第11話 我邪

 夕方にようやく解放され、総社の宿泊所に戻った志野は昼間と同じ大広間に倒れこみ叫んだ。積み重なった疲労に筋肉が体の中で悲鳴を上げている。

「確かに初日からハードな内容よねぇ。麻里子さんもきついわね」

 燐は志野を気遣ってそう言うが、あまり志野には慰めにはならない。嫌な予感はしていたが、ここまで想定外と思っていなかったのである。甘いといえばそれまでであるが。

「なわけで、昼間に疲れているのはわかるけど、寝るまで座学ね」

 夕食後に麻里子がさらりといったのは、何気に止めだと志野は思った。

『うー我慢、我慢・・・』自分から望んでいろは組に加わり、麻里子たちと進むと決めた以上は多少の事があろうとぶれてはいけないとわかっているつもりでも、志野としては多少へこむ。いやへこむというよりは、ついていけないと叫びそうになるということなのだがまだ初日である。まあ、喰いしばるしかない。

「ようするに志野がいろいろ疑問に思っているだろう、諸々のことについて私と燐で答えつつ解説しよう、ということよ」

 麻里子は座学と聞いて少々ビビっていた志野を落ち着かせるためにそう言った。

「は、はあ」

「でなきゃ、場所を変えてお茶とおせんべいと芋羊羹そろえてまったり、なんてしないでしょ」と言い、麻里子は塩煎餅を一枚、パリっとかじる。

 麻里子が燐と志野を連れてきたのは、妙義総社の書庫だった。正確には書庫に入る手前の事務部屋というべきであろうか。十畳ほどの室内には昼間ここで畳に座りこみ仕事をするための机などが置かれている。

「何かわからないことは、ここの書庫にある蔵書で調べることもできるしね」

 くつろいで座って、という感じで麻里子は二人を促す。各々麻里子の近くに腰を下ろして向き合った。

「さて、何から話そうか。志野は私が前に渡したノートは読んだのでしょ」

「あれだけでも、随分と色々わかりました」志野は内容を思い出しながら答えた。

「そう、まああれはかなり端を折って綴ったものだけどねぇ。」

「私、見せてもらいましたけど、麻里子さんにしては良い仕事してますね」

 クスと笑い燐は言った。

「ちょ、なーにそれ?燐、見たわけ。まあ、いいわ。で、どうかしら志野?」

 麻里子にそういわれても、どこからどう聞いたものか。何から学べばこの縺れた糸のような謎は理解できるのか。志野には何も想像がつかない。だが、その半面、知りたいこと聞きたいことは山ほどあった。ただ喉の奥から中々出てこないのである。

「では、その我邪って何ですか。どうして蔵前高校はあんな目にあったのですか」

 不意に浮かんだ疑問が志野の口からこぼれた。

「ふむ、我邪ね・・・」

 いきなりそこかと麻里子は思ったが、ざっくばらんに雑談形式でと切り出したのは自分であるし、思いつくところから話していく方が頭に入るかなとも考える。

「我ハ邪ナリ、と書いて我邪(ガジャ)と呼ぶ。簡単に言えば我ら四神瑞獣と相対する存在、四凶死獣と契りを立てた人間が中心になって平安時代末期に作られた組織のことよ。我邪党、なんていう事もあるけどね」

「志野、世界とはおおよそ二つに分けられている、男と女、善と悪、光と影。まだまだ例えはあるだろうけど、そんな中で瑞獣とバランスをとるべき存在として死獣は存在するらしい。だから物凄い覇力を秘めているし、相当強い。」

「麻里子さんが言うほどそんなに強いのですか」と志野。

「蔵前高校で出会ったのがその一人、キュウキと契る二条瞳子。元は落ちぶれた公家の娘だそうよ。他に我邪筆頭である朽木相馬のカオス、今は主がいないトウテツ、トウゴツという死獣がいるわ」と燐が付け加えた。

「いい?モウリョウと契るキズキビトは皆がみな善人ではないし、むしろ己の私利私欲のためにこの力を使おうと考える輩のほうが圧倒的だ。そんな連中が時の権力者とつるんで跳梁跋扈するために徒党を組んで活動するようになった。我邪のそもそもの成り立ちはそんなところかな」

「そんなわけだから、異界から出てくるモウリョウが暴れるのは放置だし、それを止めるべく動く私たちとも対立する。蔵前高校の事件は志野と青龍の覇力を狙って連中が動いた故の悲しい結果になってしまったわけだ」

「そ、そのためだけにあれだけの騒ぎをおこしたのですか」

 答えを聞いた志野はイラっとした。襲うというなら自分だけを襲えばすむのではないかと思う。

「我邪は目的のために手段を選ばないし、犠牲も問わない。それは何時の時代になっても変わってない。だから奴らが動くといつでも被害が絶えない」

「そ、そんな、それ絶対に許せませんよ」と志野は少し声を荒げた。

「そうね志野。私も奴らは絶対に許せない。ただ知っていて欲しいのは、連中も元は現界に住む人間であり、四凶のモウリョウ自体が率先して暗躍しているわけではない、ということ。正に人の持つ邪な心が悲劇を起こしているということもね」

「そ、それって、あの・・・」

 志野は麻里子が言わんとする意味を察した。

「つまりは、人ならば誰でも邪心と呼ばれるように邪な考えをどこかで持っているものでしょ。いつでも我邪になるかもしれない可能性があることは忘れないで欲しいわけ。実例はもう山ほど見てきたけどね」

 最後の件は麻里子の言葉にどこか含みが残っていると感じられた。

「確かにそうかもしれないですよね。私だって自分の欲がないわけじゃないですし。私欲のためにモウリョウを使えば我邪と変わるところなんてないでしょうから」

 燐も麻里子に同意するように答えた。

 麻里子の言うことは人である以上、私欲と縁が切れるわけではない。故に人は皆、いつでも我邪に落ちてもおかしくないと言うことだろうと志野は思う。

「ま、そんな連中ともうざっと九百年くらい馬鹿な争いを続けているんだけど、どうにもこうにも決着がつくなんて状況にはなりそうもないわけ。こっちがその気でも、あっちはこの泥沼状態こそ望むところだからね」

 麻里子はため息をつく。心底、愛想が尽きたという感じであろうか。

「泥沼状態が望むところなんですか」

「うん、膠着状態が続けば続くほど自分たちの存在が際立つでしょ。こちらは常にどこかで関心を持っていないといけなくなる。外国で起きるテロ事件みたいにさ。だから連中はのらりくらりと構えつつも、たまに爆弾突っ込んでくるわけ。被害を受ける方はたまらないわ」

「そうですね。俺たちは何時でもここにいると言われたら、無視なんてできませんし」

「そのほうがいいと思う連中がほかにもいてね。だから話がややこしい」

「えと、上方の歌留多会でした?それ」

「あ、いや歌留多は私らと同じキズキビトの組織で難波を拠点にして、西国のモウリョウ事件を始末する組織ね」

「じゃ、洛中御伽衆という組織のほうですか?」

 志野が言った時、麻里子の細い眉毛がぴくりと動いた。

「んーそこはまた色々とあってね。本来日本の中心は京都だったでしょ。だから平安時代に間抜けな陰陽師が実験で異界と現界をつないでしまってからも私らの活動は京都が中心だった。だけど徳川時代に政治と経済の中枢が江戸に移ってからは、いろは組も拠点を江戸に移したわけ。ところがその間に九尾狐というモウリョウが京都に復活していわば都全体を乗っ取ってしまったのだけど。ただ、このモウリョウの女帝みたいのは必要以上に京都で暴れたりするというわけでなく、ここだけを自分と配下の一族郎党で支配したいというのが目的というか、そんな感じなのよ。そこで、京都から、というかまあ平安京の範囲内ね。ここからは一歩も出ないという条件の下でいろは、歌留多の組織と手打ちをして治外法権を確立させたというところ。洛中御伽衆というのはこのあと連中が勝手になのっているだけなのだけど」

「ええとーつまり京都は江戸時代からずっとモウリョウに占領されているということなんですか」

「超簡単に言えばそうなる。だから未だに摩訶不思議な事件が起きるのはそういうことだし。いくら在京の陰陽師が手を打っても異界と現界をつなぐ亀裂をがっちり御伽衆が抑えている限りあまり効果はない。ま、今の陰陽師は、御伽衆が都から出ないように監視して結界を維持し永続させることが目的みたいなものだから、それ以上のことは望めないんだけどね」

「な、何だかわかりません・・・」

 志野の頭はギブしていた。

「これだけでざっと一千年近い話だしねぇ。すぐに分かれなんていわないわよ」

 麻里子は答え渋茶をすする。

「私だってまだ、よく分かっていないところ山ほどあるわよ志野さん」

 燐がつかさずフォローした。

「ああ、ええとそうですねぇ」

 苦虫を潰した顔で志野は答えるが、理解しているかどうかは相当に怪しい。それより一千年という話が出て志野はひとつ疑問を思い出した

「そうだ、ひとつお聞きしたかったのですが、ええと燐さんが麻里子さんとであったのが一九二三年って聞いたのですけど、それって・・・」

「あ、燐、その話はちゃんとしたの?」

「ええと、いえ何気に話の中でそっちに進んじゃったので、何となくというか・・・」

 答える燐の言葉は歯切れが悪い。

「うーん、そうか、ああ、志野。多分また驚くような話になるのだけど」

 頭をかきながら麻里子は少しバツが悪そうな顔で志野を見た。どう説明したものかと思案する。

「もう、これ以上何を聞いても驚かないんじゃないかなと思えますけど、麻里子さん」

 それだけは志野も自信を持って言えた。

「あーつまり年齢の話ね、うん。ええとー燐が言っていた通り一九二三年の九月に私たちと燐は出会った。その時の彼女は確かに十六歳よ」

「でも九十年前の話ですよね、それ」

「そうだね。志野が言いたいのは九十年前に出会った十六歳の燐が、何でそんなことを言うか、でしょ」

「はい」

「俄かには信じれないだろうけど、燐は今年十七歳、君と一緒。でも出会ったのは九十年前、これも間違っていないよ。因みにええと、志野には私が何歳くらいに見える」

「えーそうですね、二十四、五歳くらいですか」

 年齢不肖なところがあるにせよ、そのくらいではと見当をつける。麻里子は何を言いたいのだ、と志野は思う。

「ま、そうだね、それで大体間違ってないよ。で、えーとモウリョウと契った人間、キズキビトはその瞬間から人としての時間軸から抜け出して、異界の時間。つまりはモウリョウの時間の支配を受けることになる。これはモウリョウに対して主となった人間が受ける代償みたいなものだけど」

「え、?」志野は思わず聞き返す。

「つまり人の感覚でいう一年三百六十五日で一日二十四時間に一時間が六十分という時間の感覚がなくなるわけね」

 燐が補足する。

「ということは、つまりどういうことなのですか。モウリョウの時間って」

 志野の頭の中がぐるりと動く。

「大体だけど、モウリョウの一年は人の時間軸でおよそ百年に相当するわ。つまりモウリョウの時間軸に移った私たちは人の時間で百年ほど経過しないと一つ年をとらない計算になる。つまり私たちと出合って九十年しか立ってない燐は、ようやく人の時間で一つ年を取ったことになるというわけ」

「ひゃ、百年で一歳ですか・・・」

 志野は絶句した。この件は麻里子のノートにあっただろうかと思いなおしてみる。  

 これ以上驚かないとさっき言ったことはもう忘れていた。

「大まかに言うとそんな感じかな。多少の誤差はあると思うけどね」

 さらりと言ってのける麻里子に志野は本当に本当に、驚きを隠せない。

「じゃ、麻里子さんて、何時の時代の人なんですか」

 もはや好奇心の方が先走ってしまった志野は、遠慮も忘れて尋ねた。

「うーん、君らが学んだ歴史的な言い方をすれば平安時代かな。生まれたのは九百六十三年九月八日だけど、私が朱雀と契ったのは十三歳のころだよ」

 苦笑しながら、いやどこか自虐気味に麻里子は言う。

「へ、平安時代って・・・何時でしたっけ」

 志野は自分が何を話しているのか、もはや分からなくなってきた。

「やっぱり驚くよねぇ、こんな話聞けば」

 深いため息をついて麻里子は言った。

「全然、信じられません」

「初めて聞いた時は、私も志野さんと同じくらい驚いたわよ」

 燐が付け加えるが、あまり効果はない。

「今はいいわ、いずれ志野にも身を持って分かる日が来るし、その時に理解できると思う。ただこの問題は人として生きる上で非常に重要なことを意味するから、そこは良く考えて覚悟していてもらいたいのよ」と一転して真面目な口調で麻里子は話す。

「自分は百年で一歳しか歳をとらなくなってしまったけど、周囲は普通に歳を取りやがて死ぬ。でも当人はそのままで何も変わってないと気がついたら回りはどう思う。何かおかしい、あの子は変だという話になるでしょ」

「あ、親兄弟に周りの知り合い、友人はみんな年老いていくのに、私だけ少なくともあと百年このままだという」

「そうよ、ほぼ不老不死みたいな感じに近いからね。だから志野もいずれ志野を知る全ての人とかなり悲しい別れ方をしなければならない時が来る。そしてあなたを知る人が誰もいなくなっても、自分は歳を取ったなんて自覚はできないまま生きていかなきゃいけないことを悟らなくてはならないと思うようになる・・・」

 麻里子は真正面から志野の目を見据えて言い切った。残酷なことは分かっているし、それに伴う諸々のことを体験してきた身としては、その時が来るまでは話さずにとも思うが隠して済む問題ではない。後は聞いた志野自身がどう受け止めていくかにかかっている。

「志野さん、大丈夫。私だってこの話を聞いたときはとても信じられなかったわ」

 燐はフリーズ状態の志野を何とかしようと思うが、この程度の言葉くらいで落ち着けるほど簡単なことでないのは自身も良く理解していた。

「そ、そうですね、百年に一歳じゃそうなっちゃいますよね。で、でもある意味すごいなあ、人間の時間で百年後もまだこの年恰好でいられるなんて、ちょ、ちょっと女の子としてはお得な気分もあるかも」

 志野はなんとかそんな言葉をひねり出すが、麻里子が言ったことを果たして十分理解しているかどうかは分からなかった。そうなった時のことなど、想像しても思いつかないしまるで現実味がない。だが目の前にいる二人がそうだという前例ならば、志野とて信じるしかない。

「そう、まあ今時女子なんて感じでいえばかなりお徳かも知れないわねぇ。ずっと女子高生みたいな」と麻里子は苦笑する。

 麻里子は笑ってそう言うが、それを聞いた志野は少し複雑な気分になる。麻里子自身がそう話す通りならば、彼女はもうかれこれ一千二百年近く生きてきたことになる。一千二百年がどのくらいの時間的感覚なのか志野には想像もつかないが、歴史で勉強した諸々の出来事をその身で体験してきたというのは、どういう気持ちなのだろう。どのくらいの時の坩堝に身を焦がしてきたのだろう。

「志野、本当に大丈夫?。いつかは話さないといけないことだけど、まだ今のあなたには重かったようね、悪かったわ」

 その麻里子の言葉が志野を気遣ってのものであることは十分に理解していた。

「でもね志野さん、私たちが一緒に考えてあげられると思うし、それこそ何も遠慮なく気になることがあれば相談して欲しいと思うわ。私程度の経験では役に立つかどうか分からないけど」

 燐も優しいと志野は思う。そうやって言葉を口にしてくれるだけで全然違う気持ちになる。それは嬉しいことだ。

「た、多分、大丈夫だと思います私。でもまだ本当に色々わからないことだらけで、すみません」

 志野としてはそれくらいしか言うことがない。この先いつか麻里子の話が身を持って分かる日が来ても、それはその時になってみなければ実感などできるはずもない。だからそれまでは頭の隅にしまっておけばよいのだろう。

「志野・・・」と麻里子は神妙に名前を呼ぶ。

「は、はい」つかさず畳を四つんばいで近づいてきた麻里子に志野は警戒する。

「あんた、本当に良い子だわー」

 と言うなり麻里子は志野をがっちり抱きしめて髪の毛をぐりぐりとかき回した。

「な、何するんですかー麻里子さん、や、止めてくださいよー」

 唐突に狂乱したかのように思える麻里子の行動に志野は焦った。これでこの人が本当に平安時代生まれの人なのだろうかと思うが、まあそれもこれも全部含めて佐伯麻里子という人なのだと納得することにした。

「ん、もう可愛い可愛い」

 叫んで志野の頭をかき回す麻里子は嬉しそうだった。

 この先も色々あるんだろうなと志野は思うが、麻里子に羽交い絞めにされながらも、横にいる燐の本当に可愛らしい微笑を見るだけで何だか自分まで何とかなると思えてしまうのは、間違いなく麻里子に感化されたからに違いないと心の中で頷いていた。

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