第17話 治療したのは誰?

「んぐ……ん……」


 意識が暗闇から浮上する。


 鼓膜を叩くのは、軽やかでどこか懐かしい電子音。


 確か、千草がよくやってたゲームの音だ。


 あたしも借りてやってみたことがあるが、一番簡単なところでも、敵にやられてすぐにゲームオーバーになっていた。


 で、悔しくて涙目になっていたところを千草に笑われて、取っ組み合いの大げんかになったっけ。


 近くにいた母さんは止めることなく、ニヤニヤと実に楽しそうに笑っていた。


 今考えてみるとさっさと止めろよと思わなくもないけど、四宮梓はそんな人間で、そんな人間から生まれたのがあたしなのだった。


 なんであそこまで似てないんだろう。


 胸とか、胸とか。うがぁ。


 そう言えば、元々千草があたしの家にやってきたのも、母さんが原因だった。


 対魔師という特殊な仕事をしているため、無関係な人間を家にあげるなんてことはとんでもないことだ。


 にも関わらず母さんは、あたしが五歳くらいのときに千草を家に連れてきた。


 正確には、担ぎ込んできた。


 物理的に。


「おーい信乃ー、なんか面白そうなガキ連れてきたぜー」


 なんて軽いノリで。


 言葉を変えれば誘拐だ。


 ハタからみたら、年端もいかないショタをさらってきた二十代半ばの女の図、である。


 どこのエロ同人だ。


 子供でも、母親がやってることが社会的にヤバいことだとなんとなく分かったのだから、家の人の困惑は推して知るべし、だ。


 もっとも、千草は四宮の屋敷に目を輝かせてウキウキしていたので、無理矢理と言う訳ではなかったのかもしれないけど。


 千草が来たのはその日で最後……なんかになるはずもなく、ちょくちょく一人でやって来た。


 あの厳重な屋敷のセキュリティを、顔パスだけでスルーしていた。


 無駄にだだっ広い屋敷で何をやっていたかと言えば、千草は母さんに稽古を付けて貰っていた。


 刀一筋のあたしと違って、母さんはありとあらゆる武器に精通するオールラウンダーだった。


 あの手の戦法は、どれも中途半端な器用貧乏に陥ってしまうことがあるため忌避されがちだが、母さんはどんな武器でも――それこそ初めて手にした武器でも、少し振り回しただけでコツを掴んで達人以上に使いこなしてしまうのだ。


 バカと天才は紙一重。


 どうやら母さんは紙一重で天才だったようだ。


 それはどうか分からんぞガハハと笑っていた父さんは、母さんに気絶させられどこかに連れていかれ、翌日には妙にやつれていた。


 一方母さんはツヤツヤしていた。


 それはさておき、千草は母さんに小さい頃からあたしと同じように、武術の心得を学んでいた。


 千草が鏡の妖魔と戦っていたときの動きも、母さんから習ったものだ。


 記憶は忘れていても、体は覚えているらしい。


 当時の千草はあたしにとって、数少ない遊び相手であり修行仲間だった。


 ちなみにあたしが姉弟子と言うことになる。


 出会ってから五年以上、あたしと千草はずっと一緒にいた。


 一緒にいるのが当たり前で、そうじゃないと不安になってしまう。


 あの時のあたしは、間違い無く千草に依存していた。


 独占欲、と言ってもいい。


 人付き合いが苦手なあたしと違って、千草は友達を作ることにそこまで抵抗のない。


 今も、氷室君や鹿山君とよくつるんでいる。


 呉沢さんともたまに殴り合っているけど、言っているほど仲は悪くないみたいだ。


 そんな光景を、あたしは教室の隅でこっそり見ていた。


 千草が氷室君達と仲良くしているのを見ると、あたしの心は滑稽なくらいかき乱された。


 我ながら最低だ。


 拒絶しているくせに、千草が他の子と仲良くしているのを見ると面白くないと言うのだから。


 もうあたしには、千草と関わる資格はないのだ。


千草をあんな風にしてしまってしまったのは、他ならぬあたしだというのに。


 あの日から、あたしはちっとも、変われていない。


 これでもかというほど自己嫌悪に苛まれながら、目を開く。


 知らない天井だった。


 あたしはベッドに寝かされていた。


 体が窮屈になっているのを不審に思って視線を下げると、体のあちこちに包帯が巻かれていた。


 誰がやってくれたんだろう?


 疑問に思っていると、音楽が途切れ、ぽきゃっぱらっぱぱらぱぱと残念そうな音がなった。


「あ、死んだ。ったく、氷地面はいつまでたっても慣れねえな……」


 そうぼやく、聞き覚えのある声。


「千草……?」

「お、ようやく起きたか。調子はどうだ?」


「うん、大丈夫だけど……」


 少々ぼんやりした声音で頷く……


「……ねえ千草」

「あん?」


「この包帯って、誰が巻いたの?」


 今あたしが着ているのは包帯以外には下着しかない。


 包帯を巻く以上、服を着っぱなしではすごく難しい訳で、服を脱がすことは避けては通れない。


 つまり、その――


「俺だけど」


 ゲーム機をパタンと閉じながら、千草は言った。

 俺。


 俺というのは一人称の一つであり、男性がよく使うものだ――で、千草もこのカテゴリにあてはまる。


 そして千草の口から『俺』という言葉出てきた。


 他人のことを「俺」と言うことは無い――つまり、包帯を巻いたのは千草本人に他ならないわけで――


「な、ななななななななな……!?」


 廃品回収五秒前なスピーカーみたいな音が出た。


「だから、俺だって言ってんだろ。俺が怪我したおまえに応急処置をしてやったんだ。その過程で下着が見えちまったのは不可抗力っつーか、まあ事故みたいなもんだろ」


「うがああああああ!」


 見られた、見られた、見られた!


 よりによって、千草に!


「おいバカ! そこら辺にあるものポンポン投げるんじゃねえ!」


 下着オンリーなら百歩譲って――も、許せないけど、下着姿なんて最悪だ。


 えっと、その、あたしの平均より少し(本当に少しだ。やや、とかいったら殺す)つつましい胸をしっかりばっちし見られたってことになる。。


 しかも包帯の位置を見るに、かなり際どいところも見られてしまったと言うことにになる訳でうわああ最悪だいっそ殺せぇー!


 ……そんな感じで、あたしが落ち着きを取り戻すのに、かなりの時間がかかったことは想像に難くないだろう。


「どうどう、落ち着いたか?」


「……あんたはあたしを馬かなんかだと思ってない?」


「そんな訳ないだろ。馬の方が百倍聞き分けがいいに決まってらあ」


 ぐぎぎ。


 言い返したいけどその通りなので何も言い返せなかった。


 下着姿を見られる訳にはいかないので、あたしは千草の布団にくるまっている状態になっている。


 なんて言うか、千草の匂いがする。


 別に深い意味はないけど(ホントよ)、そう思った。


「その……ありがと。包帯、巻いてくれて。あと、ごめん。ベッド、汚しちゃった」


 ベッドと布団が、あたしの血で汚れていた。


 血のシミは中々落ちないので、後で弁償しなくてはならない。


「別にいいって。おまえの下着姿を拝めたんだ、プラマイゼロどころか、プラマイプラスなまである」


「やかましいわ!」


 なんだって素直に感謝させてくれないのだろうこの男は。

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