第12話 父はつらいよ

 娘を心配してヤキモキしていたダリアの両親の感謝の気持ちは嬉しかったが、感激して礼がしたいと中々トゥーサンを放してはくれず、ダリアも一緒になって引き留めるので、断るのが一大事だった。

 パコから連絡があったのは茜府に着いた時だ。

 地下で捕らえた連中を入れた《虫籠》を早口で説明してティボーに押し付けた。ソワソントヌフの誰かに見付かる前に茜府を出たかった。

「どうしたんすか?」

 カジミールが付いて来なくていいのに付いて来る。彼の見えない触角が面白いことを嗅ぎ付けていた。

「付いて来るなよ。俺はもう帰る」

「へぇ、ホントにぃ?まあ俺も仕事は終わったんで帰ります。一緒に帰りましょう。イヴェットは先に出発しちゃいました?そういう約束でしたよね」

「タレコミがあって出発が遅れただけだ」

「あらら?ただのタレコミなら俺かジョアンナに振りますよね?」

 その通りだ。

「混ぜて下さいよう班長~」

「降格の覚悟はあるか?」

「ラモワン家の面汚しは一生平の警官すよ」

 ピタッとトゥーサンは足を止めて憐みの瞳をした。

「階級試験は俺よりずっと上通ってるのにな…」

「何だよその瞳は!」

 彼にとっては憐れまれるいわれはない。

「止めて下さいよ。俺はこれで良かったと思ってるんですから」

「分かってるさ。だがこれ以上お袋さんからお前を遠のかせる訳にいかん」

 母を持ち出されてカジミールの顔色が変わる。

「そんな…一大事なことなんですか?班長が関わってるのは」

「そうだ、だから関わるな」

 パコも懲戒はなくても謹慎、降格は決定だろう。トゥーサンは心が痛んだ。

「だったら絶対そのパーティー俺も混ぜなきゃ許せないっす!」

 思わすつんのめってしまった。

「お前な!」

「男の子はいつか母の下を離れて飛び立ってくもんですよ。そして楽しいパーティーを見付けたら必ず参加するんです。逃がさへんで~」

 最後はヒクマトの真似をするが、それを聞いて今度はトゥーサンの顔色が変わった。

「何です?何があったんです?ヒクマトっすよね、パコもまだ帰ってないんですよ」

 察しがいい。

 首尾よく他の誰にも止められず乗騎の元に辿り着くと、周囲を見回し人気がないのを確認する。ガシッとカジミールの肩を抱き寄せた。

「いやん」

 気の抜けそうな声に、反対の拳で拳固を落とす。

「ヒクマトがアイヤゴンの鳩尾に一発喰らわせた。それも電撃乗せたきつい奴を」

 カジミールは喜色満面で宣言する。

「絶対ついて行きますからね⁉アイヤゴンの性悪、悪徳の報いにしては軽過ぎっすよ」

「そんな嬉しそうに。お前までソワソントヌフを敵に回してくれるな」

 誰彼構わず恨みを買ってるアイヤゴンも悪いのだが、班長としてトゥーサンは顔を覆った。

「行きましょ行きましょ、遅れたらマダムに失礼ですよ。詳しいことは道々聞きましょうかね」

 騎獣のワリロは三人までなら乗れる。牛と馬を足したような妖獣だ。カジミールは文字通りトゥーサンの尻を叩いて急かした。

「どうしてこうなるかな」

 しかし戦友としては頼もしい。心苦しくはあるが借りれるなら手を借りたい人物だ。

 ワリロの背で説明したがモルガーヌがセルファチーに作られた継ぎ接ぎであることは伏せた。

「イヴェットも悲劇というか災難の星に見込まれた人生だな。同情しきりだわ」

「俺には勿体無い位の娘なんだがな」

「顔面は母、性格は父親からイイ感じにもらってますよね」

「…目元は俺に似てないか?」

「瞳の色は同じです」

 急いていたから深追いしなかった。

 と、地下から得体の知れない強い力が湧き上がった。

「一体なんだ?」

「さっきから肌がピリピリしてたんですよ俺。それが一段と強くなりました」

「こんな時に!」

 パコからも彼を急かす遠話があった。

 目覚めたら烈火のごとく牙を剥いて怒り狂うのは目に見えていたが、アイヤゴンを放っておく訳にもいかず傍についているのだ。ソワソントヌフの誰かに見付かる前にトゥーサンに来て欲しがっている。なんせソワソントヌフの連中はアイヤゴンに心酔しているから、職務中の怪我と口裏合わせてパコを半殺しにし兼ねない。

 危ない所だった。ゴメスを追っていた班員達が戻って来るのと鉢合わせしかけたからだ。

「お待ち⁉」

 ジェが逃げる三人に攻撃魔法を仕掛けて来た。かなり本気だ。パコが《盾》で防ぐが大きな衝撃が伝わってワロリが恐怖した。二本足立になりそうになるのを辛くも宥める。落ちそうになるパコをカジミールが抱き止めた。

「何処に行くんです?」

「地下に降りれる場所だ」

「追うのは無理ですよ。伝えたでしょ、ヒクマトは銀の腕輪を奪って行ったんです。しかもこの力、一体地下に何がいるっていうんですかね」

 トゥーサンの怖い顔がさらに怖くなる。歯噛みして苛立っている。

 パコの疑問にカジミールが答えた。

「伝説の封印された神様、かな」

「何、それ?」

「知らないか?昔々の王が知恵を求めて呼び出した神だ。その知恵が敵にも伝わるのを恐れた王は、一計を案じて神を騙したんだ。その上で二重の魔法陣で神を封印してしまった」

「身勝手な王様だなぁ」

「本当にな。で、以来神は事ある毎に地上に出ようと藻掻いてるんだそうな」

「それが何で今夜なんだカジミール?」

 トゥーサンが問うた。

「そんなこと神ならぬ身の俺が解かる訳ありませんよ」

「陽が落ちてからは思念でヒクマトの後を追えなくなって、下へ下へと移動していたから神の力の影響を強く受けてるでしょうね」

「信じるのかパコ?」

「それしか説明がつかないという意味では。だからソワソントヌフの連中も追跡を断念して退き上げて来たんだ」

「イヴェットを見たか?」

「連れ易いように小さくされて《鳥籠》に閉じ込められてたそうです」

「イヴェット…」

 娘には辛いことばかり降り懸かる。代われるものなら代わってやりたかった。

「班長、気持ちは解かりますが僕達も悠長にしてられないようです」

 パコが告げた。

「何?」

「ソワソントヌフが追って来てます」

 魔法灯の街灯が道を明るく照らしている。ソワソントヌフの連中が追い付いて来ていた。

「空からもだ」

 低空を飛ぶ飛獣は間違いなく彼らを追っていた。

 何故こうなるのか、パコに反対されても地下に降りて娘やヒクマトを捜したいのに、それすらもままならない。

「飛獣を打ち落としましょうか?」

 物騒な提案をカジミールがする。空から追跡されては地上の連中をまいても直ぐに居所を教えられる。

「ダメだ」

「飛獣だけですよ」

 逃げるしかない。こちらからの一切の干渉は連中の怒りに油を注ぐだけだ。

「止せ!逃げに徹するぞ」

 ソワソントヌフの班員には銀の腕輪が配布されている。転移を使わないのは地下の神の所為だ。この状況で転移魔法を使うのは危険だと頭に血が昇っていても判断出来ているのだ。

 空から《槍》が降ってカジミールとパコが協力して《盾》で防ぐ。

 こちらが何もしなくてもソワソントヌフは容赦がない。アイヤゴンからの命令もあって、隙あらば攻撃魔法を仕掛け始めた。

 トゥーサンは東に向かった。市街地での攻撃は市民に被害が出る可能性がある。それでなくても今夜は屋外に出ている市民が多い。

 部下に気つけされ意識を取り戻すとアイヤゴンは直ちに三人の追跡を命じ、自分は茜府に戻って、大気の状態の異常さに残っていた上司のベタンクールにディズヌフを告発した。特にヒクマトのことを自分のことは棚に上げて言葉を尽くして訴えていた。

 事象だけ鑑みても上司を暴行し銀の腕輪を奪ったのは看過しえない。ベタンクールはトゥーサン・ヴェシエール、ヒクマト・ムザリ、パコ・モンロイ、カジミール・ラモワンの拘束を命じた。


 転機が訪れたのは空に大地が映し出された時だ。

 ソワソントヌフは直ぐに気付いて追跡を止めた。あっという間にそれが消えても動揺して追跡を再会しなかった。

 その間にワロリは距離を稼いだ。

 何が起こっていたとしてもこの際有り難い。

 大気の状態が平静に戻って地下から伸びた力がなくなったということは、転移での追跡と攻撃への警戒が必要になったということだ。これまでより過酷な逃走劇になるのが予想された。

 だが強力な追跡者は三人の誰にも悟らせもせず、いきなり三人の頭上に出現した。

「茜の君!」

 意表を突かれたカジミールとパコが叫んだ。

「ほい確保」

 次の瞬間には鉄格子の中にいた。

 鉄格子を掴んでトゥーサンは虚空に訴えた。

「茜の君!俺の話を聞いて下さい!お願いです。娘の命が掛かっています。俺は娘を助けないといけないんです⁉」

 クスッと血色が悪く薄い唇で嗤った者がいた。

「その姿、貴様にとても似合っているぞ」

 冷たい蒼い瞳で見据える長身ですんなりした姿があった。

「アイヤゴン!今回のことは…」

 言葉を選んでいると横からパコがアイヤゴンを糾弾した。

「弁解する必要はありませんよ班長。彼女はイヴェットが人質になっているのを知りながら突入させたんです。だからヒクマトはああするしかなかったんだ」

「ほざけ、私達はいつだって非情な任務を背負っているのだ」

 この程度の糾弾は痛くも痒くもない。

「なのに貴様らは十分な報告も怠り、今日などは聖ルカスからのスパイを逮捕しようとするのを邪魔してばかりいたではないか」

「のっけの捕物の失敗は誰も邪魔はしてないだろう。自分達の所為だぜ」

 とカジミール。

「我々はダンテを呼んでいたんだ。それをトゥーサン、貴様は娘を捜す為連れ出していたな」

「本人の意思だ。どのみちダンテは呼び出しに応じる気はなかった」

 ちッとアイヤゴンは舌打ちした。

「どいつもこいつも我らの任務の重要性を理解しない」

「違うぞアイヤゴン、お前のやり方が背を向けさせるんだ。よく切れる刃物は丁寧に扱って手入れを怠らんことだ、でなければ長持ちせん。それと同じなんだ」

「知った風な口をきくな。この件は茜の君のお耳にも入っている。うやむやにはさせん」

 勝ち誇るようなアイヤゴンをベタンクールが制した。

「この場はもういいだろう、君の部下達がセルファチーを見付けたようだぞ」

「了解しました」

 嬉しそうではない。彼女にとってはゴメスこそが本来の獲物なのだ。

「セルファチーもゴメスも今夜中にソワソントヌフが捕えてみせます」

「期待してるぞ」

 一礼してアイヤゴンは無駄のない動きでその場を後にした。

 留置場の扉を閉めると彼女は目を細めた。

「ベタンクールめが、ソワソントヌフを冷遇しおって」

 他の班、特にディスヌフばかり可愛がっている。ソワソントヌフが多大な犠牲を払っているのも評価せずにだ。だがそれはベタンクールに限らない。

(所詮汚れ仕事だ)

 しかしこの国の為に必要でもある。その誇りを胸に任務に戻った。



「ラモワン君、君ねぇ」

 三人に向けて発した第一声がそれだった。ベタンクールは権力におもねるだけの輩ではないが、階級が上になるに従ってその手の調整能力は必要になる。

「アイヤゴンにああ宣言されたら君の名前を消すことは無理だよ」

「それで構いません」

「何もしてないだろう君は」

 勝手に首を突っ込んで逃げ回っていただけだ。仲間のとった行動の訳をパコは熱弁して訴えた。

「信じて下さいベタンクール。トゥーサンの娘が、大切な市民が人質になっていたんです。ヒクマトは手柄を立てたくてアイヤゴンに暴力を振るった訳でも銀の腕輪を盗んだ訳でもありません。ソワソントヌフが市民の命を軽視したからです」

「分かっているがどちらも重大な職務規定違反だ」

 告げる声は厳しい。

「確かにアイヤゴンはいき過ぎる部分はある。しかしそれは彼女に任されている仕事が非情だからだ。優しくては出来ん仕事だ、それは分かってやれ」

「はい…」

 不承不承返事をする。

 イヴェットが人質でなければソワソントヌフに恨まれても、ヒクマトが一味を逮捕していただろう。班長としても父としてもトゥーサンは責任を感じていた。

「解かっています。ですが見捨てられた人質が娘だから言うのではありませんが、市民が人質として取られていながら突入するのも職務規定違反です。部下の非は俺が受けます。その場に居れば俺も同じ事をしていました」

「そうだろうな、お前らはそうするだろう」

 それが任務第一のアイヤゴンには理解出来ない。

「ヒクマトはアルファーロを追っていた時もゴメスの件をぼかして報告していた。アイヤゴンがそれを訴えた時も私は何とか有耶無耶にしてやっただろう?今回も、これはソワソントヌフの事件だ、単独で逮捕しようとすべきではない。そしてアイヤゴンの間違いは先ずはジョアンナか私に相談すべきだった。違うか?」

 違わない。そして相談してもジョアンナもベタンクールもヒクマトの行動を許さなかっただろう。そうなれば、ソワソントヌフはゴメスを逮捕するのに人質のイヴェットの存在を顧みないから彼女はどうなっていただろうか。

 特捜班の班長になれるだけにトゥーサンは見た目と違って直情型でも脳筋でもない、冷静に難事に対処出来る人間だ。だから今も無事を知らされていない娘のことは胸に秘めているが、イヴェットが暗い地下で一生を終えるようなことがあればソワソントヌフに対してどんな行動を取るかわからない。一般市民なら不幸な巻き添え事故として事実を隠して告げられるだろうが、トゥーサンは内部の人間だけに捜査の状況は筒抜けなのだ。

「安心しろトゥーサン、イヴェットは無事だ。私も安心したよ」

「本当ですか!娘に会えますか?」

「ヒクマトは?」

 興奮するトゥーサンとパコを手振りでベタンクールは宥めた。

「ヒクマトはイヴェットを救出して地下からトゥーサン、お前の家に転移したそうだ」

「!うちに⁉」

「幸いお前の彼女のモルガーヌがヒクマトを手当てして、当局に治療師を依頼したんだ」

 ホーッと肺が空になるような安堵の息をトゥーサンは吐いた。

「ヒクマトは無事ですよね⁉」

「無事だよパコ。わざわざ茜の君が治療に赴いて下さった。そのまま拘束されたがな。茜の君は一流の治療師だから治療に逃げることは無理だ。直ぐには面会させてやれんが、互いの事情聴取が終わったら解放してやる」

 早速アイヤゴンが尋問したがっているが、それも防がれている。

「ヒクマトに寛大な処置をお願いします。責任は全部俺が引き受けますから」

 彼女にはどれ程感謝してもし足りない。自分に何が出来るか、トゥーサンは深々と頭を下げた。



「あー、やだやだ、やだやだやだやだぁ!何とか無事に移せたけど、アルトワ・ルカスに帰んの憂鬱だ~」

 文字通り頭を抱えてダンテは悶えた。

 色々計算違いでトロザ市の上空でこの世界の姿が束の間映し出されてしまったし、あると判れば探そうとする者が絶対出て来る。予めそれに対処することを考えてはいたから、まだそれはいい。問題は地上のことだ。

 ダンテが世界を移すと決めた日にもう後戻り出来ない段階になって様々なことが起こってしまった。トゥーサンに手を貸してイヴェットを捜してやりたいが、戻ればソワソントヌフに絡まれるのは必定!彼は行くと返事をした覚えもないのに、何故来なかったと非難轟々となるのは火を見るよりも明らかだ。

「帰りたくない~~~」

 子供のように駄々を捏ねるのでメリオールは呆れた。

〔トゥーサンが気になってるだろう?帰らねば助けてやれんぞ〕

 牡鹿は宥めるように鼻面を当てる。

「イヴェットを助けたらバックレようかな?いいよなツチラト、ほとぼりが冷めるまで俺ここに籠ってる」

「遠慮なく引き摺り出して上げてよ坊や」

 目の前にいるメリオールではない誰か別の女性の声だ。総毛だったダンテが振り返ると鬱金の君が立っていた。

 いつも被っているココシニクは外して仮面だけの寛いだ格好で、完璧なボディーラインが露わになっていた。だがそれどころではない。

「どうやってここに⁉」

「官舎の入口からよ。素晴らしい才能があってもまだまだ未熟ね」

 自分の足元をきちんと防いでいないおバカな失敗にダンテは三角座りになって落ち込んだ。

「鬱金の君、とはアルトワ・ルカスの女統治者の一人よな」

 姿勢を正してメリオールは鬱金の君と対した。

「その通りですわ、水の精メリオール。お初にお目に掛かります」

「私をご存知で?優れた魔法師に知ってもらえているとは光栄だわ。坊やを責めないでやって、ちゃんと自分の尻拭いも自分で出来ているし、力の割に経験不足なだけ」

「それが時にとても危険なことを引き起こすの」

「だからといって坊やにここを管理させるのは不安だなどとは言わせぬよ。私もツチラトも…」

「そして火の女魔神イフリータイナンナもいると仰りたいの?」

 揃えた白い手の上にピンク色の小鳥がちょこんと乗っていた。つぶらな瞳が何とも可愛らしいがちょっと元気がない。

「まあ、イナンナ」

 鳥は手から手へ移った。

〔メリオール、お招きだんだん。ここがあんたのいよった場所?〕

「そうよ」

〔良かった〕

 イナンナは魔神の姿に戻った。炎を背にした少女神の出現に一気に世界の気温が上がる。

「大丈夫、少ししたら気温も落ち着くわ」

 メリオールが告げた。

「うちが真の姿になると周囲熱うしてまうの」

 イナンナはお茶目に片目を瞑ってみせる。色鮮やかな巻衣に帽子が異国的で良く似合っている。

「いやあ聞きしに勝る可愛らしさだ。お越し頂き有り難う御座います」

 可愛らしいイナンナの姿にダンテはこの世界の主として挨拶する。

「こちらこそ、兄達が喧嘩しとってうち、居場所がなかったの。素晴らしい世界やって入った途端に分かったとよ。大気がええ気持ち!」

「そうでしょう!自慢の世界ですから、しかしお顔の色が優れませんね。もしかしてお待たせしている間に何か問題がありましたか?」

「違うの、兄達の監視から抜け出すんが一苦労で!味方を増やしたがって、みんな私に味方しろってうるそうて堪らん」

 げんなりした表情をする。

「それは大変でしたね。ここではゆったり寛いで下さい。取敢えずは…」

 鬱金の君がダンテを押し退け前に出た。

「取敢えずは積もる話もおありでしょ、メリオールに案内をお任せします。ダンテは私と話があるものですから」

「折角遠路はるばるお越し下さったんだから話は後でいいんじゃグフッ」

 腹に鬱金の君の肘が決まり、仮面越しでも強い眼光がダンテを射た。

「どしたの?」

 察したメリオールが少女神の背を押す。

「何でもないわよイナンナ。二人はちょっと話があるから行きましょうか。疲れたんでしょ?私の館で休むといいわ」

「ああ…メリオールゥ」

 情けない声を出してダンテは無情に離れていく二人を見送った。

 牡鹿は蛇どんに戻ってスルスルとダンテの身体を登る。

「素敵な世界ね、先ずは褒めてあげるわ」

「褒めるだけでいいんじゃないかな?」

「こんな規模の魔法の地マゴニアは私だって初めて見るのよ」

「そうか?調子に乗って広がるままに広げたから」

「これでも封印された神に少し土地を譲ったのよね」

 立っている場所からでは遠目にしても視界には入らない程遠い。

「神様に目を付けられるなんて思ってもみなかった。あれで喜んでくれるといいが」

「解放してやりたいなんて考えてはダメよ。知恵の神なんて善神はいないんだから。元々下心があって王に近付いたの。気の遠くなるような時間の間に、どんな変貌を遂げているか確かめるのも恐ろしい話だわ」

「解かってる」

「ホントかしら」

「ごめん。もう迷惑は掛けない」

「迷惑なんて掛けられてないわ。実は怒ってなんていないのよ」

「え~~~っ」

「そう見せただけ。才能の有り余る貴方でも不可能なことがあるって、経験で来たかしら?」

「たくさんしたよ」

 人の少ない辺境の地でずっと師匠と二人切で、辛い修行もあったが何の不満もない生活だった。兄弟子が加わり兄弟子の弟子が加わってもそのままの日々が続くはずだったのにダンテの間違いで全ては一変した。

 人の多さには未だに酔うことがあるが、もう恐怖を抱くことはなくなった。アルトワ・ルカスでの出来事は師匠に語って聞かせたいと思うものは少ない。そんな経験をたくさん積んだ。

「そのようね。で?この世界の名前はどうするの?」

「名前?俺の庭」

「……私がつけるわ」

「頼んでいい?」

「真面目に考えなさい!名前を付けることは大切な儀式よ。そして自分の物だってちゃんと宣言して、ここを確固たるものにしなければいけないの」

「どっちなんだよ。名前なんて拘らなくていいじゃないか」

 ブー垂れつつ鬱金の君が怖くて考える。

「んー、んー、じゃあ昔話にあやかって『喜びの原マグ・メル』はどう?そういう場所にするつもりだし」

「いいわ、では宣言を」

「この世界はプロスペロが作り喜びの原マグ・メルと名付けた」

「わたくし、アルトワ・ルカスのパメラが立ち会う」

 その途端、何か空気が変わったような気がした。

(あれ?)

「違うでしょ?」

「本当だ…」

「さてこれで私をここから締め出すことは出来なくなった」

「ぬわに~~、計ったな!」

「ほほほ、まあ、人聞きの悪い。たまに別荘として使わせてもらう程度よ、だって私達忙しいもの」

「私達―ぃ!」

 ダンテは聞き逃さなかった。

「アルトワ・ルカスの聖女は皆素顔を晒して寛げる場所が必要なの」

 呆気にとられる。

「やられた~~~~っ!」

 その叫びはメリオールの館まで聞こえた。

「メリオール達の邪魔をする気はないから、私達が使える屋敷を建てておいてね」

「そこまで要求する⁉……じゃあじゃあ、――茜府辞めていいかな?あそこ結構辛いんだ」

「いいわよ」

「え~~~っ」

 絶対ダメだと反対されると思っていた。

「三日で音を上げるかと思ってたけど、結構頑張ってたわね。アルトワ・ルカスに留まるなら、師匠のいない貴方を完全には解放してあげられないけど、居所を定めて教えてくれたらそれでいいわ。けれどマグ・メルに籠るのは絶対許さなくってよ。まだそんな歳じゃないでしょ」

「薬を作らないといけない」

 薬商から催促されているのは事実だ。

「それには最適の場所でしょうね」

 同意はしても許してはくれない。

「でも貴方はもっと外を経験しないといけないわ。お師匠様に代わって見ててあげるから、待ってる間は色々見聞しておきなさい」

「じゃあ地方在住なんて許してくれないよな」

「トロザはいい街よ。育てる場所が欲しいなら家や土地を買いなさい、それだけの金を我が国から分捕ったでしょ」

「地産地消ですか」

「不満かしら?」

「いや、要求されることがきつくて高値商売してたけど、薬で稼いでたから元から金はあるんだ」

「不動産投資と収入を経験しておくのもいいんじゃない?マノンは兄一家を住まわせる家を探してるわよ」

「ああ!」

 そうだった。熊人に土地は買えないし家を貸してくれる大家を探すのも一苦労なのだ。

「そっかー、マノンに知らせず家を融通して上げることが出来るなぁ」

 ダンテはウキウキしてきた。

「自分が大家だって告げないつもり?」

「恩着せがましいじゃないか、それに得体の知れない奴に周囲かためられたら気持ち悪いだろう?」

「解かってるんじゃない」

「そうと決まればそろそろ行かないとな、イヴェットのことも気になるし」

「イヴェットなら無事よ」

「あ、ホント?良かった、ホント良かった。怪我してない?」

「多少はあるかしら?茜さんが治療してるでしょうけど。ヒクマトがゴメスから取返したわ」

「流石はヒクマト。サシでタイマンはったら負けないからな」

 官舎ではがまだ延々と文句を垂れていた。

「解いてやらなかったんだ、魔法」

「私が来たことは知られたくないもの。私が消えたら解いてやって。それと今日を限りに官舎を出てくのよ。分かった?」

「承知しましたマダム、喜んで」

 ダンテはの魔法を解く前にマグ・メルの入口を消し、官舎を出てから解いた。

 翌日から新聞ジュールナルは連日昨夜の摩訶不思議な現象を記事にして書き立てた。

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