の記憶が、いろんなもののつながりが薄まっていく中で、自分の中に残された記憶に縋ってそれにしがみつこうとしている。

 新たな記憶、思い出も、定着してくれない。

 お婆ちゃんは、僕を、リコを、アラトさんをどのように見て、感じているのだろうか。


「こんなかわいい子に会えて幸せよ。毎日毎日、ご飯とトイレと寝ることばかりだからね」


 お婆ちゃんは、また大きな声で、少し嬉しそうに喋っている。

 いったい、リコとどんな話をしてるんだろう。

 しかし、幸せとは……僕らの思う幸せと、もう80歳くらいだろうか、80年生きたお婆ちゃんの思う幸せは、全然別物なのかもしれない。

 日々を生きることに一生懸命なお婆ちゃんは、いったい何を望んでいるのか。もはや何も望んでいないのか。


「お婆ちゃんの幸せってなんなんでしょうね?」

「それは俺にも分からない。俺もずっとついてやれるわけじゃないし、どういうのが1番お袋さんにとっていいのか悩んでるんだが、ただやっぱり、笑顔でいてくれれば、もうそれだけでいいのかなとは思うよ」


 僕は、笑顔の言葉に、リコを見つめる。

 笑顔は、どんな悩みにも、子供でも老人でも変わらずやってくる。

 今回の笑顔は、僕らに何を与えてくれるんだろうか?

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