1-3


 僕は後ろ頭に手をやったまま、固まってしまった。声の出し方をうまく思い出せない。

 硬直した僕を代行するようにと、北条がやはり怪訝そうな声を出す。


「別に、誰かに迷惑をかけているワケでもないし、風紀が乱れる要因になるワケでもないし。まぁ、あれくらい、ファッションの範疇なんじゃないか? ……そんなにおかしなことじゃ、ないと思うけど……」


 松喜も、北条も、明らかに困惑していた。

 僕の発言に、疑問に、心の底からピンときていない様子だった。


 僕は焦ったように言葉をつづける。「いや、百歩譲ってお面はファッションと捉えるとしてもさ、刀を常に腰に差しているのはさすがにヘンじゃないかな?」しかし北条が「刀?」相変わらずのキョトン顔を晒しており、「まぁ、コスプレは日本の文化って言うし、中が本物じゃなければ……」松喜は困ったように笑っている。


 どういう、ことだ?

 彼女の見た目に関して、なんで二人はなんの疑問も持たないんだ?


 僕はどこか、異世界に一人放り込まれてしまったような心細さを覚えていた。『このへんにしておけ』本能が僕に語りかける。無理やり口角をあげながら、かすれたような声を。


「そ、そっか。そうだよね。別に、おかしいことなんか、ないよね。……ゴメン、忘れて」


 僕がアハハと空笑いをして見せると、二人はようやくホッとしたような面持ちに直る「もしかして、今のは冗談だったのかな? アハハ! だとしたら気づかなかったよ、失敬失敬」謎の解釈を披露する北条の態度に、僕はゾッと薄気味悪さを覚えていた。


「早くしないと、昼休み終わっちゃうわね。急いで食べましょう」松喜の発言を皮切りに、僕らの間を纏っていた歪な空気が無理やり切断された。その後、教室に戻った僕たちは、席を向かい合わせながらそれぞれの昼食にありつく。


 北条が相変わらず達者に口を動かし続けて居はいるが、僕はというと心に引っかかった違和感がぬぐえぬまま、彼の言葉を話し半分に聞き流している。味気ない豆パンが、中々喉の奥を通ってくれなかった。



 長いようで短く、中身が詰まっているようでその実、空っぽのような――僕の転校初日の学園生活はうやむやと終了する運びとなった。帰りのホームルームが終わった直後、早々に教室の外へ向かう『彼女』の姿を僕の目が捉えていた。僕は彼女の後を追う。


 僕が廊下へ出るとすでに彼女の姿が見えなかったので、僕は慌てて昇降口へと向かった。放課後が開幕された直後だったからかその場所は人気がなく、がらんとしていた。革靴に履き替え、今まさに外の世界に帰還しようとしている彼女の姿が僕の視界に。


「式部……、紫乃?」


 僕は、先ほど松喜や北条に教えてもらったその名前を呼んでみた。

 彼女がユラリと顔をあげ、真っ白な狐面に装飾された赤く細い目が僕に向けられた。

 彼女は僕の方に身体を向けながら、微動だもせず全身を停止させている。日本人形に睨まれているような心地に、僕は少しだけ委縮してしまった。


 僕はゆっくりと息を吐いた後、ゆっくりと彼女に近づき、今ひとたび彼女の名前を呼んで。


「式部。僕たち昨夜、出会ったよね? キミは僕を、バケモノから救ってくれたよね?」


 約一メートルほどの距離を保って僕は足を止めた。

 彼女はすぐに返事をしない。五月蠅いくらいの静寂が、僕たちを包む。

 やがて彼女が声を発した。体温を感じさせない機械音声のような声だった。


「なんのことかな。転校生の柳楽晴くん。私たちは初対面だし、私たちが会話をしたのは、今が初めてだと思うけど」


 ……嘘だ。


 僕は確かに、狐面の裏側の素顔など見ていない。そういう意味では、目の前の彼女と昨夜の彼女を同一人物だと、断定することはできない。

 でも僕は、二人が同一人物であるという事実を限りなく黒に近いグレーで確信していた。


 もし本当に、彼女が僕と初対面で昨夜のできごとなど知らないと言うなら、彼女は僕の発言の意味がわからず、もっと困惑するはずなんだ。それこそ、さっきの北条や松喜みたいに心底不思議そうな態度をとるはずなんだ。


 つまり、彼女はシラを切っている。昨夜のできごとを『なかったこと』にしようとしている。暗黙の圧力が僕の全身を纏った。僕がココで引いて、「そうか、ゴメン勘違いだったよ」と一言漏らせば事態は収束するだろう。彼女と僕の人生は交錯することなく、無為な日常をただやり過ごすだけの僕の生活が、再び進行されるのだろう。でも、僕は。


「ごまかすのは、やめてほしいな」


 一歩、踏み込んでみたんだ。その理由は自分でもわからない。

 彼女の胸元に視線を落とした。もしかしたら、僕は――


「昨日見たバケモノ、キミはアレのことを心魔と呼んでいたけど。心魔ってなんなの? 僕にはアレの姿がハッキリ見えたし、会話もできた。けど、フツウの人には視えないの? そういう、妖怪みたいな存在なの?」


 狐面の上に紅く染まった細い目が、相変わらず僕の顔をまじまじと見つめている。彼女は腕をだらんと垂らして、だるそうに首を傾けた。


「……だから、私は昨日ずっと自分の家にいたし、キミに会ったのは今日が初めてだよ。聞き分けの悪い子、私は嫌いなんだ」

 ……あくまでもすっとぼけるて、そういう寸法か――


 僕は食い下がるつもりだった。とはいえ、これ以上彼女を追及する手立ても見つからない。僕は彼女の狐面をジッと睨みながら、歯噛みするように後ろ頭に手をやり、髪をぐしゃりと掴む。言葉を継げない僕に代わって彼女が言葉を重ねた。


「あんまり、この学校でおかしな発言をしない方がいいよ。バケモノとか、心魔とか。……異端と認定されたら排除されてしまうのが集団心理ってやつだからね。奇抜な発言で目立とうとするのは、あまりお薦めしないよ」


 彼女のあまりにも冷淡なそのトーンに、僕は段々と苛々してきた。

 ややトゲのある声で、僕は負け犬が遠吠えるような発言を返す。


「よく言うよ。キミの方こそ、おかしな狐のお面なんか被っているじゃないか」


 特に、何の意図もない発言だった。

 やりようがなかったために、負け惜しみをこぼすためだけに、言い放った台詞だった。でも。


「――えっ……?」


 狐面の彼女から、虚を突かれたような声がこぼれる。その表情こそ確認する術などないが、彼女はおそらく僕の発言を受けて、明らかに狼狽していた。


 沈黙が再び僕らの間を抜ける。

 彼女の唐突な変貌、僕の脳は状況の変化についていくことができない。


 バカみたいに口を半開きにしている僕の元へ、式部がずかずかと、凄い剣幕で近づいてきた。彼女が昨夜と同様、僕の両肩をガシリと掴んだもんで、僕の全身がビクリ震えたのは必然だ。

 さきほどの冷淡な態度はどこへやら、興奮した面持ちの式部が声を裏返らせて。


「キ、キミは、私の狐面が『おかしい』って、……、そう、思うのかい? 女子高生が、狐面なんか被って学校に登校するのがヘンだって、そう、感じるのかいっ!?」


 彼女は乱暴に、ユサユサと僕の肩を全身ごと揺らしてきた。僕の脳はグワングワンと振り子運動を余儀なくされ、そんな僕が返事を返せるワケがない「ちょ――やめっ――とめっ――」僕は声にならない悲鳴をあげていた。


 やがて彼女は我に返ったのか、慌てたように僕の両肩から手を離す「あっ、やっ、御免。そのっ、興奮してしまってっ」と、昨夜同様ブンブンと顔の前で両手を振っていた。


 彼女から解放された僕は、少しだけ息を整えて。


「いや、誰がどの頭で考えたって、そのお面はヘンでしょ。キャラ作りだかなんだか知らないけど、誰もつっこまないのも、おかしいし――」


 僕の言葉を受けてか、式部はブンブンと両手を振っていた所作を止め硬直を開始する。やもすると口元に手をあてがい、直立の姿勢で「そうか、成程。視える人には、まやかしが効かないのか――」独り言をブツブツ呟いていた。


「……あの~」一人置いていかれてしまった僕は、窺うような声を彼女にかける。

 ユラリ。真っ白な狐面がしなやかに移ろう。紅の瞳が再び、僕を捉える。


「忠告はしたはずだよ。昨夜見たことは、忘れるようにと」


 彼女はそう言うなり踵を返し、僕に背を向けた。呆気に取られた僕を捨て置いて、彼女はひょうひょうと歩き去ってしまう。


 突き刺すような彼女の声が枷となり、僕は足を動かすことができなかった。

 でも、僕の頭の中で、限りなく黒に近かったグレーが漆黒に塗り替わる。

 彼女自身が認めた。式部紫乃は昨夜出会った狐面の彼女と、同一人物だ。

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