第6話 ほら、笑って


 最近あの子の元気がない。


 もちろんあたしを撫でている時は蕩けるような顔をしているし、病んでいる時の独特の臭いも気配もないから体は元気なんだろうけど。


 話しかけてくる声が時々萎れたり、いつもはあたしの毛並みに夢中なくせにぼんやりとしている時もある。


 全く。

 情けない。


 こんなに無防備に柔らかなお腹を見せるのも、敏感な肉球に触れることを許すのもあんたにだけなのに。

 喉をせいいっぱい鳴らして、甘えて見せても伝わらない。


 あんたは特別なのよ。

 あんたの代わりはいないの。


 だからそんなに悩まなくていいのに。


 あたしはどこにも行かない。

 ここにいるから安心して。


 だってそうじゃないとあんたはあちこち探し回って泣いちゃうでしょう?


 いつだったかしら。


 こっそりあたしの後ろをついて回って寝床を探ろうとしてたことがあったじゃない?

 あんたの足音も匂いも間違えたり見失ったりしないんだから隠れてもムダなのに。安全で落ち着ける寝床はニンゲンに知られるわけにはいかなかったけど、あんたがあんまりにも必死でかわいそうで。


 放っておいたらあんた近づいて来る走る鉄の乗り物に気づかないで飛び出そうとしたから慌てて振り返って「ダメよ!」って鳴いたら「見つかっちゃったかぁ」って本当にもう。

 乗り物が通り過ぎた後で尻尾をピンッと立ててお説教しに駆けて行ったらしゃがんでニコニコするから怒るに怒れなくっちゃった。


 あんな風にあたしを探すことに必死になって危ない目にあって欲しくない。


 それにあんたが子どもみたいに頼りなくても。爪も牙がなくても。本当は勇ましく戦えるってことあたしは知ってる。


 驚きと痛みと恐怖と焦りの記憶が一気に蘇った。

 あの日あの時。


 あまりにもあんたの周りが居心地がよくて、このままゆっくりとあの記憶が薄まっていくのかしらって油断しすぎていたのね。


 ニンゲンはやっぱりコワイ。


 牙を剝きだし毛を逆立てて威嚇をしても通じなくて、爪を立てその皮膚を裂いても効果はなかった。

 ギラギラ光る眼に野生の獣よりも激しく汚らわしい殺意が浮かんでいるのを見てあたしは死ぬんだって覚悟した。


 あんたはそんな相手に怯まず戦おうとしたわね。

 いつもいるニンゲンのオスに止められちゃったけど、それで良かったのよ。あんたになにかあったら困るもの。

 それにその隙にあたしも逃げられたしね。


 あんたが出てきてたらさすがにあたしも逃げるのを迷っただろうし。


 だからほら。

 笑いなさいよ。


 あたしはあんたが笑っている顔が大好きなんだからさ。


 




 

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