第4話 メタフィクション

「結婚指輪……か。俺らは結婚して、コロナがちょうど騒ぎ出された頃だったから、人が集まる催し物はいい顔をしてもらえなかった。だから、ドレスの写真だけ撮って、みんなにも報告だけして、ほとぼり冷めたらちゃんとやろうねってしてたんだ。まさかこんなに長引くものだとも思ってなかったから……」

「それで緊急事態宣言も解除されたし、やろうとしたんですか?」

「あぁ、こういう明るめの話は、みんなのためにもなるかなって。今ならできるかなって、思い切って奥さんに打ち明けてみたら、うちのやつはもうやらなくていんじゃない? ってサッパリしてて。俺も唖然としちゃって。あいつにとって……もう結婚式は終わってたみたいなんだ」


 リコは1人くぴくぴと、少し頬が赤らんできただろうか、ミカノさんを見つめながらは鹿威しのようにたまにこっくりと頷いている。

 ミカノさんたちは、一方では、結婚式は始まっておらず、もう一方では、結婚式は終わっている。価値観の違いなのか、目的の違いなのか、ミカノさんたちはすれ違っているようだ。

 結婚式の意味ってなんなのだろうか? ドレスを着ることか、主役になれる時間を味わうためか、人生の節目として祝うことか、みんなの前で家族になることを誓うことなのか。


「結婚式はやるもんじゃないのか? みんなからもいつやるんだ、俺にスピーチは任せろよって言われるし……立つ瀬がなくなるんだよな」

「それは自分のために? 奥さんのために? 会社の人たちのために? 何のために結婚式をしたいのか、何かその辺がかち合っていないんじゃ……」

「結婚式は、結婚する相手をみんなにお披露目するためにやるんだ、みんなでワイワイしながら、俺の家族ですって! 結婚したら結婚式する、卒業式、成人式、当たり前のイベントだろう?」


 当たり前は当たり前なのか、当たり前は誰が決めてるのか、神様なのか、大衆なのか。

 僕にとっては当たり前の笑顔でも、リコにとっては笑顔は当たり前ではない。

 ミカノさんにとって当たり前の結婚式、重症化リスクの高い人にとっては、人の集まる催し物を控えるのは当たり前のことだ。


「当たり前が壊れる時、それはとても怖いものよね」

「怖いし不安だろう! コロナがなければ、きっと普通に当たり前のように開催してたんだ! 何で俺たちだけってなるだろう!」


 ミカノさんの口調は、酔うとそうなるのか、少し荒立ってくる。

 ミカノさんは、またビールを飲み干していく。


「ミカノさん、少し落ち着きましょう」

「みんな普通にやってたんだ、それを急にこんな時期にやったら不謹慎だ、あり得ないなどと好き勝手無言の圧力を……、だから時期をずらして、今ならって時になったら、今度は内から……俺はどうしたらいいんだよぅ」

「ミカノさんのいうことも分かりますよ。ただいろんな視点もあるでしょうし、絶対こうっていう考えは危険だと思いますよ、退路がなくなる。だから今苦しくなってるんじゃないですか?」

「やってもやらなくても後悔するなら、やった方がいいだろう? 俺がいけないのかよぅ」


 ミカノさんは、目を座らせじっと一点を見ながら嘆いている。

 酔っ払いおじさんの誕生だ。


 ただミカノさんの悩みも何となくわかる気がする。結婚式というのは、元は他人同士が家族になるという表明であり、記念なんだろう。

 運命の人であれ、最愛の人であれ、他人は他人だ、その人を家族と思ってもらうための儀式が必要であり、物語を共有する場が必要になるのだと思う。

 その物語を届ける方法が今までは結婚式ほぼ一択だったのかもしれない。それが未曾有の感染症によって、社会はそれを拒む方向に動いてしまった。産声を上げる予定だった思い出たちは行き場所を失ってしまったのだろう。


「リコはどうなのさ? 結婚式はやっぱり女の子の夢なイメージだけど?」


 リコは、空にしているグラスを持ち上げ、ガラスの奥で歪んだ瞳をこちらに向けている。


「私なんかは結婚をしてはいけないんだと思う……最愛の人を見つけられたらそれで満足、私は主人公にはなれないと思うから」

「ダメも何も、それは自分で決めることなんじゃ?」

「私が私を許さないの。そういう選択をしたつもりだから」


 許さない? それは笑顔も許されないのだろうか? そう選択したから?

 ミカノさんは、ニマーっとしながら、何か腹立たしい勘違いもしているのだろう、僕の方をじっと見つめてニヤついている。


「まぁ、みんな思い通りにはならないってことだなぁ! ははは」


 ミカノさんは、そのままぐでーっと半笑いのまま横になり始める。


「ミ、ミカノさん、立って! むおぉうっと!」


 ミカノさんが完全にデキあがってしまってるので、肩をかし立ち上がらせる。


「んあぁ、もう帰るのか? 店変えるか? ここは俺に任せろ、これで……な。払っといてくれ!」


 ミカノさんは、何と勘違いしたのか免許証を渡してくる……

 ひとまず僕は、会計を済まし、再び生温かい巨体を動かす挑戦をする。

 免許証の住所を検索してみると、そんなに遠くはなさそうだ、とりあえず支えてあげれば歩けそうだしこの阿呆を送っていくか……

 僕らは、店を出て、トボトボと歩き出す。


「今日はリコの笑顔を探す日だったはずなのにね、なんかごめんね。まぁ、僕は僕で楽しかったんだけどさ」

「私も、楽しかったよ」


 歩く先の足下を見つめながら、リコはしゃべり続ける。


「怒ったり悲しんだり笑ったり、それが普通なんだなぁ……って」

「まぁ、自分がどんな時に笑うかを考えた時に、やっぱり何かしら人と触れ合い、助けあったり関わったりしてる時かなぁとは思ったんだけど、結局ミカノさんの話を聞くことしかできなかったなぁ」


 リコは、マスクの間から漏れ出す白い息に包まれ、少し赤らんだ頬を覗かせながら、静かな鈴の音を身に纏うように歩いている。


「いつもこんな感じなの?」

「いや、たまにこういうのもあるけど、ほとんどは席を譲るとか、道のゴミ拾ったりとか、もはや自己満に近いことばっかりだよ、それでいいことしたと思おうとしてるんだから、せこいんだ、僕は……」

「自分で満足できているなら、自分で選択して行動できているんだから、それでいいんだと思う」


 ミカノさんを見ながら、リコは続ける。


「結婚式やコロナ禍みたいに、いろんな虚構の下で彷徨うのは辛いのかもしれないけど」

「ミカノさんは、虚構の下で苦しんでる?」

「私にヒトのことはわからない、けどそう見えたから……私と同じなのかなぁって」


 虚構…… 僕らは、皆虚構の下に生きているのかもしれない。『いいね』に一喜一憂し、国民的偶像を追っかけ熱狂し、ブランドに多額のコストを献上することに喜びを覚えている。

 お金を愛し、形のない富や権力に執着し、国家を信じて同調する。


「リコも虚構のせいで笑えないの?」

「……そうね……そうかもしれないし、事実のせいなのかもしれない。私には分からなくなった。アルトも何かに縛られてないの?」


 核心に迫るようでいて、はぐらかされてもいるような、引き寄せられるようで、押しのけられる、リコと話していると、胸がくすぐられるようでいて心地よくもある。

 街灯の元、照らされたリコのクシャクシャ頭は、僕の瞳にはとても美しく映る。

 きっとリコの見ている世界は純粋できっと残酷なのかもしれない。

 時折小刻みに動く、思春期と思秋期の狭間にいる酔っ払いは僕の左手のミサンガの辺りをくすぐってくる。


「僕はどうだろう。リコもその虚構以外の下ではダメなの?」

「分からない……けどきっと手放せないと思う……」


「はふぁっ! あれぇ? ここどこだ? 金は払ったか?」


 ミカノさんが急に鼻息荒く喋り出し、僕はよろける。


「今、ミカノさんの家に向かってるんですよ! とりあえず家ってこっちの方であってますよね? 分かります?」

「金を払わないとダメだろう! ちょっと待て――」


 ポケットに手を突っ込み、おぼつかない手が財布を宙に放り、カードやらレシートやらがばら撒かれる。

 リコは膝をつき、それらを拾い集めようとしてくれる。


「うぉっ、ごめんごめ――」

「ちょ! ミカノさ! ウゴ――」


 よろけながら拾おうとするミカノさんに僕の腕も巻き込まれ――

 ミカノさんの転がる横で、冷たい表面の奥に温かさを感じる心地よいナニカに僕の顔がすっぽりと収まる。リコの太腿だろうか? 祝福のベルの音が遠くから聞こえる……


「……んぅうぅ、ごめんなひゃい」


 お酒の匂いと蠱惑的な香りが混ざり合い、鼻腔を通じて僕の中で生成し入り乱れる。虚構と事実の狭間で、一体どこに向かおうとしているのか、それとも留まっていたいのか。

 僕はリコの虚構なのか、リコは僕の虚構なのか、まるで、僕の存在も、僕を構成するあらゆる形のないものもとろけていってしまうようだ。

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