第25話

 場の空気が一気に凍り始める中、レイラ様は微笑んだまま話を続けた。


「あら、知りませんの? 痛い男というのは周りの空気を読めなかったり、女性にドン引かれるような行動ばかりしたりするのにも関わらず、自分のことがカッコいいだなんてしている殿方の事ですわ」


「なっ」


「愛妾くらいにはしてやってもいいだなんて、笑ってしまいますわ。そんなふざけた言葉を囁かれても、世の淑女の皆様はトキメキませんの。ま、一部の稀な性癖をお持ちの方には需要があるかもしれませんが。事実、この場にも居られるようですし」


 レイラ様はそう言うと、先程までフローレス嬢の陰口をヒソヒソと囁いていた御令嬢方の方へ、チラリと視線を向けた。すると、御令嬢方はレイラ様からの視線にすぐに気が付き、慌てて目線を反らして気まずそうな表情を浮かべている。

 なるほど。恐らく、レイラ様の言葉には『貴族の淑女として相応しくない行動は慎みなさい』という警告の意味が込められているのだろう。このレイラ様の言葉によって、フローレス嬢に向けられた悪意ある言葉が少しはマシになるといいが……


「……まぁ……」


 レイラ様はそう呟きながら、今度は殿下の方へ冷ややかな視線を向けた。


「でも……もう少し、そうね。女心というものを学んでみては如何です?」


 レイラ様は冷ややかな視線を向けたまま、嘲笑うかのようにそう言い放った。

 なんかちょっとレイラ様、楽しんでいやしないか? 心なしか生き生きとしている気がする。心の中で「なんか今の私、悪役令嬢っぽくないかしら?」なんて思っているんじゃないだろうか。


 俺が呑気にそんな事を考えていると、先程からワナワナと肩を震わせていた殿下が口を開いた。


「〜〜ほんと~に……お前は昔から不敬にも程があるぞ! 皇太子である俺に向かっていつもいつも!」


「あら、今更ですわね。わたくしは陛下とのお約束を守って、殿下のとして行動しているだけですわ。として殿下の行動を諌めよ、と」


 レイラ様がそう言うと、突然殿下はハッと何かに気が付いたような表情を浮かべて「そういうことか」と呟いた。そして何故かニヤつきながら、少しずつレイラ様に近寄り始めた。


「な、なに」


 殿下の行動に対して、思わずレイラ様は一歩後ろへと下がった。が、殿下はそんなレイラ様を逃さないよう、腰に手を回して、自分の体をグッとレイラ様の体に密着させた。


「なっ!」


 驚くレイラ様をよそに、殿下はレイラ様の顎をクイッと持ち上げ顔を近づけた。先ほどのフローレス嬢のときよりも体が密着してる分、今にも口付けをしてしまいそうなくらい距離が近い。


 ……糞、このクズ野郎が。今にも殴り掛かりそうだ。しかし、俺は拳をグッと握り締めながら、必死に堪えた。何故なら、平民の従者が皇太子殿下に向かってそんな真似できる筈もないからだ。


「ハッとしてねぇ。お前も可愛い所があるじゃないか。嫉妬心を抱くだなんて」


「……は? 何、言って……」


「フッ、誤魔化さなくてもいい。仕方ない奴だな」


 殿下はそう言うと、瞼を閉じながら自分の唇をレイラ様の唇に少しずつ近づけていった。慌てて必死に逃れようとするレイラ様だが、がっちりとレイラ様を抱き締めている殿下の腕はびくともしない。


「……ぃや」


 レイラ様はそう小さく呟きながら、ぎゅっと瞼を閉じた。


 ……あぁ、もう我慢の限界だ。


「……tonnerreトネール


 俺はそう小さく呟きながら、背中の後ろで右手の親指と人差し指をパチンッと弾いた。すると、殿下の顔面でバチィッと音を立てながら電気が走った。


「……ぃ!? いてぇ!!」


 殿下は悲痛な叫び声を上げながら、レイラ様の身体からパッと離れた。俺はそんなレイラ様をすかさず、自分の体の方へと引き寄せた。体を引き寄せたときに勢いがついたのか、バランスを崩してしまったレイラ様を、俺は咄嗟に後ろから抱き寄せた。


「ノア……」


 レイラ様は咄嗟に抱き寄せた俺の顔を見上げながら、俺の名前を口にした。


「大丈夫ですか、お嬢様。静電気でしょうか。春先は乾燥していますから」


 俺はレイラ様の体を抱き寄せたまま、何食わぬ顔でそう告げた。


「くそ、お前……魔法を使いやがったのか」


「いいえ。恐らく静電気かと」


「こんの、よくもぬけぬけと……」


「おっと、いけない。もう始業の時刻ですね。お嬢様、参りましょう。皆様、それでは失礼致します」


 俺はレイラ様から自分の体を離し、そう言いながら深く頭を下げた。そして、そのままレイラ様の右手をぎゅっと握り締めた。


「ちょ、ノア……っ」


 俺は呼び止めるレイラ様の声をよそに、そのままフローレス嬢に「行きますよ」と口パクをしながら、レイラ様の手を引いて歩き出した。そんな様子の俺に、フローレス嬢も慌てて頭を下げ、その場を後にした。


「糞っ……どいつもこいつも!」


「……殿下、我々も教室へ参りましょう。このままでは遅刻になってしまいます」


「うるせぇ!! 俺はこのままサボる!」


 殿下はそう言い放つと、何処かへと消えてしまった。そんな殿下に対し、シュバリィー様はやれやれとため息を漏らした。


「ハァ……仕方ない。行こう、ジャック」


「あぁ」


 御二人はそのまま教室へと向かい始めた。シュバリィー様は歩きながら、俺の後ろ姿をじっと凝視した。


(……あれが噂の高位魔道師『ノア・マーカス』か。なかなかの魔力コントロールだな。彼もいささか興味深い)


 シュバリィー様はフムと右手を口元に当てながら、面白そうに笑みを浮かべた。



 ******



「まったく……とんでもない目に合いましたね」


 俺はそう言いながら、安堵のため息を漏らした。


「本当ですね。まさか、朝から3人も攻略対象に会うだなんて……やっぱりヒロインの影響でしょうか」


「まぁ、そうかもしれませんね。ところで、攻略対象は私も含め、これで全員揃ったのでしょうか」


「いえ、もう1人います。でも、もう今日は攻略対象に会いたくないですね」


 フローレス嬢はそう言いながら、苦笑いを浮かべた。


「まぁ、気持ちは分かります」


「はは、ですよね。それにしても、先程のあの余裕っぷり流石です! 私、とってもスカッとしました!」


「いや、別に余裕じゃなかったですよ」


 それはまあ、本音だ。昔から殿下に対して敵対心を抱いていても、平民の従者である俺が皇太子殿下に向かって喧嘩を売るのはかなりの勇気がいるものだ。まあ、ただ黙って見ているだけなわけないけど。


「そうだったんですか? レイラを連れ去るときとか、ちょっと少女漫画の王子様キャラっぽくて、かっこよかったですよ」


「少女、まんが……? いや大袈裟ですよ。俺はただの従者ですし」


「……って、マーカス様は言ってますけど、実際はどうだったの、レイラ」


「えっ……そ、そうね。うん」


 レイラ様は何故か動揺しながらそう答えた。どことなくお顔も赤いようだ。俺は一度立ち止まり、レイラ様のお顔を覗いた。


「お嬢様、どうかされましたか?」


「っ!」


 俺が顔を近づけると、レイラ様は上体を少しだけ後ろへ下げた。そんなあからさまに離れなくても……まあ、ガッチリ手を繋いでおりますので、これ以上は離れられませんけどね?


「ははーん、さてはレイラちゃん……」


 フローレス嬢はそう言いながら、口元をニヤニヤとさせた。そして、レイラ様に何やらゴニョゴニョと耳打ちをし始めた。


「もしかして……マーカス様に惚れちゃいましたか?」


「……っ! いや、それはずっと前からで! ……って、そうじゃなくて、その……」


(さっきノアに引き寄せられたとき、後ろから抱き締められたみたいに感じてドキドキしてるだなんて……言えないわよ! それに……)


「手を繋ぐの、久しぶりで、嬉しくて……」


「え?」


 思わず俺は聞き返した。


 すると、レイラ様は「しまった!」という表情を浮かべながら左手で自分の口を覆った。そして、頬を紅く染めながら、ブンッと勢い良く俺の手を振り払った。


「も、もう! 先に教室行ってるから!!」


 レイラ様はそう言うと顔を紅く染めたまま、パタパタと走りながらその場から離れていった。


「あ、走ったら怒られるちゃうよー!」


 フローレス嬢はそう言いながら、レイラ様の後を追って走っていった。


 いや、レイラ様……


「……可愛いすぎないか」


 俺は振り払われた右手で、自分の口元を覆いながらそう呟いた。すると、後ろからクスリと誰かの笑い声が聞こえた。振り返ると、そこには金髪の可愛らしい顔立ちをした美少年が立っていた。


「あ、ごめんね。なんだか楽しそうだったから」


「いえ。騒がしくしてしまって申し訳ありません」


「ううん! そんな、大丈夫大丈夫!」


 美少年はそう言うと、にっこりと微笑んだ。なんだが雰囲気のある美少年だ。俺がそんな事を思っていると、彼の後ろで女子生徒がこちらに向かって声を掛けてきた。


「……リオくーん、何してるの? 早く行こー」


「あ、ごめん。今行くよ! それじゃあ、僕はこれで。引き留めてごめんね」


 彼はそう言いながら、その場から離れていった。確かあの御方はマードゥン子爵家の……まさか彼も攻略対象、なのか?


「……また、今度お嬢様に聞いてみるか」


 俺はそう呟くと、そのまま自分の教室へ足を進めた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る