第9話 向かうべき場所

「……はぁ、はぁ、はぁっ――こ、ここまでくれば大丈夫だろ」


 信乃のアパートからかなり離れた通りで、俺は肩で息をする。


言い訳なぞ無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァー! と繰り出された雨あられのような鉄拳制裁に、俺はたまらず逃げ出した。


 今思えば、残って誤解を解いた方がよかった気がするが、悔いても時は戻らない。


 大人しく現実を受け入れるしか無いのである。


「やっべ、荷物全部あいつのアパートだ」


 お見舞い用の土産も、教科書が殆ど入っていないリュックも全て信乃の部屋に置いてきてしまった。


 幸い家の鍵や財布はポケットに入っているので問題があるわけではない。


 強いて言うのならば、リュックにちょっと大人な本が入ってるくらいで――


「――それはそれで結構ヤバいな」


 俺の愛する巨乳モノ雑誌を信乃が見てしまったら、俺は殺される。


 戻るか――いや、それでは確実に殺される。


 エロ本が見つかっても殺されるし戻っても殺される。


 であれば、一番楽な選択をすればいいのだ。


 リュックは明日あたり、あいつの心が落ち着いたら持って行けばいいだろう。


 一番の問題は、


「これ、マジでどうすっかな」


 俺の手に握られているのは黒のパンツ。


 勿論、女性用。


 怒髪天を衝きまくる信乃にビビって逃げたした時に、うっかりパンツを握ったまま逃げてしまったのだが……こればっかりは、俺のミスだ。


 エロ本云々が問題にならないくらいヤバい代物である。


 こんなところを誰かに見られたら信乃が手を下すまでもなく、社会的に抹殺される。


 周囲に誰かいないか確認しつつ、パンツを丁寧に畳んでポケットに入れる。


 端から見れば俺の行動は犯罪者のそれだが、しかしよく考えてみれば、パンツを俺に投げて寄越したのはあの花譜とかいう女だ。


 言ってしまえば、俺は被害者であり、うっかりパンツを持ってきてしまったのは、言い訳を許さない信乃にも責任の一端はある。


「つまり俺は悪くないってことだな。ウン――」


「すごい納得の仕方ですね。あながち的外れではありませんが」


「どわっ!?」


 いつの間にか背後にいた花譜は、俺のリアクションに繭一つ動かさない。


「テメェ、なんてことしてくれたんだよ。おかげで俺に対する信乃の好感度がストップ安なんだが!?」


「仕方ないでしょう。それが露見すれば私の生死に関わります。であれば、死なない貴方を犠牲に、と――」


「最低な結論だ!」


 要は、自分が助かるために生け贄を用意したってだけだ。


 こいつマジで殺してやろうかと拳をポキポキ鳴らした矢先、不意に頭痛がした。


 すわ、天罰かと身構えたが、今まで経験した頭痛とは何か違う。


 俺の頭に磁石が埋め込まれていて、体の外に超強力なネオジム磁石があるかのような、そんな奇妙な頭痛だった。


 虫の知らせとか第六感とか、それに近いものがある。


「なんだ、これ……」


「おや、あなたも感じるのですか」


 あなたも、という事は花譜も同じような状況にあるってことか……


「これは一種の危険信号です。敵が近くにいるから撤退せよ……もしくは――」


「――ぶっ倒せ、か?」


 こくり、と花譜が頷く。


「でも、なんだって俺がそんなことしなくちゃいけねえんだよ。いくら不死身でも面倒事はお断りだね」


 肩をすくめる俺に、花譜は言った。


「信乃様がそこにいる、と言ったらどうします?」





 屋根や電柱に次々と飛び移りながら、妖魔が発生したという現場に向かう。


 そんな軽業師が裸足で逃げ出すようなアクションを披露しながらも、信乃の顔色は優れなかった。


「ああもう、なんなんなのよあいつ……!」


 というか、かなり怒っていた。


 無理もない。


 アパートに帰ってきたら、千草が自分のパンツを手にして立っていた。


 それを目にした信乃に湧き上がったのは、なんでこんなところにという疑問でもなく、千草が不法侵入

した恐怖でもなく、テメェなに人のパンツかっぱらおうとしてるんだよ、という怒りだった。


 怒りにまかせてボコボコにしたはいいのだが、よりによってそのタイミングで妖魔出現の一報がスマホを通じて知らされたのだ。


 草を縛り付けて現場に向かい、妖魔を倒した後に尋問を続けるというのがベストだったのだが、スマホに気を取られている間に千草は逃亡してしまったのだ――パンツをその手に握りしめて。


 状況が状況なので止める事も出来ずに、信乃は現場に向かうしかなかった。


「覚えてなさいよ千草……次会ったら絶対にただじゃおかないんだから……!」


 ずももと黒い炎を燃やす


 メールで送られてきたのは、町外れのマンションに妖魔が暴れていると言った情報だった。


 場所があまりにも最悪だ。


 妖魔は「場」に縛られている個体が多いので、建物の外に出せば危機を脱することができる。


 彼らはそれを妨害するために、内部をいじって結界化させるのだ。


 一軒家ならば、被害は一家族のみで収まるが、マンションは連鎖的に被害が拡大していく。


 しかも今回向かうマンションは十階建てで、住民もかなりの数いると言われており、さらに発生した妖魔の詳細は不明ときている。


 応援を呼びたいけれど、近くにいる対魔師は信乃しかいない。


 この業界は常に人手不足なのだ。


 既に四宮本家に応援を頼んだが、あまり期待できそうにない。


「……あった!」


 マンションの正面に着地すると、門に人払いの結界を発生させる護符を貼り付けた。


 こうすれば、一般人は中に入ることが出来なくなる。


 昨日千草が入ってきたのは……まあ、あいつは一般人じゃないから結界に引っかからなかったのだろう。


 エントランスに入ると、中は既に妖魔の結界に変貌していた。


 竹刀袋から妖魔退治には欠かせない相棒――の妖刀〈村雨〉を取り出す。


 妖魔を倒す方法は主に二つあり、妖魔に対抗できるように加工された武器を使うか、対魔術などの術式を使うかのいずれかなのだが、対魔師は主に後者だ。


 信乃が村雨を使うのは、滅多なことでは対魔術を使うことが出来ないからだが、そこまで不便は感じていない。


 警戒しながら5メートル程歩くと、前方から小型の妖魔が信乃に飛びかかってきた。


「家鳴り……!?」


 驚いて目を見開く。


 家鳴りは家に潜むも最もメジャーな妖魔だが、たまに騒音を上げるくらいのイタズラしかしない連中だ。


 迷惑と言えば迷惑だが、逆に言えば人が被る被害はそれくらいなので、討伐対象からは外されている(比較的)無害な妖魔なのだが――ここの家鳴りは、異常だ。


 イタズラ小僧のようなくりくりした瞳は盛大に血走り捕食者の目になり、額から申し訳程度に覗かせていた角はサバイバルナイフ並の刃渡りになっていた。


 確信する。


 この家鳴りは、最早無害な妖魔の範疇を逸脱している――!


「なら、生かしておく義理はないわよね……!」


 村雨を抜刀し、家鳴りの首を真一文字に切り飛ばした。


『ぎ、ギィイイイイイイイイイイイイイイイイ!』


「っ……」


 その名に恥じぬような耳を塞ぎたくなるような断末魔に、顔をしかめる。


 家鳴りの体は塵のように崩れて消滅する。


 だが、それだけだった。


「……マンションを歪めている結界が閉じていない。やっぱり、まだいるんだ」


 あの家鳴りは危険だ。


 あんなものが何匹も、人が生活しているマンションに潜んでいるなんてぞっとしない。


「早く行かないと……」


 ふと、あたしに注がれる殺気を察知した。


 それも一つではない。


 四方八方、あらゆる場所から殺気は飛んでくる。


 ついさっき殺した妖魔の断末魔を思い出す。


 耳を塞ぎたくなるくらいうるさい絶叫。


 あの悲鳴は――いったいどこまで響いたのだろう。


 もし、あの悲鳴が、さながら警報のように他の家鳴りの耳に入っていたら……?


「まさか、ね」


 背中から、変な汗が流れる。


 一瞬の静寂の後、潜んでいた家鳴りの群れが大挙としてエントランスに流れ込んできた。


「やっぱりこうなるのね――!」


 家鳴りは個でなく群の妖魔だ。


 一匹いたら三十匹はいると思えと昔母に言われたが、嘘つきと文句を言いたい。


「何が一匹いたら三十匹よ。五十匹はいるじゃない!」


 悪態をつきながら、飛びかかってきた家鳴りの首をはねる。


 いちいち相手していたらキリが無い。


 道を阻む家鳴りを切り倒しながら、前に進む。


 エレベーターは期待できないので、階段を使う。


「誰か! 誰かいませんか!」


 マンションの廊下を走りながら、住民に呼びかけても返事は無い。


 住民リストを見ながら、該当する部屋にノックしようとすると、勝手にドアが開いた。


「大丈夫で……」


 絶句した。


 死んでいる


 主婦と覚しき女性の背は血塗れで、背中にぽっかり明いた穴はそのまま心臓を突き破っていた。


 それだけでなく牙や爪で抉られた痕がある。


 靴を脱がないまま、中に踏み込む。


 捻れば曲がった部屋にいたのは、三匹の家鳴り。


 血がべっとり付着した角と牙を見て、ギリッと歯を食いしばる。


 新たな獲物を見つけ、食らいつかんと腰を落としたところを、三匹まとめて滅多斬りにして仕留めた。


「ダメだな……冷静に、ならないと」


 吐き出された息が荒い。


 すぐに感情的になるのは悪い癖だ。


 心を落ち着かせて、先を急ぐ。

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