2-3


 ハァハァと、僕は肩で息をしていた。背の高い石段を一気にかけあがった後、石造りの鳥居をくぐった後、僕は初めて訪れたその場所をぐるりと見渡した。僕の四方を囲うのは、新緑と、土くれの地面と、数多の虫の音と――僕の眼前にそびえるのはこじんまりとした社殿のような建物。……ここは、神社なのか?


 一息吐いた僕はズボンのポケットにつっこんでいたノートの切れ端を取り出す。そこには無機質な筆跡でこう書かれている。


『学校を出て二つ目の交差点を右折、そのまままっすぐ三つ目の信号を左折、突き当りにある石階段の先で待つ』


 式部の後を追って昇降口までたどり着いた僕だったが、しかし彼女はすでに姿を消していた。代わりに、僕の靴箱の中に先のノートの切れ端が入っていたんだ。そして今。


「そんなに慌てなくてもよかったのに。私は松茸でもスーパーの特売品でもないんだ。誰かに獲られたりはしないよ」


 背後ろから声。

 条件反射でガバリと振り返った僕は、立派な大樹を背もたれにしながら僕を見やる――狐面の彼女、式部の姿を両目で捉えた。


「式部……」僕がその名前を呼ぶと、彼女はゆったりした所作で僕に近づいてきた。


 距離にして一メートルほど離れたところで、彼女がピタリと足を止める。

 僕は手に持っていたノートの切れ端を自身の顔の位置まで上げて、おずおず口を開いた。


「コレ、僕の靴箱に入れたのは、キミなの?」コクン、彼女がひょうひょうに頷き、「柳楽くんに話があってね。他人に聞かれるのは都合が悪くてね。人の来ないこの場所にキミを呼びつける形にさせてもらったよ」

「奇遇だね、僕もキミに聞きたいコトがいっぱいあるんだ」僕は目に力を込めてまっすぐに彼女を見た「……今度は、はぐらかしたりしないでね」


 一音一音を紡ぐように声を重ねると、式部からはのれんに腕押すような返事が。


「勿論。なにせ」彼女は両腕で自身の上半身を覆いながら、低い声で唸る「状況が変わってしまったからね」


 全身が硬直し、得も言われぬ緊張感が僕を包む。――でも僕には、まずやるべきコトがあったんだ。僕は意を決して、再三口を開いた。


「あのさ」この言葉を発するのはいつ振りだろうと、心の中で一人ごちながら。

「さっきはありがとう」


 少しだけ間があいて、式部が「へっ?」と間の抜けた声を漏らした。狐面に覆われたその表情こそ視認することはできないが、彼女はおそらく今、目を丸くしていることだろう。


「僕と明智の無実を証明してくれて、僕たちを助けてくれて、ありがとう」


 僕はその言葉を重ねた。本心から湧き出る感情を、そのまま彼女に伝えようと努めた。


「……それは、その――」いつものひょうひょうとした口調ではなく、式部は珍しく口をごもらせている。彼女は視線を地面にやりながら、挙動不審に後ろ髪を触りながら。


「どう、いたしまして……」か細い声でそう漏らした。


 もしかして、お礼を言われて照れているのか?

 なんだかこっちまで恥ずかしくなる。僕は何かをごまかすように一呼吸を挟んで。


「それで、どういうカラクリか教えて欲しいんだけど」


 地面に顔を向けていた式部の狐面がユラリ、再び僕を捉える。


「僕が昨日、明智とゲームセンターなんか行ってないって。僕が下校時にコンビニへ立ち寄って、店員からレシートを受け取っていたって。キミはどうして知っていたの?」


 第一の疑問。核心をそのまま式部にぶつける。「ああっ、それは」彼女が重力を感じさせない声で、驚愕の事実を軽々しく言い放つ。


「タネも仕掛けもないし、魔法を使ったワケでもないよ。昨日と一昨日、私は学校帰りのキミを尾行していたんだ。キミが自分の家に辿り着くまでの間、ずっとね」


「えっ……」茫然とする僕が呆けた声をあげたのは言うまでもなく、「あっ」式部はというと何故か、慌てた素振りを見せる。

 どこか見覚えのある所作。彼女は自身の胸の前で両手をブンブンと振り出した。


「ご、誤解しないでもらいたいが、決して私は、ストーカーと呼ばれる類の存在では――」


 ……いや、尾行は立派なストーカーだろ。心の中で辟易した僕は隠そうともせず、ハァッとため息を漏らす。全身を纏っていた緊張感はどこへやら、毒気が全て抜き取られてしまったような心地だ。


「どうして尾行なんか?」僕がそう訊ねると式部はピタリ静止して、何食わぬ顔(お面被ってるんだからそりゃあそうだ)で姿勢を正す「キミが心配だったからね」


 どういうことだろう。僕が疑問を返すよりも先に、式部が言葉を紡いでしまう。


「キミは一昨日、北条くんが提案した町内清掃に対して、意見を述べたよね? 明智さんをかばうために、『強制参加は違うと思う』って、そう言ったよね?」


 話が見えてこない。ワケもわからぬまま僕は首を縦に振る。


「行為としては立派だけど、たぶんアレがきっかけで、黒幕に伝わってしまったんだ。キミに心魔の力による支配が及ばないって、キミに一切の惑わしが通用しないって。何も知らない柳楽くんが狙われてはまずいと、私はキミを遠くから見守ることにした」


 出た、心魔。

 でも、それより気になるワードが出てきた。僕はその言葉をそのまま口にする。


「黒幕って、なんのこと?」


 式部が何かを思案するように空を仰ぎながら、口元に手をやった。そのままボソボソと、ごちるように声を発する。


「便宜上、私が勝手にそう呼んでいるんだけど。……そうだね。どこから説明しようか」彼女の顔が移ろい、紅に飾られた細い目が再び僕に向けられて。


「うちの学校の生徒たちが皆、自我を持たない人形のような存在に成り果ててしまっているのは、キミも気づいているよね?」


「……えっ?」急な核心をつきつけられて、僕は思わず呆けてしまった。僕と明智が共有した違和感を、式部も感じていたようだ。というより、彼女の言い方は確信しているように思える。


 僕は黙って、でも力強く首を縦に振った。彼女の淡々とした声だけが空間に響いて。


「アレはね、うちのクラスにいる生徒の内の誰か……、『黒幕』の所業なんだ。心魔に憑かれた誰かが、心魔の力で学校中の生徒たちを洗脳し、心を操っているからなんだ」


 僕は言葉を失った。感嘆符を漏らす余裕すらなかった。

 それくらい、彼女に告げられた事実が衝撃的だったから。


 学校中の生徒を洗脳って――僕は淡水魚みたいにパクパクと口を開閉させている。式部は僕の阿呆面を眺めながら、しかし視線を外さずに説明をつづけた。


「私たちのクラス、一見、何の問題もなく見えるよね? 一切の悪意がなくて、一切の争いが起こらない、まるで楽園のような空間。そう感じるよね? ……だけどね」彼女は少しだけ声のトーンを落として。


「それらは全て、黒幕の意志によって創り上げられた、かりそめの理想郷でしかないんだ。なぜならね、一切の争いがないってことは、一切の、『エゴ』が存在しない世界、とも言い換えられるからだ」式部が大仰に両手を広げた。世界を手中に収めんとばかりに。


「向上心、探求心……、何かを成し遂げたいという気持ちを削ぎ落した、いわば、『自我』を去勢された人間たちが集まる『停滞』の御代。一切の意志が画一化された操り人形の集まり――それが、黒幕が求める理想の世界、なんだろうね」


 広げていた両手をパタンと降ろした式部が短い息を吐き、言葉を切る。……喋り倒しでさすがに疲れたのだろうか。僕はようやく口を挟むチャンスを獲得した。


「ちょ、ちょっと待ってよ」懇願するように片手を伸ばしながら、「黒幕、黒幕ってさっきから言ってるけど、その黒幕って一体、誰なのさ? 黒幕はなんで、そんなワケのわからない世界を創ろうとしているんだよ?」懇願するように言葉を並べた。


 式部は「ふぅむ」と漏らしながら、どこか他人事のように首をかしげている。


「その質問はどちらも答えられないね。何故なら、私も知らないから」彼女は肩をすくめてこうも続けた。


「黒幕の目的なんて、私には皆目見当がつかない。さっき私が言ったことも推測の域を過ぎないからね。そして私はまだ、その人が誰なのか掴めていない。だから黒幕って呼んでいるんだよ。……うちの学校の生徒がおかしくなりはじめたのが、私のクラスが最初だったから、黒幕はクラス内にいるんだと私は踏んでいるけどね」


 なるほど。『学校中の生徒の心がおかしくなっていて』、『その原因が心魔によるもの』という所までは分かっているけど、『出処』を把握できていないってことかな。……っていうか。


「あのさ」ある事実に気づいた僕の口から、声が飛び出る。脳内の疑問符をそのまま。


「『まだ正体を掴めていない』、そういう言い方をするってことはさ。……式部は、黒幕が誰なのかを探しているの? 正体を暴いて、心魔による洗脳を止めさせて、学校を元の姿に戻したい。そう考えているの?」


「ふぅむ」再び老人のような相槌を打った彼女が、頬の横で人差し指をピンと天に向ける。「半分正解かな」意味ありげにユラリと首を傾ける。


「黒幕が誰なのか、私がその正体を探っているのはその通り。でもその動機は、学校を元の姿に戻したいとか、そういう理由じゃないよ」彼女は立てている人差し指を左右に素早く振り始めた。……その所作はちょっとだけ癪に障る。


「だったら、どうして」僕は一抹の苛つきを抑え込みながら彼女に訊いた。彼女はダランと腕を降ろして、表情の読めない狐面でまっすぐと僕を捉えながら。


「私はね。大義のために、私の『エゴ』のために。日がな心魔を見つけては、斬っているのさ」


 思わず僕の眉間に皺がよる。僕は彼女の理屈にいまいちピンときていない。そんな僕の胸中を無視するように式部が盛大なタメ息を漏らす。彼女はユラリと再び右手をあげて、狐面の下半分を掌で覆い尽くす。


「このお面ね。好きで被っているワケじゃないんだ」どこか陰鬱に聞こえる彼女の声。


 そして。


「人前で外すことができないんだよ。私はね、そういう呪いをかけられてしまったんだよ」

「呪い?」


 あまりにも時代錯誤なその言葉。さすがの僕も、「へぇ、そうなんだ」と秒で納得するような柔軟さは持ち合わせていない。


 式部が狐面から手を離し、ちょいちょいと僕に向かって手招きをはじめた。促されるがままに僕は彼女の元に近づく。


「コレ、思いっきり引っ張ってみなよ」彼女は自身の狐面を指さしながらそう言い、「えっ?」僕がバカみたいな声を出すのは必然だ「いいから、さぁ」彼女は両手をバッと広げて、無抵抗の意志を表明する。……いや、それだとハグを求めるみたいになっちゃってるけど。


 取り急ぎのツッコミは心中にしまいつつ、「それじゃあ」と、僕は彼女の狐面に手をかけた。


 そして引っ張る。それなりに力を込めて、彼女のペルソナを力任せに引きはがそうと。


「……えっ?」


 バカみたいな声が僕の口から再び。ぐぐぐぐっ、ぐぐぐぐっ。僕は今、それなりに力を込めて、両手の指先に神経を集中させて、彼女のお面を剥がそうとしていた。……でも、彼女の言う通りソレをすることができない。……コレ、顔にひっついているって感じじゃあないな。まるで彼女の顔と一体化してしまっているような――


「ほうら、無理だろう」


 得意気な声が僕の耳を撫でる。僕は彼女のお面から手を離して呼吸を整えた。


「……本当だね」白旗をあげるように僕は声をこぼし、数歩下がって彼女と距離をとる。


「私に呪いをかけたその人が言ったよ」寂寞を漂うような彼女の声。


「『四十八の心魔を斬れば、キミの呪いを解いてあげる。約束する』、ってね。だから私は、心魔を探しては斬っている。この前、キミを襲った物ノ怪を含めると、今まで九の心魔を斬ったから、あと三十九だね」


 彼女が途方に暮れたように天を仰いだ。

 ……この前僕を助けてくれたのには、そういう『事情』があったのか。


 式部紫乃に関するいくつかの疑念が数珠を繋ぐが如く晴らされていく。しかし、浮き彫りにされた真実によって新たなる謎が爆誕してしまったのも、また事実であり。


「いや、っていうか式部。なんでそんな呪いをかけられちゃったのさ」


 その質問を僕が彼女に問うのもまた、自明の理であった。彼女の視線が移ろい、こちらに向けられる「それは、ねぇ」仕切り直すような声をあげた彼女が、而して。


「……私が、知りたいよ――」

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