4.双頭のライダー

VRレーシング

 ―――聖歴2016年6月。


 部活動見学会が終わり、既に2週間が経っていた。

 季節も春を終え、気温と湿度の高さが過ごしやすかった昔日の日々を思い起こさせていた。……と言っても、僅かに数週間前の事ではあるのだが。


「はぁはぁはぁ……。あっつ―――いっ!」


 しかし運動系クラブに所属している者にしてみれば、動いても走っても清々しかったその数週間前が懐かしいと感じるものである。


「はぁはぁはぁ……。あなた……はぁはぁ……。本当に暑いってはぁはぁ……。感じているの!?」


 もっとも、そんな暑さや汗を流す事を気持ち良さそうにしている千迅などは、傍から見れば喜んでいる風にしか見えないのだが。


「え―――!? 暑いよ! メッチャ暑いよ! でも、それが気持ち良いんじゃないっ!」


 そして周囲の者がそう感じていた様に、やはり千迅はそんな季節を楽しんでいたのだった。




 翔紅学園の一大イベントでもあった部活動見学会が終わり、千迅達の周囲にも少なくない変化が起こっていた。


「はぁ……はぁ……。あの2人はいつも……あんな感じなのぉ!?」


「ふぅふぅ……。まぁ……大体あんな感じかなぁ……」


 まずは何と言っても、第一自動二輪倶楽部より数人の新入部員が他の部へと移籍し、逆に他の部からこちらへ編入して来た者がいたと言う事だろうか。

 何だかんだと言いながらも、元気いっぱいの千迅に紅音が負けん気を発揮して追走する。

 そしてそのはるか後方で、この2人の掛け合いを見ると言うのが同級生たちの定番になりつつあり、当然それはつい先日入部した者達も同様であった。

 千迅の元気過ぎる姿に毒づく紅音だが、他の部員たちからすれば彼女も大概体力があるのだ。


「はぁはぁ……。もっと……楽な部かと思ってたよ……」


 予想以上に厳しい体力トレーニングなのだろう、千迅達よりも更に新しい部員たちは、日に日に高くなる気温に辟易しながらもクラブ活動に専念していたのだった。


 この翔紅学園は、非常にユニークなシステムを採用している。

 一般の生徒は勿論の事、特待生で招き入れられた生徒であっても、途中で自分の所属するクラブを変更する事が出来るのだ。

 学生……と言うポジションは、実に多様性を内包している。

 幼少時に得意であったものが中等部でもそうであるとは限らず、中等部で突出した成績を残した競技であっても、高等部になれば伸び悩むケースも稀ではない。

 単純に移り気であるだけならばどうしようもないのだが、物事の基本はやはり本人のやる気や興味に依る処が大きい。

「好きこそものの上手なれ」とは様々な意味を含んでいるが、やはりその字面の通り本人が好きなものに取り組む方がその伸びは大きいと言える。

 そう言った事を鑑み、この学園では移籍制度を容認しているのだ。

 実際にその結果として、コンバートした先で輝かしい成績を残した者は少なくなかった。

 もっとも特待生制度を利用し学校側に援助してもらっている生徒は、その移籍先にて一定の成績を残さねばならず、決して軽い気持ちで移って来た訳ではないのだが。




「それじゃあ、1年はいつも通りシミュレーションをっ!」


 基礎体力トレーニングを終えた千迅達に、1年部員のお目付け役でもある菊池美里が指示を飛ばす。


「は……はいっ!」


 その言葉に、息を荒くした最下級生たちが声を揃えて応えた。

 入部したばかりの1年生部員が主に行う練習は、体力と筋力を上げるものが主だと言える。

 しかし流石に筋トレばかりを部活動時間中ずっと行っていては、当然の事ながらモチベーションが落ちて来るだろう。

 狂暴な馬力で路上を疾駆するレースマシンを御するには必須とは言え、やはりコースを走らない練習はレーサーにとってストレスを抱える事でもあるのだ。

 そこで近年は、発達した映像技術を駆使したシミュレーション・トレーニングが併用されているケースが多い。


「それじゃあ最初は、一ノ瀬! そして速水!」


「はいっ!」


 美里の指示を受け、2人は気合の入った声でそう応えると、目の前に据え置かれたバイクへ近付きそのまま跨ったのだった。


 バイク……と言っても、先日彼女達が乗った「NFR250Ⅱ」の形をしただけのハリボテである。

 勿論、形だけが似通った粗悪模造品と言う訳では無い。

 特殊樹脂で本物から模られたボディは、稼働させる事が出来る部分は本物と違わぬ動きを再現する。

 ただし当然の事ながら、エンジンは積んでいない上に路上も疾駆出来ない。

 また、残念ながらタイヤも付いていなかった。

 コースを実際に走る訳ではないので必要なく、タイヤの代わりとなるフレームがガッチリと下部の機材に固定されている。

 これがVRコース上で現実と違わぬタイヤの感触……路面から伝わる振動やタイヤの摩耗具合をリアルに再現し、ライダーに伝えるのだ。


 巨大なスクリーン型ディスプレイの正面に置かれたそのレプリカバイクに跨った千迅達は、特殊VRゴーグルを装着する。

 その途端に彼女達の表情は引き締まり、まるでレース前の緊迫感を漂わせ出したのだった。

 と言っても、その服装は先程までのトレーニングで身に付けていた体操着であり、一般的なレーサースーツではない。

 それにも拘らず紅音は、そしてあの千迅でさえその雰囲気は真剣そのものだった。


「もうすぐレースが始まるわ。2人共、準備は良い?」


 美里の声に、2人は真剣な面持ちで頷いて応えていた。

 それと同時に、正面巨大スクリーンに映し出されたサーキットのスターティンググリッド……その上方に表示されているシグナルがレッドからグリーンに切り替わる。


「「……っ!」」


 スタートシグナルが緑へと変色した瞬間、全く同時に千迅と紅音はスロットルを解放した。スピーカーからは、2人のマシンが咆哮を発した音が響き渡る。

 千迅と紅音の被っているゴーグル内では、まるでその場にいる様な大音量の排気音エグゾースト・ノートが響き渡っているだろうが、今彼女たちがいるのは第一自動二輪倶楽部の練習ルームである。

 ましてや2人が操作しているのは、本物のレーサーマシンでもない。

 周囲にいる者達の耳には、随分と音量が絞られたエンジン音が聞こえていた。


「こらっ! スロットルは、もう少し優しく開けるんだっ! そんな急激な操作をすると、一気にマシンに!」


 画像を確認しながら、美里がヘッドセットのマイクで適宜注意を与えてゆく。


「「ハイッ!」」


 その指示に、千迅と紅音が気合の籠った大声で返事した。

 例えバーチャルシミュレーションを使ったライドだとは言え、彼女達にとっては実際の走行と然して違いが無いのだ。気合が入っていても仕方がないというものであった。

 因みに「持っていかれる」とは、マシンに振り回されて振り落とされる……と言った意味だろうか。

 強力なパワーを制御しきれずにマシンは暴走し、ライダーを振り落として駆動する事を「持っていかれる」というのだ。

 勿論、疑似体験VRであり跨るマシンも張りぼてとなれば、実際に振り落とされるという事は無い。

 だがスロットルワークは、常に注意し無意識レベルで身に付けなければならない技術でもある。

 ましてや、2人が中等部まで扱っていたマシンとは排気量から大きさ、パワーに至るまで全くの別物なのだ。

 1からやり直すつもりで取り組まなければ、普通に乗り回すだけならまだしも、レースに通用する技術など到底手に入らないだろう。


「そうだっ! スローイン・ファーストアウトを心掛けてっ! 丁寧なコーナーワークを意識するんだっ!」


 千迅と紅音が1つコーナーを抜ける度に、傍で見ている美里から指示が飛ぶ。


「「はいっ!」」


 美里の付けるヘッドセットからは、2人の気合が籠った声がその都度返って来ていた。

 彼女が、殊更に基本的な事を強い口調で言うのには訳がある。

 それは単純に、千迅や紅音たちがそれまで乗ってきたマシンとこれから乗る「NFR250Ⅱ」とでは、操作がまるで違うのだと体の芯に刻み込む為でもあった。

 ほんの僅かなスロットルを絞る動きだけで、回転数が数千rpm違ってくる。

 コンマ01秒ブレーキングタイミングが変わるだけで、数メートルから十数メートルの制動距離に影響するのだ。

 そしてそれは、すぐにライダーのコントロールを奪ってしまう。

 だからこそ美里は、口煩く基本を言い聞かせるし、その事が分かる千迅たち1年生だからこそ、真剣に基本的な〝微調整〟に取り組んでいたのだった。


 

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