第2話 包帯の謎

 気がつけば、昼休みになっていた。


 学園ラノベでは、屋上が憩いの場になっているのが定番ではあるが、生憎と田舎の県立高校がそんな気の利いた配慮をしてくれるはずもない。


 せめてそれっぽい空気で食べようということで白羽の矢が立ったのが、校舎のベランダである。


 あの後、俺が何をしていたのかはあまり覚えていない。


 なんとなくだが、ずっと死んだ目をしながら机に向かっていた気がする。


「だからやめておけと言ったのに……いえ、逆に死んだ目をしたあなたを見ることが出来たから、グッジョブと言ったところかしら」


「うるへー! 人の不幸を見ながら飲む豆乳はそんなに美味いか!」


「もちろん。ミシュラン並よ」


 呉沢は何故かドヤ顔で、紙パック豆乳を飲んでいた。


 ミシュラン認定された店の料理を食ったことはないが、少なくとも購買で安売りされている飲み物よりは美味いはずだ。


「しかし、あそこまで冷たくされるとはね……ちょっと意外だったかな」


「しかたないじゃない。相手は千ヶ崎よ? 事案として訴えられなかっただけでもまだマシってものじゃないかしら」


「うるへー、悲鳴を上げられるようなツラはしとらんわい」


 誠には負けるが、顔に関してはちょっと自信がある。


 しかしどう言うわけか、この歳になるまで彼女が出来たことはないのであった。


 何故だろうと思いながら、ショックのあまり喰いそびれたエビカツサンドを頬張る。


 エビの食感とうま味がタルタルソースとよく合って実にケッコー。 


「この後はどうするんだい? 仮に幼なじみだという君の話が本当だったとしても、あの反応じゃあ、以前の関係に戻るというのは少し難しいじゃないかな」


 信乃の席を見る。


 四時限目終了のチャイムと共に、信乃はどこかへ忽然と姿を消してしまった。


「バカヤロー。この千草様が一回そっけなくされたからってメンタルが粉砕される訳がねえだろ。まだだ、まだ終わらんよ」


「後ろからでも分かるくらい落ち込んできたするけど……」


「黙らっしゃい。あれは一種のクールダウンって奴だよ」


 しぶとさとしつこさには定評のある千草さんである。


「どうだろう。うまくいくかな」


「賭けましょうか。失敗したらこいつにサイゼ奢って貰いましょ」


「おお、それはいいね。今のうちにメニューを決めておこう」


「ふははは、勝手に言ってやがれ外野共。俺は絶対に信乃と仲良くなってやるからなぁ!」


 そう吠え、拳を空に向かって突き上げる。


 その日から、俺のしのを振り向かせるための戦いが始まった――!




 靴箱でたまたま鉢合わせたときも、


「なあ信乃」


「話しかけないで」


 一人で音楽を聴いているときも、


「おーい」


「え、今何か言った?」


 廊下ですれ違ったときも、


「なー」


「……(聞こえないふり)」


「おまえ、胸は昔と変わらねーのな」


「うっさい死ね!」


 俺は信乃にとことん拒絶されることになった。


 殴られた頬がヒリヒリする。


「チクショー、何故殴られなくちゃならんのだ。俺はただ真実を言っただけだってのに」


 いつものベランダで、お気に入りの炭酸飲料『ライフガード』を飲みながら愚痴を零した。


 味は少し薄めのオロナミンCみたいなところだが、こいつはたっぷり飲めるのがいいポイントだ。


「理由は明白でござろう。世の中には口にしてはならぬ真実というのがあるのでござるよ」


 ちっちっち、と指を振るのは、クラスメイトの鹿山甚太(かやまじんた)。


 キノコヘッド、分厚い度の眼鏡、デブという古のオタクイメージの具現化のような男である。


 学校一ツヤツヤな肌を持ち、一部の女子はその肌のツヤを我が物にせんと画策しているとかいないとか。


「その通りだよ千草。君はどうもデリカシーがないきらいがあるからね。体のことを色々言うのはマナー違反もいいところさ」


「うるへー、正論なんて聞きたくねえやい」


 信乃を攻略せんと動き始めて一週間、俺の作戦はすべて空回りに終わった。


 どんなにフレンドリーに話しかけたとしても、とことん冷たくあしらわれて終わるのだ。


 呉沢のようにムカつくことを言ってくれればまだとっかかりがあるというものだが、会話をぶち切ってそのまま無視と言うのだからどうしようもない。


 ちなみに呉沢は他の女子と飯を食っている。


 あいつの毒舌がないだけでこんな平穏になるとは、逆に感心しちまうね。


「しかし四宮氏は中々の難物でござるぞ。ギャルゲーで最後にようやく攻略できるようになるパターンのヒロインでござるな」


「まあ、少し壁は感じるよね。優しい人ではあるんだけど」


「逆に千草氏に冷た過ぎるとも考えられるでござるな」


「……ちょい待ち。あれは壁を感じるだけで済まされるレベルじゃねえだろ」


 確かに胸は壁っぽいが、今の信乃は相手を容赦なく撃墜する迎撃ミサイルの如しだ。


「そうかな? 確かに付き合ってくれと言った時には丁重にお断りされたけど、その時も普通の反応だったし、それから後も普通に接してくれたよ」


「……信乃に告白したのかおまえ」


 ジト目で睨む俺に、誠は肩をすくめて見せた。


「うん、気付いたらそうなってたよ」


 校内一の色男は無意識のうちに女を口説くことができるらしい。


 まあ、呉沢よりは趣味は悪くないとは思うがなんだ、この心のモヤモヤは。


「とりあえず一発ぶん殴ってもいいか?」


「ははは、遠慮しておくよ」


 ひとまずリア充は滅びろと、甚太と一緒に中指を立てておく。


「それで、千草氏は諦めるのでござるか? 普通であればメンタルバキバキプライドズタズタ周りゲラゲラの三重奏でござるぞ」


「まさか、それくらいで諦めて幼なじみやってられるかってんだ。ギリギリまで頑張ってギリギリまで踏ん張ってやるぜ」


 どうにもこうにもならなくてもウルトラマンはやってこないが、そんなことで呼ばれてもあちらさんにとって傍迷惑なだけなのだろう。


「しかし、千草にあそこまで冷たいとなると、考えられるのは二つだね。一つは、素直になれないだけ。もう一つは――」


「オーケイ話はそこまでだ。それ以上は聞きたくない」


 本気で嫌われてる、なんて言われようものなら、本気で俺のメンタルが木っ端微塵になってしまう。


「現実というのはそういうものでござるぞ千草氏。やはり二次元が一番でござる」


 ほい、とギャルゲーのパッケージを渡してくる甚太にデコピンを食らわせた。


 ギャルゲーは貰ったけど。


「……千草、これは僕の仮説なんだけどね」


 妙に重々しい声で、誠は言った。


「このクラスに在籍している四宮さんは、君の幼なじみである四宮信乃さんとは同姓同名の赤の他人なんじゃないかな?」


「それはありえねーな」


首を振って、誠の推理を否定する。


「あそこまでクリソツな同姓同名がいてたまるかよ。殴り方も一緒だったんだぜ?」


「……君は四宮さんとどんな日々を送ってたんだいと言う疑問はさておき、記憶が曖昧になっている可能性だってあるだろう? そうなるのに、四年は充分な時間だと思うけどね」


 確かに、記憶というのは結構テキトーなもので、以前行った観光地をテレビで見ると、あれこんな場所だっけというのがよくある。


 しかしそれをさっ引いたとしても、あいつが四宮信乃であるという絶対的な確信があった。


「あいつ、髪を組紐で結んでるだろ? 実は俺も持ってんだよ」


 ほい、と手首に巻いた組紐を見せると、二人はすさまじく微妙な顔になった――と言うか、何故か引かれている。


「マズいでござるな。フィクションとリアルの境界線を見失っているようでござる。オタクとして踏み入れてはならない領域に踏み入れているでござるぞ」


「これは警察に通報した方がいいかな。それとも黙っておくのが友情かな……」


「しかし万が一やらかしてしまったらのことを考えると……」


「やっぱりそうかな……」


「おーいおまえら、何二人で不穏なやりとりしてるんだよ」


「大丈夫だよ。例え君が塀の向こうに言っても僕らは友達さ」


「月イチで面会に行ってやるでござるよ」


「生暖かい目で肩をポンポンすんじゃねーよ! 別にこれは盗んだものでも信乃が付けてるのとまったく同じものを買ったものでもないからな!?」


 あと面会はせめて週一で来てくれ。


「えぇ~本当でござるか~?」


「本当だっつーの。まだガキの頃に梓さん――信乃の母ちゃんからもらった奴だよ。それに、この模様はどこにも売ってないやつだしな。これが何よりの証拠ってやつだろ?」


 刃文を模したこの組紐は、お守り代わりとして風呂入ったり寝ているとき以外は肌身離さず身に付けている。


 十年以上前に貰ったものだが、結構丈夫に作られているみたいでほとんどほつれていない。


「となると、赤の他人説は瓦解した訳だね」


「残るはツンデレ説と本気で嫌い説とクローン人間説でござるな」


 えーい、こいつらと話しててもらちが明かん。


 勝手に盛り上がっている二人を放っておいて、ベランダを後にする。


 もうすぐ昼休みにも終わるので、さっさとお花を摘みにでもいこうかねと廊下を彷徨っていると、ばったり信乃と出くわした。


「……」


「……」


 何故か、二人とも立ち止まった。


 いつもであれば、すました顔で去って行くだけなのに、信乃まで立ち止まるとは珍しい。


「よう、信乃。何処に行くんだ――」


 突然ネクタイを掴まれ、ぐいと引き寄せられた。


 じいっと、黒真珠のような瞳で俺の顔を覗き込んでいる。


「――へえ、結構なじんでる」


 にぃっと、信乃は笑った。


 四年ぶりに見る、信乃の笑顔。


 その破壊力といったら、場所が場所ならすでに俺の中の理性と倫理観がぶっとんじまいそうだった。


 でもこいつ――こんな風に笑うんだったっけ?


 いや今はそんなことはどうだっていい。


 この距離はマズい――!


「お、おいどうしたんだよ急に! あれか、キスか!? いくら俺でもそう言うのはもう少し交流を重ねてからだな――」


 どん、と思いっきり突き飛ばされた。


 突然の出来事に、ろくに受身も取れないまま床を転がる。


「いって! なにすんだよ信乃! 新手のフェイントか!?」


 うがぁと食ってかかるが、信乃は先程とは打って変わった凄まじい形相で俺を睨んでいた。


 えーっと……何が言いたいんだこいつ。


 察することが人一倍苦手な俺に表情だけで全てを読み取れっているのは少し無理があるぞ。


 廊下のど真ん中で睨み合うことしばし、信乃は絞り出すように言った。


「……お願いだから、あたしに関わらないで」


 それだけ言って、信乃は踵を返していった。


 その弾みで、見えた。


 制服に隠れた信乃の二の腕に、赤く滲んだ包帯が巻かれているのを。



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