<5-1 鈴沢精密機械工業社長 鈴沢秀典>

町がクリスマスカラーに染まるある日の職場のお昼休み。私と結月ちゃんは心の声で会話していた。話題はもちろん、職場でおおっぴらに口に出せないアレである。

 『いや~、PTAやら町内会やら色々あって、ラストシーンをどうしようかなかなかまとまらないんだよね~やっぱ、学生の時みたいにはいかないわ。』

 『わかります~時間無いですし、目とかすぐ疲れるんで、ポーション飲みまくりですよ。アイリスちゃんがよく効くのを作ってくれるんで。』

 アイリスちゃんことアイリストスは、結月ちゃんの持つ魔石の名だ。もちろん日本産じゃない。この数ヶ月、私が何度か訪れている異世界で産出する、強い魔力を持ったハイクラスの石なのである。結月ちゃんは偶然この石をアパート前で拾い、エリオデ大陸を自力で訪れ、命の無い物なら何でも作れるアイリスちゃんにパソコンやペンタブレットなど作ってもらい、電気の無いエリオデ大陸でもデジタル原稿を描いている。そんなわけで、逆に日本で回復ポーションを作るのだって、朝飯前なのだ。

 なお、私もブラゲトスというミドルクラスの魔石を持っていて、本来有していない通信機能が備わっている。これで心の会話ができるというわけだ。

 『まあ、でもさ、疲れるけど楽しいよ。忙しいけどそれは想定内で充実してる感じ。』

 『ホントですか?誘った身としては折田さんに負担をかけてるんじゃないか、ってちょっと心配だったんで。』

 と、カラララッと、プレハブの戸が勢いよく開いた。だるまストーブで暖まった室内に冬の冷気が流れ込む。開いた戸口にはスーツを着た男の人が2人立っていた。1人は白髪の目立つ初老の、その後ろに立つのは20代くらいの若い人だ。

 スーツの人なら、私達が属する天馬市役所文化財保護課職員の白田さんに用事かと思っていたら、白髪の人がつかつかと歩いてきて、結月ちゃんの机の前で止まった。

 「帰るぞ、結月。」

 なに?呼び捨て?何じゃこの人、と結月ちゃんを見ると・・

 「お・・お父さん・・」

 結月ちゃんは呆然としていた。


 ガコンッと音がした。お父さんに手首を捕まれた結月ちゃんが持っていたスマホを落としたのだ。

 「ちょっと・・放してよ!痛い・・」

 「すみません、どちら様ですか。」

 青い猫型ロボットそっくりのハスキーボイスで、チーム白田の内勤チーフ・権(ごん)田(だ)久(ひさ)恵(え)さんがやってきた。副チーフの中(なか)井(い)美(み)紀(き)子(こ)さんも後ろに続く。月(つき)舘(だて)晴(はる)美(み)さんは飲もうとしたカップを置いてこっちを見ている。

 「何だね、君は。」

 「ここの内勤のチーフをやってます、権田です。」

 横柄に問われても権田さんは動じない。

 「私はこの結月の父だ。」

 「結月ちゃん、ホント?」

 中井さんに聞かれ、はなされた手首をさすりながら、結月ちゃんは渋々うなずいた。

 「お前というやつは・・」はあ、とため息をつくお父さん。「いい年して声に出して返事もできんのか?まったく、いつまでたってもだめなやつだ。」

 は?

 自分の娘さんに言ったにしてはなかなかに剣呑な台詞・・しらず、眉間にしわが寄る。見れば、月舘さんはじっとお父さんを見ていた。中井さんは腕組みをして仁王立ち、権田さんはもろに不審者を見る目だった。空気が悪いのを見て取ったお父さんが、懐から名刺入れを取り出して一枚抜く。

 「こういう者だ。」

 その名刺は権田さんから、いつの間にか傍らに立っていた天馬市文化財保護課主幹の白田さんに渡された。白田さんも作業着の胸ポケットから名刺入れを出して一枚返し、もらった名刺を読み上げる。

 「『株式会社鈴沢精密機械工業 社長 鈴沢秀典』・・鈴沢精密機械工業というと、あの・・はあ~、そうでしたか~。」名刺は胸ポケットに突っ込まれた。「それで、ウチの内勤の鈴沢さんに何かご用ですか。」

 「ご用も何もない。家出娘が見つかったから連れ帰るだけだ。」

 「家出娘?結月ちゃん、家出してきてたの?」

 「は、はい・・」

 「人の娘を勝手になれなれしく呼ぶな!!」いきなり白田さんを怒鳴りつけ、お父さん・・いや、鈴沢さんは再び結月ちゃんに向き直る。「さあ行くぞ、結月!こんな辛気くさいところで働いているなどと、鈴沢家の恥だ!」

 「「「「はぁあ?!」」」」

 女4人が一斉に声を上げたので、たじろぐ鈴沢さん。が、すぐに立ち直る

 「な・・なんだ!本当のことだろう!こんな安くさいプレハブの中で・・」

 権田さんがずい、と前に出る。

 「悪うございましたね。お金ないんだからしょうがないでしょ。ねえ、白田さん。」

 「予算がなかなか付きませんのでね~。」白田さんは鈴沢さんと相対した。「でも、いきなりおいでになって、連れ帰るというのは穏やかじゃないですね。結月ちゃ・・鈴沢さんにはここの遺物整理の大事な戦力なんですよ。」

 「そうですよ、今抜けられたら困ります。土偶とか特殊な遺物の実測は、結月ちゃんが一番上手いんだから。」

 腕組みのまま中井さんが援護。

 「大体、何で結月ちゃんを連れて帰るんですか?」いつもはのんびりしたしゃべりの月舘さんだが、今は違う。「家出とおっしゃいいましたが、何かご事情がおありですか?」

 「あんた達に言う筋合いはない!さあ、行くぞ、結月。ここには後で父さんから辞表を出しておいてやる。」

 結月ちゃんが憤然と立ち上がった。

 「止めてよ、お父さん!私のことなのに勝手に決めないで!」

 「私はお前の父親だ!お前の人生を考えてやってるんだ、何が悪い!」

 「私の人生だから、私が決めるよ!さっき自分で言ったんじゃん、いい年してって!だから自分で考えて決めて、家を出たの!」

 「結月っ・・」

 鈴沢さんの右手がさっと上がった。

 (ぶたれる・・!)

 とっさに体が動いて、結月ちゃんの前に立ちふさがり、歯をかみしめた。なぜそんなことをしたか、自分でもわからない。

 突然娘の前に出た私を見て、鈴沢さんが小さくうなる。

 そこに白田さんが進み出た。

 「まあまあ、そのくらいにしましょうか。いくら大企業の社長さんでもご無体が過ぎますよ。安くさいプレハブでもここは市役所の一端ですしね。」

 と、若い男の人が鈴沢さんの背後から出てきた。結月ちゃんに似ている。

 「あ、結月の兄の鈴沢結斗(ゆうと)です。父の秘書をしています。妹がお世話になっています。」

 「結斗、お前は黙って・・」

 「まあ、社長。僕も名刺を出していいですか?」

 気勢がそがれたお父さんを余所にさらりと差し出されたお兄さんの名刺を、白田さんは受け取り、自分も名刺を返し、またお父さんに向き直る。

 「あのですね・・鈴沢さんが自分で辞表を出したのならともかく、いくら親御さんでもお子さんの仕事を勝手に辞めさせるというのは、どうかと思いますよ。鈴沢さんだって気持ちの整理がつかないでしょうから、今日は一旦お引き取りくださいますか?」

 白田さんの言葉に鈴沢さんが眉毛をぴくぴく言わせながら、歯をかみしめる。

 「・・市長に一言言ってやってもいいんだがな。」

 「ちょっと、そういうの止めて!私はこの仕事、好きでやってるんだから!今はとても楽しいんだから!」

 「そういうことだから、どーぞ、お引き取りを。」

 そう言って権田さんがカラリとプレハブの戸を開け、中井さんが執事よろしく手で外を指す。

 「お帰りはこちらです。」

 「・・・・」

 月舘さんが自分のスマホを掲げた。

 「さっきの台詞、録音しています。脅迫の証拠になるかもです。」

 おお、と私達は声を上げた。なんとぬかりない。なぜか結斗くんまで感心していた。

 鈴沢さんは激怒しているようだが、さすがに今はこらえた。

 「わかった、今日のところは帰る。だが結月、来週にはお前の見合いを予定している。そのときまでに辞表を出して家に戻れ。いいな!」

 「はあ?!何、見合いって・・何言ってんの、絶対しない、家にも帰らないから!!」

 娘の抗議を黙殺して鈴沢さんはプレハブを出、結斗くんも出て行きかけて・・回れ右して、戸口でぺこりと頭を下げた。

 「どうもお騒がせしました。父・・社長の言ったことは気にしないでください。結月。」

 「何。」

 「見合いの相手は楠本テックの息子だ。ほら、うちによく遊びに来た楠本瑛太。あんま昔と性格は変わりない。」

 「だから何。早く行けば。お父さんに怒られるよ。」

 「ああ。」そして私達にもう一度頭を下げた。「では失礼します。」

 結斗くんは静かにプレハブの戸を閉めた。

 

 鈴沢精密機械工業は某県でも有数の大企業である。某県内でここに就職できたと言えば、大体感嘆の声が上がる。結月ちゃんはそこの社長令嬢だった。

 「昔は普通に優しいお父さんだったんです。でも、私が小学校の頃にお母さんが死んじゃって、それからなんか変わって・・家にもろくに帰ってこないで仕事ばっかして、会社はどんどん大きくなったけど、私や兄とは会話が減っていって・・お父さんが何考えてるのかよくわからなくなりました。」

 そこにきてお父さんからの無茶ぶりが目立つようになったという。

 「兄も私も中学は大学の付属中学、高校は県内有数の進学校に入れ、大学も東京の一流大学い行け、です。父の言うとおりにしないと学費は出さないって言うから、もう仕方なく頑張りました。で、最後は就職先はウチの会社にしろって。でも、それ自体は別に嫌じゃなかったです。小さい頃何度か遊びにいって、社員さんが仲良くていい雰囲気で働いているの、見てましたから。配属された営業課では、課長さんや先輩がすごく気を遣ってくれて、社長の娘だからとかいうんじゃなく、ちゃんと一社員として色々教えてくださいました。そんなだから私も、ウチの会社の製品のこといっぱい宣伝しなきゃと思って、勉強して・・なのに、お父さん、入社3年目の私をいきなり課長にするって言い出したんです。」

 「へ?」

 目尻ににじむ涙をぬぐって、結月ちゃんは続けた。

「そんな話あります?入社3年のペーペーですよ?しかも、私に一生懸命仕事を教えてくれた課長さんを余所にやって、私がその地位に就けって言うんです。耳を疑いました。そこにきて、先に入社してた兄から情報が・・」

 「情報って?」

 「まず・・営業課って、今のウチの会社の出世コース筆頭なんですって。私をそこに入れて強引な人事をしようとしたのは、身内の私を早く自分のそばにいる重役にしたかったからだって。」

 「ええ・・でも、いくらなんでも周りの人が納得しないんじゃない?結月ちゃんが立場が悪くなるだけじゃないの?」

 中井さんの問いに結月ちゃんはうなずいた。

 「その“周りの人”なんですが・・私、幹部クラスの方は何人も知ってたんです。お正月とかウチに挨拶に来て、お父さんとお酒飲んで遊んでいったりしてたので。でも、兄に言われました。『お前、あの頃ウチに来てた人たちを今、社内で見たことあるか』って。確かに見てませんでした。会社のホームページにも出てなかったです。そう言えば、最近お正月にも来ないなって・・定年退職かなとか思いましたけど、違いました。父に解雇されたり、自分から辞めていってたんです。最古参の人が辞める前に挨拶に来て、兄にその事情を話してくれたんだそうです。そもそも秘書だって、先代社長の祖父の代からの人が父に反発して辞めたから、兄がやることになったんです。」結月ちゃんはため息をついて、ミルクティーを飲んだ。「もう・・なんか絵に描いたような話です。会社を大きくするのと引き替えに、父は何か大事なものをどっかに置いて来ちゃったみたいです。」

 「それで・・結月ちゃんが家出したのは・・」

 白田さんが恐る恐る問うと、

 「ぶっちゃけ、キレたんです。何回言っても、課長にするの一点張りで聞かないし、しまいには今の課長さんに何か言われてるのかとか、あいつを解雇すれば課長になりやすいかとか言い出して・・で、キレて会社に辞表出してその日のうちに荷物まとめて、とりあえず天馬市に来て、ここの内勤さんの募集をハロワで見て応募して、今に至ります。」

 おばさん達とおじさんはうなずくより無く。

 「迷惑と言えば、先ほどは・・本当に皆さんにご迷惑おかけしました!一番にこれを言わなきゃいけなかったのに、すみません!」

 立ち上がって頭を下げる結月ちゃんに、権田さんが手を振る。

 「何言ってんの、あたしは迷惑なんて思ってないわよ。ねえ、美紀子ちゃん。」

 「そうだよ。仲間の子がなんかヤバそうだと思ったから、バレー部やってた頃の癖で思わず前に出ちゃった。あの頃は男子とコートの使用権巡ってよくケンカしてたからさ。」

 中井さんは中・高とバレー部のキャプテンを務めていた。

 「実は~ウチのダンナは~警察の人なの~」と、月舘さんが言い出して一同びっくり。「大丈夫だとは思うけど~何かあったら相談乗るからね~」

 「はい、ありがとうございます、皆さん・・」そしてくるっと私に向き直る。「折田さんもありがとうございます。さっきは私をかばってくれたんですよね。」

 「えっ?!いやいやいや・・そんな気にしたもんじゃないよ。でも・・これからどうする?」

 「はい・・あの、白田さん、私・・ここにいたら迷惑かかります・・よね?」

 白田さんに、皆の注目が集まる。

 「うーん・・」腕組みをして目を閉じた白戸さん・・やにわにカッと目を見開き、「優秀な内勤戦力を失う方が困るかな?!」

 「さすが白田さん、そう来なくちゃ。その男気に、美味しいコーヒー入れますね。・・、結月ちゃん、泣かない、泣かない。」

 「すみません、私、なんか・・本当にすみません。」

 「いいんだよ~、謝らなくても~」

 「そうそう。私達だってできることしか手伝えないんだから。はいよ、ティッシュ。」

 盛大に鼻をかんだ結月ちゃんは泣き笑いしていた。


 翌朝。

 結月ちゃんがいつものように元気に挨拶して駐車場を歩いてきた。でも、まぶたがちょっと腫れぼったい。

 「おはよ、結月ちゃん。昨日は眠れた?」

 「“ちょっと”泣けてきたりしましたけど、最後は爆睡でした。我ながら図太いです。」

 「図太いくらいでちょうどいいのよ。ちなみにおうちから電話とかないの?」

 「兄が電話よこしました。家出の後も兄には電話番号だけ教えてたんです。」

 「で、お兄さんはなんて?・・うお。」

 黒塗りの高級車が駐車場に滑り込んできた。言葉が切れた私の視線を追って結月ちゃんも振り返り、

 「やば・・」

 車から降りてきたのは、やっぱり鈴沢さんと結斗くんだった。

 「マジで?こんな朝から?」

 「結月ちゃん、プレハブまで走って!」

 「待て、結月!!」

 お父さんと結月ちゃんの間に立ち、両手を広げて通せんぼの構えを取る。

 「どかんか!」

 「ご用は何です?ちゃんと膝つき合わせて話して、結月ちゃんの言い分も聞くって言うなら通しますけど、昨日みたいに一方的なんじゃだめです。」

 「黙れ!!あんたに我が家の何がわかる!」

 「あの、怒鳴るのって都合が悪いからですかね?大声で黙らそうとしてません?残念ながらそういうのは効きません。昔そういう上司がいたんで慣れてます。」

 「ほんっと、そうだよね・・」

 震える声がして振り返る。

 結月ちゃんが立っていた。頬が赤いのは寒さだけのせいではない。

 「折田さん、すみません。そうなんです。都合が悪くなると大声出して・・大声聞きたくなくて相手が黙っただけなのに、それで相手を納得させた気になってるんです。滑稽ですよ。裸の王様ってやつ!」

 「・・結月っ!!」

 「だってそうでしょ!皆お父さんの態度に納得できないから辞めたんでしょ!工藤のおじさんも戸沢のおじさんも、青木のおじさんも・・長い間一緒に働いてくれたのに、皆いつの間にかウチから離れていった。何でだか考えたことある?!てか、私が家出したのだって・・そういうところに我慢できなくなったからだよ!」

 「お前・・父親に向かって・・」

 「父親父親言うけど、父親らしいことしたことある?仕事ばっかで、ずっと私達を家政婦さんに預けて放っといたじゃん!学校の行事にも来たことないし・・何なら卒業式とか入学式さえ来たことないよね!」

 「お前達が裕福に暮らしていけるように、働いていたんじゃないか!」

 「お金じゃないの!!お金は大事だけど・・一番じゃない!ていうかさ・・マジで言ってる?それ。私のお父さんて・・そういう人?」

 はは、と小さな笑いがこぼれる。

 「結月ちゃん・・」

 うなだれ、ため息をつくと、結月ちゃんは顔を上げた。泣いていた。

 「もういい。お父さんとはわかり合えないってことがわかった。・・折田さん。」

 「ん?」

 「しばらく留守にします。3日ほど年休取るって白田さんにお伝え願えますか?」

 「や、ちょっとゆづ・・」

 虹色の閃光が辺りを包んだ。鈴沢さん親子が手で目をかばい、何か叫んで・・

 (アイリストスの光!)

 「結月ちゃん!!待って!!」

 手を伸ばすと、すっかりおなじみになったあの感覚・・掃除機に吸われるゴミのような感覚(ゴミになったことはないけど)とともに、私の足は地面から離れた。


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