第54話 【番外】新婚旅行

「みーちゃん、まだ?」

「あれ雫、もう支度したの? まだ早くない?」

 珍しい事もあるものだ、雫が時間よりも早く準備するなんて。

「だって楽しみなんだもん、昨夜は寝れなかったんだよ」

 遠足前の子供か。




 雫がここへ来て一年と数ヶ月。

 環境が一変したにも関わらず、すぐに馴染んでまるで昔からいるみたいに過ごす雫は、仕事を一通り覚えると色々と新しいことを提案していった。

 まずは知ってもらうためにと、SNSを活用し旅館の宣伝と集客を狙うんだと張り切ってパソコンに向かっていた。

「みーちゃんの人脈も生かしてよ」と言われ海外向けのサイトも作った。

 私も、会社勤めの時の出張で割とあちこちに知り合いが出来ていたので、あの社畜だった時代も役に立っているのかと感慨深い。

 

 母の介護も交代で行っていたが、雫との相性は良いようで特にこれといったトラブルもなく、それどころか体調の良い時には一緒に料理をしたり、旅館の方にも顔を出したりもして。

 お客さんをお迎えしたり話をしたり、元々機嫌の良い時はニコニコしているし、ちょっと抜けた受け答えが可愛いと評判にもなっているらしい。

 それがまた、母の刺激にもなって、ここのところ病状も落ち着いているのだ。


 もちろん、雫が新しい提案をしたり、母と一緒に何かをする時は前もって話し合っている。恵さんも嫌な顔もせず意見を出してくれる。それぞれがこの旅館を良くしたい、お客さんに喜んでもらいたいという思いが伝わってくる。

 当初は多少の混乱もあったが、徐々にSNSの効果も出始めていた。海外からのお客も増え、私か雫が対応した。今は翻訳アプリもあるけれど、やはり言葉が通じるということは強みになる。

 例年よりも忙しくはなったが、概ね好評のなか観光シーズンを終えることが出来た。


 そしてシーズンオフ、恵さんからの提案があったのだ「改装したらどうかしら」と。


「改装ですか?」

「だいぶ建物も古くなってきたし、耐震や消防の観点からも改修して、安全をアピールするのも良いんじゃないかな」

「いいですね、だったら貸切浴室を増やすのはどうですか? 最近は少人数のお客さんが多いから」

「一人旅でも安心して気楽に過ごして欲しいですよね」


 そんな話し合いの結果、一部改修工事のため旅館を一週間休業することになり、思いがけず長期のお休みとなった。

「せっかくだから、新婚旅行に行ってきたら?」

 という恵さんの言葉に甘え、今日から雫と旅行へ行く。


 母はショートステイを利用する。

 恵さんは道内の温泉を巡ると言う。

「一人で?」

「みーちゃん、そんな野暮な質問しないで」

「え、そうなの?」

 恵さんは、ふふっと笑っただけで誤魔化された。




「だから、みーちゃん早くっ」

「そんなに焦らなくても、飛行機の時間に間に合うでしょ」

 言葉ではそう言ったが、私だってワクワクしているのは間違いない。

 雫と二人だけの旅行なのだから。





 行き先は、雫の希望で屋久島だ。

「生きているうちに一度でいいから行きたかった」らしい。

 北の離島から南の離島なので、距離があり時間もかかる。札幌で一泊し飛行機で乗り継ぎ、到着するまでに二日かかる。

「海外の方が近いね」と笑う。

 余程行きたい理由があるのだろう、その証拠に雫は始終ニコニコで「みーちゃん、楽しいね」と笑いかけてくる。

 可愛い……つられて私も笑顔になるが、私の場合はデレデレで可愛くはないだろうな。


「はぁ〜着いた」

 プロペラ機を降りて、到着ロビーまで歩く。夕方だがまだ明るい。

 晴れてはいるが、高くそびえる山の上の方には黒い雲がかかっていた。

 狭い到着ロビーを抜けると、レンタカー会社の人が待っていてくれた。すぐ近くだが車で送ってくれるという。

「屋久島は初めてですか?」

「はい、ずっと来たかったんです、世界遺産の島に」

「ありがとうございます、どちらに行かれる予定なんですか?」

「苔が好きなので、苔むす森には行きたいなって」

「もののけ姫のモデルになったと言われてますね、是非楽しんで来てください」

 短い送迎の時間でそんな会話をして、レンタカーを借りる。

「基本的にこの道がずっと続いて島一周してますから」

 という簡単な説明をされて送り出された。カーナビも付いているから問題はないが、離島はやはりのんびりしている。


「みーちゃん、運転お願いしていい?」

「いいよ」

「やった」

 もちろんそのつもりだったから、そんなに喜ぶなんて思ってなくて雫の顔を見たら、はにかんでいた。

「運転する横顔を見ていたいから」

 と小声で言う。

「なっ、そんなに好きなの、私のこと」

 照れ隠しで言ってしまって、逆に恥ずかしくなり、窓を少し開けてアクセルを踏んだ。

「好きだよ」

 風の音のせいで、微かに聞こえた声は愛しい人のもので。

 そうだ、これからしばらくは二人きり、照れる必要なんてないんだもの。

「私もだよ」

 風に負けないくらいの大きさで伝えてみる。

 少し走ると海が見えてきた、もうすぐ陽が沈む南の島の風景を、心に刻んだ。





  今回は民宿で三泊する。

 こじんまりした宿で、家族で経営しているらしい。到着時に対応してくれたのは娘さんだった。簡単な説明をされ、お風呂と食事の時間を確認して鍵をいただく。

 お部屋に入って、まずはお茶で一服。

 浴衣とバスタオルが備え付けてありお部屋も清潔感がある。そんなところを見てしまうのは職業柄か。

 テーブルの上には一冊のノートがあった。泊まったお客さんが自由に書くためのものだ。

『食事が美味しかった』

『お風呂が気持ち良かった』

『明日のメモ、お湯を用意する』

 など、感想やメモ書き、イラストまであった。


「こういうのはいいね」

「お客さんの直の声だね」

「うちも作ろうか」

「いいね」


 食事をしてお風呂に入ってお布団を敷く。

「明日の天気はどう?」

 雨が多い島だから、天気は一番気になるところ。

「曇りかな、雨は降らなさそうだよ」

 明日は雫がさっき話していた苔むす森へのトレッキングを予定している。

「行けそうだね」

「うん、楽しみ」


 他のお客さんもトレッキングをするらしく、朝早くから生活音がしていた。

 私たちは4〜5時間のコースなので、ゆっくりと準備をして出発をした。宿の人が手配してくれたお弁当を持って。

 こういう気配りも嬉しいと思う。


 レンタカーで山道を登っていく。

「雫、大丈夫? 車酔いしない?」

「大丈夫だよ、みーちゃん、みかけによらず運転上手だよね」

「どんなみかけよ?」

「運転荒そうにみえる」

「イケイケ?」

「うん、まぁ。でも案外小心者だよね」

「めちゃくちゃ小心者だよ、対向車来ないかビクビクしてる」

「大丈夫だよ、何があっても私がついてるから」

 あぁ、これだ。一緒に暮らし始めて気付いた事、雫のこういう男前なところ。


 無事に何事もなく駐車場に到着した。

「さぁ、行くよ」

 元気よく歩き出す雫。

「え、待って」

 慌ててついていく私。


 振り向いて手を差し出してくれる。

 最高の笑顔とともに。




 入口で協力金を支払って、地図を貰って入った。いろいろなトレッキングコースがあって体力や時間によって調整出来る。

 普段から仕事で体力は使っている方だけど、年齢的に雫よりは劣るだろう。キツかったら、私はどこかで待ってる方がいいかな、雫が楽しみにしている苔むす森に行けるように。

 そう提案したら、ムッとされた。

「なんでそういうこと言うかなぁ」

「だって、雫の足手まとい--」

「みーちゃんのペースに合わせるから、頑張ってよ」

「あ、うん」

「二人で見なきゃ意味がないでしょ」

 ほら、と再び手を繋いで歩き出す。

 辛い時こそ二人で手を取り合って乗り切るんだと、そしてその先の絶景は二人で分かち合うんだと言わんばかりに。


「そういえば、雫が苔を好きだなんて知らなかったなぁ、なんで好きなの?」

「うーん、これといったキッカケはないけど、なんだか癒されるんだよね、初めて見たのは子供の頃の遠足かなぁ、田舎だったから」

「確かにね、昔は手付かずの自然があちこちにあったよね」

 長い年月を生きている木々や森の中に入ると癒されるのは、何か大きな力によるものかもしれないな。

 昔話をしてそんな事を考えながら歩く。ゆっくりと一歩一歩踏みしめながら登っていく。雨は降っていなくても森の中は湿っていて、滑らないように時々、雫の手を借りる。

 歩く道中も、とても綺麗だった、水も緑も土の色さえも。


「はぁぁ」

「圧巻だね」

 目的地の苔むす森を、二人ともしばらく無言で見つめる。ただただ圧倒されていた。


「みーちゃん」

「うん」

「ありがとね」

「ん?」

「いつも感謝してる」

「私もだよ」

 雫といられて幸せだ。

「ありがとう」




「ねぇ、運転大丈夫?」

「平気だよ、筋肉痛は明日でしょ」

「明後日かもよ」

「あ、そうか」

 笑い合いながら、のんびりと宿へ戻る。

 食事の前に熱めのお風呂で汗を流した。

「今日のメニューは何かな?」

「昨日の飛び魚の唐揚げも絶品だったよね」

 普段は提供する側だけど、やはり上げ膳据え膳は嬉しい。その土地の名物ならば尚更だ。

 料理の質も上げていこうと誓ったのだった。



 夕食後あたりからパラパラと雨の音がしていたのだが、夜中には土砂降りとなっていた。何度か目は覚めたが、トレッキングの疲労もあってまたすぐに眠りに落ちた。


「凄い雨だったね」

「え、そう?」

 なのに、雫は気付いていなかった。

 明け方には小雨となっていたし、予報ではこれから晴れるらしい。

 今日は滝を巡りながらお土産を買う予定だ。


「凄っ」

「水の量」

 昨夜の大雨のおかげで、滝の水量が多くて迫力がある。

 思いきりマイナスイオンを浴びたり、写真を撮ったり、併設されたお土産屋さんを覗いたりして楽しんだ。


「二つ目の滝はね、直接海に落ちてるんだって」

「へぇ、珍しいね」

 ここでも、迫力のある滝と山の緑に魅了される。

 その後もドライブしながら観光地を巡りランチを楽しみお土産も買い込んだ。


 車で走っていても、綺麗な山と海が見える、素敵な島。どこか懐かしい。

「ずっとここにいられそう」

 雫の言葉に私も頷いたが、同時にウチの旅館もそう思って貰えるようにしたいなと思う。


 次の日の朝には帰路につく。

 また二日間かけて戻るのだ。

「あっという間だったねぇ」

「楽しかったね」

「うん」


「ねぇ、みーちゃん」

「なに?」

「筋肉痛どう?」

「それが、少しあるのよ、ふくらはぎが」

「ふふ、嬉しそうに言うんだ。後でマッサージしてあげるね」

「やった、雫のマッサージ効くもんね」



「ほんとだ、固くなってるね」

 足裏から始まったマッサージが、ふくらはぎに差し掛かると雫が驚いていた。

 雫の手で触れられるだけでジワジワと温かくなってくるから効果はてきめんなんだと思う。


「ありがとう」

「ん、お返し期待してもいい?」

「あ、いいよ。どこが筋肉痛?」

 ここ、と指さしたのは唇で。

 一瞬フリーズしたけれど、雫の気持ちに応えて口付けをする。

 そういえば新婚旅行なのに、イチャイチャ出来ていなかったなと、今更ながらも反省した。浴衣の雫と畳に敷かれた布団、押し倒したい気持ちもあるが、いかんせん壁が薄い。隣の部屋の声も丸聞こえだから躊躇する。

 キスだけで我慢……出来るかな、するしかないか。

 その夜は抱き合ったまま眠りについた。




「うわぁぁ、疲れた」

 スーツケースはそのままに、ベッドへダイブし寝転んだ。

 今日は移動しただけなのに、やっぱり歳かなぁ。


 札幌のビジネスホテルだった。

 泊まるだけなのでシンプルで機能的だ。


「帰ってきたって感じがするね、家に着いたら、あぁやっぱり家が一番だって思うのかな」

 雫は小さな鞄から必要な荷物だけを取り出しながら、そんなことを言う。


「日常は安心するものだからね」

「非日常は?」

「心を動かす」

「確かに、感動したね」

「うん、良い旅行だった」


 樹齢何千年なんていう植物を前にすれば、人の人生なんて一瞬なんだと思い知らされ、だからこそ今をーーこの瞬間を大事にしたいと思う。

 そして、その一瞬のような人生の中で雫と出会えたことを神様に感謝したい気分だ。



「雫」

 いつの間にか私のベッドに腰掛けていた雫を抱き寄せる。

 いつもの、私を安心させてくれる匂いに包まれる。

「みーちゃん、疲れてるでしょ」

「そんなことない」

 やや被せ気味にキッパリ宣言すれば、クスクスと可笑しそうに笑う。

「先にシャワー浴びてくるね」

「そうだね、私も」

「え、一緒に?」

「もう待てない」

 昨夜からずっと燻っていたのだから。



「んん……みーちゃ」

「雫、声我慢しなくていいからね」

「……っ」

「聞かせて」

 いつもウチでは声を抑えているのを知っているから、今日くらいは思いきり出して欲しい、というか、私が聞きたい。


 最後の夜は、愛し愛され……



〈了〉


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