第14話 譲之介

「それで、二晩続けて巨蟹が出たというわけね・・・」

 三連休最終日の時間軸に戻ってきた麻里子たち一行が、月光館でまず譲之介から聞いた話がそれだった。

「その翌日も証拠にもなく無数の屑を率いてお出ましというわけだ。巨蟹のやつは覇力の残滓をだどってかどうかはわからないが、ここらに麻里子殿がいると踏んだんじゃないかと思うのだが」

 譲之介は妙義総社から戻った三人を前にそう言った。

 麻里子たちは譲之介の折神が届けた伝言を読み、直ぐに取って帰ってきたのだが、それでも月光館に着いたのは夕方時分になっていた。総社で車を用意してくれたのは助かったが、途中で渋滞にはまればおのずと鉄道よりも時間がかかってしまったというわけである。

「そいつが、あの巨蟹なら、恨み骨髄の相手を探してということかな」

 麻里子は苦笑しながら言った。

「蟹が絡む一件なら、先日のそれしかあるまい」と譲之介は真面目に答えた。

「まあ、そうねぇ・・・それはともかく、真夜中とはいえ堂々と現界をモウリョウが闊歩してそこいら荒らしまわるなら放置はできないけどね」

 譲之介を真正面から見て麻里子は答える。

「そういうことだな。しかし、ここまでおおっぴらに暴れるモウリョウなど前代未聞ではないか」

「うん、そうなんだけどもし奴が例の巨蟹なら、何か引っ掛かる物があるから。元々青龍復活に絡んでいる感じだし」

 確証を得た訳ではないにせよ、麻里子はこの巨蟹があの時の、志野と蒼龍に出会った時に出現したモウリョウだと考えていた。それでなくて何故、ここいらをうろつきまわるような行動をするのか説明がつかない。

「麻里子さんが言う、巨蟹って、あの時の蟹のモウリョウのことですよね」

 確認するように志野は尋ねた。

「ええ、そう、おそらくね。志野と青龍が出会った時に異界を作り出した原因になった奴だと思う。まあ、どうして奴が原因になったのかが分かりかねているんだけどね」首を振り麻里子は答えた。

「奴が原因?あ、いや何故そこに青龍が絡むのか、ということなのかな」

 志野は首を傾げて言った。

「そりゃ、青龍が絡めば気にはなるわよ。四神瑞獣だもの」

 燐が志野の耳元で囁く。

「麻里子さんと巨蟹ってどういう関係があるのですか」

 何気に疑問を口にした志野だったが、答えに詰まる麻里子と譲之介を見て、NGワードを踏んだことに気がつく。

「あ、いやそのかなり昔にひと騒動起こしてな、それ以来、因縁の間柄なのだ」

 答える譲之介に、麻里子は咳払いして話をはぐらかそうとする。

「えーと、確か江戸時代に出現した化け蟹を退治した話でしたよね。築地で大暴れした巨蟹を派手に成敗したとか言う」

 生真面目な燐は以前、聞いていた経緯のかけらを話してしまう。

「ええと、その時、先代の青龍の主が不覚にも討ち取られてしまったとか」

「そうなんですか燐さん」と志野は目を丸くして尋ねる。自分の前の主とはいかなる人物であったのか気にならないわけがない。

「ああ、もう燐、その話はいいから」

 話を終わらせたい麻里子は苦笑して流そうとする。

 そこまで聞いてはぜひとも続きを聞きたいと志野は思ったが、麻里子が話したくないというならば無理強いは出来ない。

「んーとにかくな、青龍と先代と巨蟹と麻里子殿はそこでぶつかり、結果として巨蟹を封印したことの代償として青龍が散華してしまった。ということなのだ」

 譲之介は物凄く省略した内容を話す。彼は麻里子を見るが、当の本人は表情を崩さず聞いていないふりをしている。

 志野としてはもう少し深くと思うが、この辺で収めておくのが無難なのかもしれない。

「しかし、こうもたやすく都内の結界を破られたり、現界をモウリョウが姿を見せて歩き回ったりしているのは何か原因があるのだろう」

 譲之介は話を変えようと麻里子に疑問を投げかけた。

「結界に関しては、その効力が弱まっている、もしくは消滅しているのかもしれないわ。考えてみれば戦災以降、全部確認したかといわれれば怪しいし」

 麻里子としては取りあえずそのくらいの答えしか思いつかない。

「そんな状況であれば四凶なら、造作もなく通り抜けられているかもしれないわねぇ」

 それならお手上げだという表情で麻里子は答えた。

 いろは組という組織はあってもの少ない人手では活動範囲には限りがある。都内はおろか関東全域など見て回ることなど、事実上不可能に近い。

「取りあえず出来ることからしよう。蟹は放っておいても多分やってくる。来たら退治すればいい。ならまず、近所の状況を再確認する。止石が置かれている置塚のチェックは徹底にしないと、他にも封印をとかれた輩がいるはずだと思う」

「置塚ってなんですか」と志野。

「覇力の流れが局所的に集中しているまあ、パワースポットみたいなところ。それって場合によっては異界との通路になる裂け目が出現しやすいから、封陣札と止石を合わせてその場の力を押さえ込むのだけど、そういう場合って大体、ヤバ目なモウリョウとかも一緒に封印したりしているのよ」

 ため息混じりに麻里子は答えた。

「何とか塚という史跡があるだろう。あの中にはそういう曰くつきのものがあるのだ」と譲之介が付け加えた。

「そうなんですか。じゃ、街の中にある何気ないものがそうだったりするわけですね」

「そうよ、志野。だから街の再開発とか、道路を作るとかで安易に動かしたりするでしょ。あれで相当にヤバいことが起きたりするわけよ」

「あーなるほど。じゃ、じゃあ、それなりに大変そうですね」多少、臆した志野の声は冴えない。

「やるしかないわよ、手分けして塚を当たる。まずは蟹塚なんかの水モノ系を重点的に。あとは蛇やら蟲やらか。封じたのが大昔と封印が脆そうだ」

 麻里子はそう言うと一同を見渡す。

「では、封陣札を用意しておこう。もしもの場合はそれで取りあえず凌げる」

 譲之介は麻里子を見て確認するように答えた。

「そうね、それがいいわ、明日は土曜日だっけ。譲之介は朝から早速、志野は燐と学校の後で回ってもらいたいけど、志野は学校はどうなるのかな」

「編入決まるまでは自宅学習ですし、午後なら言い訳つけて出て来られると思います」

「悪いわね、志野。迷惑かけるけど」

「じゃ、志野さん明日午後、東都の近くで合流しましょう、詳しい時間は携帯端末でやり取りしましょう」

「わかりました」と志野は燐に答えた。

「今夜、巨蟹が出たらどうする」

 譲之介の声は少し不安げだった。

「そりゃ、来るなら来い、ってとこよ。探す手間が省けるし助かるわ」

 ニヤリと笑い、自信たっぷりに麻里子は答えた。

「ま、そうだな。麻里子殿がいて、私がいれば」

「そうよ、譲之介。朱雀と玄武がそろっているのに、巨蟹程度のモウリョウなんかは雑作もないでしょ」

 麻里子の言葉には、今度は逃がすつもりはないという意志があふれていた。

「じゃ、そういうことで今日はお開き。燐も志野も帰ってゆっくり休んでね。また明日からいろいろありそうだし、志野は本当にご苦労でお疲れ様だけどよろしく頼むわ」と麻里子は両手を合わせて大袈裟にお願いするポーズをとる。

「あ、いえ、あの私は今晩いなくてもいいのですか」

 恐縮しながら志野は聞いた。青龍が絡んだことで巨蟹が出てくるなら、自分もいたほうがいいのかなと思ったのだ。

「気持ちは嬉しいけど、志野は自分の立場も考えてね。このことは親兄弟も知らないことでしょ。普段と行動が変わってしまったことを気がつかれて、変な心配や詮索をされたら困るのは志野の方だと思うわけ。だからなるべく普段と変わらない行動をして欲しい。こっちこのことでどうしても志野の力が必要な時はちゃんとお願いするから」

 麻里子はそう言って微笑み、志野の肩を軽く叩いた。

「そ、そうですか、わかりました」

 そんな風に言われてしまえば、志野も納得するしかない。

 考えてみれば母どころか姉にさえもこの件は話していない。むしろ話せないというのが本音だが、故にどうすればいいのか迷っていたのは事実だった。打ち明けて「はい、そうですか、がんばってね」という類の内容ではないだろう。その前に絶対信じてもらえないに違いない。

「そういうことで、じゃ、譲之介、いろは組に車を返す前に二人を送ってあげて」

 麻里子は左手をひらひらさせながらお願いする。

「ん、わかった。二人ともいいかな」

 席を立ち上がった譲之介に、頷いた志野と燐も荷物を持って立ち上がる。それを見た麻里子は両手をさらにひらひらさせて三人を見送っていた。

  

「じゃあ、志野さんまた明日」

 月光館からすぐ近所の、いかにも高級、いや超高級と見えるマンションの車寄せで燐を降ろし、譲之介と志野を乗せたSUVは彼女の家がある曳船へと向かう。

 助手席に座る志野はちらちらと運転席の譲之介を伺うが、当人は表情を変えることなく運転に集中しているようだった。

 譲之介の印象は麻里子から聞いた通りといえばその通りであるが、志野としてはもう一つ判りかねた。会って間がないからと言えば確かにそうなのだが、自分の第一印象は屈託のない笑顔を見せていても、どこか影があるという感じだった。

「どうかしたかな」

 あまりにちらちら見ていたことに気がつかれたのか、譲之介が声をかけてきた。

「え、あの、えーと、あ、燐さんて凄いマンションに住んでいるんですね」

 志野は慌てて話題を探す。

「ああ、いろは組が色々と手配しているのでな」

 僅かに表情を崩し譲之介は答えた。

「譲之介さんもあそこにお住まいなんですか」

「いや、私はああいう今風の住まいはどうも性に会わなくてな。月光館に近い長屋に住んでいるよ」

「長屋ですか」

「うむ、昔ながらの日本風家屋というやつかな。畳の部屋が落ち着くよ」と言って譲之介は横目でちらと志野を見た。

「確かにそうですよね、うちの部屋はフローリングですけど畳に座ったりすると私も落ち着きます」

 答える志野はどう話を続けたものやらと、考えながらなので四苦八苦である。

「そんなに緊張しなくてもいいよ志野殿。まあ、余り素性の知れぬ男の運転する車の助手席では、するなと言うほうが無理なのかもしれないが」

「あ、いえ、その…」

 どうやら志野は傍から見てかなりカチコチに見えているらしい。

「板東江戸いろは組に関わってまだひと月ちょっとであろう。なのに色々と理解できなことも経験して頭が混乱状態のまま、何となく付き合っているというのが、今の状況であると思う。リラックスしてと言われても無理かもしれないが、ゆとりを持てれば心も穏やかになる。力を抜いていればいいと思う」

「は、はい」

 譲之介なりに気遣っての言葉であると志野は思った。

「私が麻里子殿と出会ったのは歴史で言う戦国時代の直中になる。それから五百年近くになるか、まだあの姫御のことをすべて分かったなどとは思えない。それだけ色々と奥深い御仁であるということなのだろうな。なに、時間はたっぷりある。ゆっくりと理解していけばいいと考えた時から、気も楽になったというものだ」

 そういえば木戸譲之介という人は武士なのだと志野は麻里子から聞いていた。ここで当人が言うからには嘘ではないにしても、どこか信じがたい気持ちは拭いきれない。

「私、確かにまだよく分からない事だらけで、麻里子さんや皆さんが本当に何百年も生きてきて、モウリョウと戦ってきたっていうことも、実際に少しだけ目の当たりに見ましたけど、まだ夢じゃないかとか思ってしまうんです」

「であろうな、不思議はないよ。燐殿も言っていたが、最初は誰でも信じられない。だが、聞いたことが事実と分かり自ら経験することとなって、ようやく頭の中と一致するわけだな。それでもこんな話はまだどこか悪い夢の類であると考えてしまう。恐らくはキズキビトとなった者が必ず抱える問題なのであろう。確かにそのようにして今日まで色々とあったわけだし」と言う譲之介の言葉には、節々に思わせぶりな感情が滲んでいなくもない。そこはまだ志野の知らない板東江戸いろは組の話なのだろうと思う。

 志野としては、その色々とあった部分が聞いてみたいが、今はまだそれを尋ねるだけの勇気はなかった。

「志野殿、われらの付き合いは長くなる。追々、皆で理解し合えるようになればそれでいいと思う、いけないかな」

「あ、いえその通りだと思います」

 志野もその考え方が一番楽なのだと思う。そんな譲之介の思いは十分に理解できる。

「あ、でもひとついいですか」

「何かな」

「その、私を殿つきで呼ぶのはちょっと遠慮させて欲しいのですが。私、年下ですし」

 志野は出会ったときから譲之介が名前につける敬語が気になって仕方がなかった。

「そうか、どうもこればっかりは大昔からの名残がなあ。燐殿にも同じようなことを言われてな、以来直すようにしているのだが」

「じゃ、私もお願いします」

「ん、わかった。しかし志野と呼び捨てにするとどうもなあ・・・」

 どこか思わせぶりな口調で譲之介は答えた。

「え、そうなんですか。私は全然構いませんから。それとも他に何かあるんですか」

 少し意地悪かなと思いつつも気になる志野は聞かずにいられない。

「んーいや、死別した妹と同じ名前なんでな。歳も同じなのだ。あやつを思い出す、もう遥か昔の話だというのに」

 本当に恥ずかしそうに譲之介は答えた。

「あ、そうなんですか。よ、余計なこと聞いてすみません」

 まさかそんな事情があるとは知れない志野としては謝るしかない。まったく思いもよらぬ答えだった。

「君が気にすることではないよ、志野。私の単なる思い込みみたいなものであるし」

 微笑む譲之介の横顔は見るからに優しく穏やかなものだった。

「あ、その交差点の辺りでもう大丈夫です」

 歩道橋が見えた先の交差点の手前で、譲之介の運転するSUVは左にウインカー出し、歩道に寄せて停車する。

 志野は後席から荷物を引っ張り出し、SUVを降りてドアを閉める。

「ありがとうございました、譲之介さん」頭をぺこりを下げ、志野は言った。

「うん、また明日」

 笑って答えた譲之介は、SUVを発車させる。志野はその少し先にあるガソリンスタンドが隣接した四つ角を車が右に曲がるまで見送っていた。

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