第11話 命我翔音

 ――時間は、数分前に遡る。


「今、なんつった花譜」


「あなたが存在を感じ取ったものの近くに、信乃様がいると言ったのです」


「なんだってそんなところにってのは愚問だよな。教えてくれ。いったいそこに何がいるってんだよ」


「言ったはずですよ。真実は直接確かめてこそ価値があると」


「うるせえそんなの知った事か! いいから教えろよ!」


 肩を掴んでがくがくと肩を揺さぶっても、花譜の表情筋はぴくりとも動かないのだから、感心するべきか呆れるべきか分からなくなる。


「仕方ありませんね……私の口からは直接言うつもりはありませんが、扉の錠くらいは開けてあげましょう――〈クレイス〉」


 虚空に翳した手の平に、小さな鍵が出現する。


「なんだそれ、マジックか?」


「種も仕掛けもありますが、マジックではありません。対魔術です」


「違いが今ひとつ分からねえんだけど……俺の逆行時計みたいなものってことか?」


「あなたのそれに比べれば児戯のようなものですが、その認識は間違っていません。これをあなたに差し入れて――なんで内股になるんですか」


 おっと、無意識に防衛本能が働いちまったらしい。


「で、その鍵でどうするってんだよ。俺の秘めたる力を解放でもしてくれるのか?」


「この鍵でそれは不可能です。クレイスは記憶を司る鍵。信乃様に消された数日間の記憶を、開いて差し上げましょう」


 そう言って、花譜は千草の額にクレイスを差し入れる。


「なぁ!?」


「静かに。失敗すると記憶が全てPONする可能性がありますので」


 なんつーもの差し込んでやがんだこいつ。


 全力で抗議したかったが、PONされたくないので大人しくしておいた。


 痛みは無いが、額にこそばゆいような異物感を感じる。


 鍵が捻られると同時に、膨大な記憶が堰を切ったように俺の中に流れ込んできた。


「が、ぐっ――!」


 突然の事に脳が対応しきれなかったのか、俺は地面に膝を突いた。


「なるほどな……思い出したぜ。信乃の奴、どんだけ俺の記憶封じてんだよ。三回も封じてるんだったら、いい加減諦めろってんだ」


 妖魔のことや、信乃が対魔師であること、すべて思い出した。


 そしてそれらを全て、信乃が消した事も、だ。


「信乃様は頑ななお人ですから。引っ込みがつかなくなったのでしょう」


「言えてるぜまったく……で、信乃の奴は今どこにいるんだ?」


「あなたは妖魔の気配を感じているはずです。それを頼りに向かえばいいのです」


「妖魔の気配って……このミョーな頭痛か」


 確かに、場所がなんとなく分かる。


「ああそうそう。このことは他言無用でお願いします。例え信乃様であっても、です」


「? 別にいいけど。とりあえずサンキューな花譜。助かったぜ」


「ふっ報酬は信乃様のパンツで結構ですよ」


「それは絶対にやらねーぞ」



 ――そして、現在。


 気配を頼りにマンションに到着した千草は、窓を蹴破って部屋に突入した。


「うーん我ながらビシッと決まったな」


 そんな自画自賛を口にしながら信乃の方に振り向いた千草は、一転してぎょっと目を剥いた。


「どうしたんだよその傷! オイ大丈夫なのかマジで!?」


 目を見開いて突っかかってきた千草の剣幕に、信乃は思わずここが戦場である事を忘れてタジタジになる。


「え? あ、いや、大丈夫。これくらいどうって事無いし……」


「そんだけ体のあちこちから血ィ流して言われても説得力ねえわボケ!」


「仕方ないでしょ、こっちだって――って危ない!」


 千草を背後から刺そうとしてた家鳴りを突き技で仕留めた。


「うおっ、なんだコイツ。ちっこい鬼みてーだな」


「鬼じゃない。これは家鳴りって言うの」


「別にあんま変わらねえだろ。でっかいかちっちゃいかくらいで」


「全っ然違う。こう言う分類はとても大切なんだから!」


 鬼は妖魔の中でも最高位の存在だ。


 この程度で鬼を名乗られてはかなわない――もっとも、自分は『この程度』の妖魔達に苦戦していたのだが。


「ったく、昨日といい今日といい、変な奴らとばっか戦ってんだな、おまえ」


 言い返そうとして、気付く。


「昨日って、あんた記憶が戻って……え、でも、なんで?」


「企業秘密ってことにしといてくれよ……な!」


 下手くそなウィンクをしながら、近くにいた家鳴りをサッカーボールのように蹴飛ばした。


 しかし先程のようにはいかず、家鳴りは吹っ飛ばされるのに留まった。


「あー……やっぱり駄目か。ここじゃあそこまで勢い乗せられねえしな……よし、もう一回出直すか」


「待ちなさいバカ。またあんなターザン紛いのことする気!?」


「いや、正確には人間パチンコだな」


「本当にどうやってここまで来たの!?」


 家鳴りを切り伏せながら、信乃は卒倒しそうになる。


「安心しろ、二回くらい失敗したけどこの通りだ」


「全然安心できないんだけど!?」


 どのように失敗したのか、具体例は聞かないでおく事にした。


 やはり逆行時計があるからと無茶をしていたみたいで非常に頭が痛い。


 突然の乱入者に混乱したのか、家鳴りの統率が乱れた隙を突いて、信乃は次々と家鳴りを切り捨てていく。


 千草は丸腰なのでキックやパンチのみで戦うが、吹っ飛ばすのが精々で致命傷を与えるには至っていない。


 家鳴りもそれが分かったのか、標的を千草に絞って攻撃を加えさせ始めた。


「くそっ、こんにゃろ……!」


 次々と襲ってくる家鳴りに対処できずに、次々と家鳴りの角や爪が突き刺さる。


「信乃! なんか武器とかないか!? 最悪鉄パイプとかでもいいからくれ!」


 腹に刺さった家鳴りを引っこ抜きながら叫ぶ。


「そう言われても、あたし村雨しか武器持ってないし!」


「嘘だろ!?」


「そもそもなんで丸腰で来たのよあんたは!?」


「逆行時計があればなんとかなるかなーって思ったんだよ! 案外そんな事は無かったぜ!」


「だから巻き込みたくなかったのよ! そんなことだろうから!」


「梓さん言ってたろ! 動いてから考えろってな!」


「あれは母さんくらいの実力者じゃないと通用しない理論なのよ! ああもう本当に……あ、そう言えば」


 思い出したように、ポケットの中から包帯のように巻かれた護符を取りだし千草に向かって投げた。


「うおっ、なんだこれ。まさかこれで治療しろってんじゃないだろうな!」


「違うわよ! これは命我翔音メガトーン。叩き付けた相手に向かって凄まじい衝撃波を生み出す対魔術が付与されている対魔符なの。これなら少しはマシに戦えるはずだから!」


「おおマジか! 名前くっそダセぇけどサンキューな信乃!」


「別にあたしが名付けた訳じゃないからね!?」


 満面の笑みで礼を言われたせいか、こんな状況でも口元が緩んでしまうが、一番重要なことを忘れていたことを思い出す。


 命我翔音は本来、棍棒や鉄パイプなどに巻き付けて運用するものである。


「いい、絶対に腕に直接巻き付けて相手を殴るなんて事をしたらダメよ。そんなことしたら――」


 ずん、と重々しい衝撃と共に、全身がひしゃげた家鳴りが吹っ飛んだ。


 それだけでは止まらず、偶々その後ろにいた家鳴りの骨を砕きながら巻き込んで転がっていく。


 一瞬で二体の家鳴りを仕留めた。


「いってええええええ! なんだこれすっげえ痛ぇぞ!」


 手から煙を出しながら、千草がのたうち回る。


「――そう言う事に、なるから……はぁ」


 時既に遅し、という言葉が信乃の頭をぐるぐると回る。


「でも、これなら我慢できないこともねえな……!」


「ちょっと、本気!? 痛みで頭おかしくなっても知らないわよ!」


「死なねえならなんでもいい! つーか多分それ手遅れだ!」


 アッパーカットで天井に殴り飛ばす千草に、信乃は最早どんな言葉をかけていいのか分からなかった。


 自覚しているのに改める気がないのが一番タチが悪い。


 千草が命我翔音を手にしてから数分で、この部屋にいる家鳴りは全て殲滅した。


「うっし、いっちょ上がりっと。以外にいけるもんだな」


「……」


「おーいどうした信乃。そんな救いようのない馬鹿を見るような目で俺を見るなよな」


「本当にその通りなのよ……まあ、お陰で助かったけど」


「ふっふんそうだろ? 礼には及ぶぜマドモアゼル」


「調子のんな!」


 引っぱたこうと手を上げたところで、傷口がズキンと痛んだ。

「っ……!」


「お、おい。あんま無茶すんなよ」


 体を支えようとする千草を、大丈夫と手で制する。


「大丈夫、痛みはあるけど、ダメージ自体は大した事ないから」


「本当かよ……ま、過ぎたるはなんとやらだ。さっさとここからずらかろうぜ」


「え? ちょっと、何言ってんのよ千草」


「当たり前だろ。こんな化け物だらけの場所にずっといられるか……まさか、残って中にいる人を助けるなんて言うんじゃないだろうな」


「当然でしょ。そのためにあたしはここにいるんだから」


「あのなあ、少しは現実を見ろよ。あんな化け物がわんさかいる中でピンピンしている奴がいるって本気で思ってんのか? 賭けてもいい。絶対にありえないね。仮にいたとしても、俺はそんなのゴメンだ。こいつみたいになってるのがオチだぜ」


 千草は、かつて青年だった肉塊を顎でしゃくる。


 破裂した体は壁や天井にその一部が張り付いており、凄惨さを物語っていた。


 じゃあなんでこんな所に来たんだ、とは聞けなかった。


「……そう、ならあんたは先に外に出てて。あたしは生存者を探すから」


 そう言って、部屋を出る。


「だーくそっ、それが問題だって言ってんだよ……!」


 千草はがりがりと頭を掻きながら、その後を追う。


 ふと、玄関口に車のキーが置いてあるのを見つけた千草は、念のために貰っておくかとポケットに捻じ込んだ。

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